祭典
砂塔悠希
Prologue
Prologue
断崖から吹き下ろして来る風を背に受け、男は眼下に広がる街を見つめていた。じっと何の表情を浮かべるでもなく。天然の城壁に抱かれ、暮れなずむ海辺の街を。
両の手を組み、跪いて少女は像を見上げる。左腕に赤子を抱き、右腕には作物の穂を抱える豊穣と繁栄の女神、大地母神ラナーテ。少女はうつむいて目を閉じ、その女神の加護を祈る。
―――どうか
少女の淡い唇が動く。
―――どうか ―――と。
ガツッと大剣を地に突き立て、体重を掛けて勢いよく立ち上がると、彼は街道を一歩踏み出そうとして―――、また座っていた岩に腰を下ろした。故郷の街は目の前だと言うのに、ここまできてどうしても足が進まない。何度となく立ち上がり、進もうしては躊躇する。そしてまた腰を落とす。もう一歩を踏み出す勇気が出ない。だからといって、いつまでもここに、こうしているわけにはいかない。もう街は目の前だ。しかし……。思考が堂々巡りをして半時以上をこの場所で過ごして来た。肩を落とし、両の手を頭の上で組み、呟く。
―――神よ……
やがて、彼は頭を上げる。付き纏う暗雲のような不安を振り払うように。そして、漸く一歩を踏み出した。
いつものようにラナーテ神殿の地下にある宝物庫の守りについた神官は、賊の侵入を警戒して棍を立て、廊下に目を配っていた。明日は年に一度のラナーテ神殿の祭典の日だ。長いこと町を離れていた幼友達が帰ってくる。今夜一晩何もなければ懐かしい顔触れと祭典を楽しむこともできる。夜明けを待ち遠しく思いながら、神官はじっと扉の前に立っていた。
ピシュル、とどこかで音がしたような気がして、若い神官は耳を澄ませた。神経を耳に集中させる。だが、しんとした廊下にそれきり空気の乱れはなかった。神官は目の前に一直線に伸びる廊下に目を凝らした。小さな影一つ見過ごす訳にはいかない。しかし、廊下の両側に据えられているランプの明かりは石の壁に反射して薄ぼんやりと前方を照らしているばかりだ。棍をつかむ手にじんわりと汗が滲む。何かがいると直感が教えていた。賊はただ動きを止めているのだ。息を殺し、タイミングを計っている。
再びピシュル、という音がしてランプの火が微かに揺れた。
真っすぐに飛んできた何かが、神官に当たるまでわずか一息に満たない。
ゴトリと何かが落ちる。静かな衣擦れの音。ジジッとランプの火が、わずかな空気の流れを受けて音を立てた。それだけだった。
そして、再び廊下は静寂を取り戻した。
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