コーヒー1杯のほろ苦い思い出

簗田勝一(やなだしょういち)

第1話・コーヒー1杯のほろ苦い後悔

 「ねえ、来て・・・・・。」

「あ、うん・・・。」

「お願いだから、ね?」

「ん・・・・・。」

「もう今日が最後だから・・・・・。」

嘉美さんからの電話だった。

ホテルの専門学校に通っていた俺は、春のホテル研修で40日間某シティーホテルのレストランに配属された。

そこは従業員同士みんな仲が良く、とても楽しい職場であっという間に40日が終わった。

そんなレストランに、嘉美さんという1つ年上の奇麗な女性に恋心が芽生えていたのだが、彼女には同じホテル内でベルボーイをしている彼氏がいたのだった。

それでも何かと俺に気をかけてくれ、2人は次第に仲良くなっていった。

レストラン内で客の目が届かないバックヤードでは男性従業員が、女性従業員のそばを通る度にお尻を触るのにはビックリした。

怒る女性従業員もいないのが不思議だったのだが、嘉美さんだけには誰一人触らないのだ。

多分、以前に触られた時に怒ったのだと思う。

そんなセクハラ行為を寄せ付けない、凛とした人柄にも惹かれた。

研修の最終日には職場で送別会を開いてくれて、俺と嘉美さんがずっと2人だけで話をしていると、他の社員達から冷やかされたのが嬉しかった。

 それからひと月ほど経ち、嘉美さんからの電話。

実家の福島に帰るので、今日で退社なのだと言う。

彼氏とは・・・別れるらしい。

そんな嘉美さんが、たった40日しか一緒に仕事をしなかった俺に会いに来てと電話をくれてるのに・・・・・。

俺は行けない。

なぜなら、貧乏学生だった俺はバイトの給料日前で金が無かったのだ。

電車賃くらいの小銭はあるが、ホテルのコーヒー代は高い。

つい最近まで元研修生だった俺が顔を見せれば、マネージャーがお金なんて取らないかも知れない。

でも、そんなことを期待する自分が嫌だった。

何と言って電話を切ったのか覚えていないが、結局会いには行かなかった。

それから何日も何ヶ月、何年経っても、嘉美さんから電話が来ることはなかった。

たった1杯のコーヒー代が無かったばかりに、好きな女性に会いに行けなかった自分が情けない。

親や友人から借りてでも会いに行っていれば・・・なんて、30年以上経っても未だ後悔している俺がいる。








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コーヒー1杯のほろ苦い思い出 簗田勝一(やなだしょういち) @noelpro

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