第3話不考の時代(下)

「ど、どどしたんだだいぃ?急なななそんな」


急いでプールに妥当な切り返しを探させる。が、追いつかない。プールもパニックを起こしている。


「貴方こそどうしたの?おかしいわ。いつも冷静なのに」


いつも冷静なのはプールが答えを選んでいるからだ。全て想定問答を事前にしてるからに過ぎない。


「なんていうか、少し思ったの。今の現状に満足してる。結婚も子供も望まない。自分だけの人生が満喫できて心底幸せよ」


「そ、そうだよね」


僕もそうだ。異論はない。ならなおさらだ。なぜ?


「じゃあなぜそんなことを?全てはお互いのプールが出した、最善の選択肢じゃないか。それともキミのプールがそんなことを言わせているのかい?」


「まさか。あたしのプールは現状維持でいけと言ってるわ」


「ならなおさらどうして!?」


僕の問いかけに、カオリはさもどうでもいいという言い方をした。


「反発してみたくなったの。プールの命令に」



彼女は確かにそう言った。間違いなく。だが僕には意味がさっぱり分からなかった。


「命令って。そう言ったかい?キミそれは違うよ。だってこれは、僕たちが選択したことじゃないか」


僕らはアンドロイドではない。行動の全てには自らの意思が存在している。


「選択ね。本当にそうかしら」


「なぜ?」


カオリは紫煙とため息を同時に吐き出す。


「貴方って、プールが選んだ会社に就職してプールが選んだ相手と結婚。プールが選んだ不倫相手とプールの薦める付き合い方をしてこうして毎週会っているのよ。これって貴方が選んだ人生って言える?」


「だけど全て僕が望んだ事だ。プールがそれを先回りして答えてくれてるんだよ」


「本当に?心からそうだと言える?プールが間違っているって可能性はない?」


「プールが間違ってるって?」


不倫相手じゃなきゃ今の発言をすぐにでもSNSに放流してるとこだ。バカバカしい。ありえない。


「カオリ、プールの調子がおかしいんじゃないか?一度調整所で見てもらった方が良いよ」


「ああ。そう。‥分かったわ。平気よ大丈夫。ゴメンなさい。わたしが間違ってたわ」


カオリはぎこちなく微笑んでみせたが僕は違和感しか感じられなかった。プールを疑うなんて。信じられないことだった。


それ日以来、カオリとの関係は疎遠なものになっていった。


週に一度が二週に一度、月に一度になりついには半年に一度会うのがやっとになっていた。会えない理由に関してカオリは何も言わなかったが、ベッドの上では前ほど楽しくなさそうだった。


僕のプールは何度もカオリとの関係を切れといってきたが、どうしてもできなかった。「プールの命令に反発したくなった」というあの言葉がひっかかり、僕もついにプールの意見を無視してしまっていたのだ。


仕事においても家庭においても、僕は途端に上手くいかなくなりミスを連発するようになってしまった。


そしてついにカオリとの連絡が完全に途絶えて十日ほどたったある日、僕は突然会社の重役たちの「RIVER(川)」に招待された。


川に潜ると、目の前に世界中に点在しているはずの重役たちが雁首を揃えていた。


「クリハラくん。今日呼ばれた理由は分かってるかね」


「はぁ」


交際費の私用がバレたのだ。最初はそう思った。何しろカオリとの情事にかかった金は全て会社の経費でおとしていたから、いつかバレるとは思っていた。それでも使い込みをやめなかったのは、カオリを求める欲望に抗えなかったからだろう。


だが重役の口から出たのは意外な言葉だった。


「キミ。自分のプールの意見を無視したそうだね」


「え?」


確かにプールの意見に反発してカオリとの交際を断つのを先送りにしていたが、結果として今は関係を終わりにしている。


だがそんなことで大の大人がここまで集まって難しい顔をしてるなんて。にわかには信じられない。


「なんだ。そんなつもりはなかったのか」


僕が不思議な顔をしてると重役の一人が訊ねてきた。


「いや、そうじゃなくて。つまりその、てっきりもっと別のことで呼ばれたかと」


「例えば?身に覚えがあるのかい?」


「いやあのう。交際費の私用とかで‥」


その台詞を言った後、一瞬の沈黙があり直後に重役連中が全員で大笑いする声が聞こえた。


「失礼。いやヌアハハハハ!いや失礼。キミはそんなくだらないことで我々が集まると思ってるかな?たかがそんなはした金で?だとしたらキミはよっぽど世間知らずだよ」


重役の物言いには正直ムッとした。


「たかだか検索ツールの意見を無視ししたことが会社の金を遣い込むより重罪だと思えませんが」


そう言うと一同はまた大笑いするのだった。


「プールが?ただの検索ツールだって?キミは面白いことを言うなあ」


「ヌアハハハハハ。いやクリハラくん、キミ、お笑いのセンスあるよ。会社を辞めて芸人になった方が良い」


いよいよ自分が何故ここに呼ばれたのか分からなくなっていた。


「それで。仮にプールの意見を無視したとして、私に何か処罰が下るんでしょうか?」


いい加減この場にウンザリしていた。早く家に帰りたい。


「じゃあ認めるんだな。キミ」


「ええ。そうですね」


そう言うと今度はどよめいた。忙しい連中だ。


「分かったもういい。さがりたまえ。処罰は追って連絡する。だが覚えておきなさい」


「なんです?」


重役の一人が電子の葉巻をふかしながらこう言った。


「プールはただの検索ツールではない。その言葉はこの国の意思そのものだ。ゆめゆめ忘れるな」


人生でこれほど衝撃的な言葉はついぞ体験したことがなかった。僕はしばらくショックで口を開くことができなかった。



会社から解雇の通知メールがきたのはそれから一週間後のことで、国から矯正入院プログラムの通知がきたのは更にその一週間後だった。


妻からはどうして会社をクビになったのかよりもどうしてプログラムに参加しなければならないのかを厳しく問い詰められた。


「矯正入院だなんて!ご近所になんて言えばいいの!?」


妻のプールが僕との離婚を決定するまでにはそれから二時間と要さなかった。


しばらくしてからウチに役人が来て、僕は矯正施設に連れて行かれた。


そこは何処かの山奥にあって、世間から完全に隔離された場所だった。真っ白く大きな建物が山中にぽつんと建っているだけだった。


院長だとかいう太った爺さんの挨拶を長々と聞かされたが内容は大して頭に入ってこなかった。


プールの機能は大幅に制限され僕はまるで原始人にでもなった気分だった。


とにかく時間の使い方が分からず、初日から途方に暮れていた。何しろ行動の全てが自由で外に出ること以外は何も禁止事項がなかった。


有り余る時間の過ごし方をプールに訊ねてみたがやはり沈黙するばかりだった。


そんな中僕は大勢の患者の中にカオリの姿を見つけた。


カオリ。僕の愛おしいカオリ。憎むべき相手でもあるカオリ。色々な方向から僕の人生を狂わせたカオリ。僕は怒りと喜びが入り混じった複雑な感情を抱えながら、カオリに声をかけた。


「久しぶりだね」


僕の声が耳に入るやいなやカオリは見たこともないような笑顔で飛び跳ねて喜んだ。


「よかったわ!アナタもこっちに来れたのね!ああよかった。ここは素敵な所だけどアナタのことだけが気がかりで」


なんてことだ。カオリはずっと僕の心配をしてくれていたのだ。喉元まで込み上げていた怒りは消え、後にはすっかり愛おしさだけが残った。


「本当によかったわ。また一緒に過ごせるのね。嬉しい。院長先生の言う通りだわ。すぐにアナタが来るって言ってたもの」


「院長が?そうなの?」


「ええ。ここはいいところよ。全てが自由なの。選択も行動も自分の自由なの。ああ、ようやく本当の自分になれた!」


カオリは今にも歌いださんばかりの勢いだったが僕のにはまだここの良さが理解できていなかった。


実はこの施設が矯正する場所なんぞではなく、プールの意思に背いた人間たちがどんな思考をしているのかデータをとる場所だったと僕が気がつくのはもっと後になってからである。


妻のようにプールの言いなりで生き続けるか、それともカオリのように全てを自分で考え後悔や失敗と共生してゆくのか。


僕にはまだ選べそうにもない。




何世紀か経った後、プールに頼り過ぎた文明は崩壊し全ては原始の動物に戻ったという。崩壊寸前の世界を皮肉り当時の著名な学者がプールの産まれた時代をこう呼んだそうだ。


考えの時代。


すなわち「不考ふこうの時代」と。



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永遠の物語 三文士 @mibumi

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