記録 ―Her Log about Her, Memory―

渡会ライカ

記録 ―Her Log about Her, Memory―



【警告】

国立図書館:この記録映像はID:0α828φ9751のものです。フィルムは当時の法律、社会常識を考慮し極力の修正を加えることを控えましたが、一部規制されている箇所がある場合をご了承下さい。


【認証】

〈アクセス権限:CONCERNED〉「閲覧者:安東イオリ ID:β4921σ7219」


「貴女、名前は?」

「名前……」

「そう、貴女の名前」


 網膜の上に張り付いているコンタクトレンズ状の情報端末、それに記録されている映像。

 私は今、それを再生している。図書館に集められた記録映像を、クラウドからVR―Virtual Reality(仮想現実)―ゴーグルにストリーミングし、ソファに身を埋めて。

 記録されている対象のほとんどは、一人の少女だった。その少女は――私の母だ。映像の中の私の母は若い。私と同じぐらいの、制服を着た高校生だ。

 その母が、記録者に名前を尋ねる。今よりも、髪はうんと短く、活発で利口そうな色白の少女が。


「私の名前は……」

 記録者がまるでアニメーションの声優のような可愛らしい声で呟く。

「……ミカ。二俣(ニマタ)ミカです」

「ミカね。可愛らしい名前じゃない。私は安東歩(アンドウ アユム)って言うの」

「ありがとうございます、安東さん」

 画面が上下に動く。おそらくミカという記録者がお辞儀をしたのだろう。

「いいのよそんなにかしこまらないで? 私たちクラスメイトでしょ」

 ミカはチラりと胸元のリボンを見た。彼女の亜麻色のおさげが揺れ、それから私の母の胸元に視点を移した。

 同じ、青色のリボンだった。

「よろしくお願いします」

「よろしく、よ」

「よろしく……」

「可愛いんだからもっと自信を持った方がいいと思うわよ」

「よろしくね、ミカ」

 そう言って母はミカの手を握った。

「こちらこそ、歩」

 母が微笑んだ。同じようにミカも微笑んだようだ。


 どうやらそれが、全部で一年ほどの記録映像の中で最初の、母との接触のようだった。




 それから、ミカと歩の交際は段々と増えていった。

 高校近くの部屋に一人暮らしするミカのもとに、歩が押しかけて泊まるようなこともよくあった。

「お母さんとお父さんは?」

 歩は窓際の観葉植物の葉を撫でて訊いた。

「……」

「いや……言いたくないならいいの。ごめんね、言いづらいこと聞いて」

「大丈夫です」

 ミカは相変わらずの敬語だったが、歩はもう気にしていないらしい。

 それに二人の距離感は、他人から見るよりずっと近いようだ。

 もちろん、フィルムはミカの視界を記録したものだが。

「今日も泊まっていっていい?」

「構いませんよ」

 歩はクローゼットから部屋着を取り出し、目の前で着替え始めた。

「ちょっと、何をしているんですか?」

「いいじゃないの女の子同士なんだから」

「歩は……歩は私のこと、どう思っているんですか?」

「私の父親がね」

「……?」

 ミカは不思議そうな顔をしただろう。一体何の話を始めたのだろうか、と。

「私の父親が、聞いてくるの。泊まってるのは誰の家だ? 彼氏か? ってね」

「怒っていましたか?」

「少し怒ってたかもね。でも、窮屈だと思わない?」

「親が子供のことを心配するのは当然のことだと思います」

「そういうことじゃないの」

 歩は顔を近づけてきた。見慣れた顔でも、少しどきっとする。

「私の彼女、っていうことは頭にもないのよ」

 また沈黙が生まれる。

「それは……」

「歩は、そう思っていると」

「そう思ってたらダメかしら? 女の子同士で」

「いいえ、嬉しいです」

 歩がミカを抱き締める。ミカも手をまわし、二人は幸せそうに微笑んだ。

「でも、そういう関係なら、余計にデリカシーがないのではありませんか?」

「あら、そういう関係だからこそ、でしょ?」

「歩はもう……仕方ないですね」

「ふふっ」

「憶えていますか、歩が私を助けてくれた時のこと」

「ええ。出会ってまだ間もない頃ね。あの日は土砂降りの雨の日で、帰り道、私が歩いていたらミカが傘も差さずに立ち尽くしてるんだもの」

「そうでしたね」

「ミカっ! 風邪引くよ! って声を掛けたら、急に倒れ込むんだもの。驚いたわ。でも、思えばあの時雨に打たれてる貴女を見て、その幻想的な雰囲気に惚れてしまっていたのかもしれないわね」

「私、水は苦手なので」

「なんだか精密機械みたいね。それに、人形みたいに綺麗……」

「歩……」

 歩の手が頬に伸びて、くるりと一撫でする。初めて見る、母のこんな手付き。

「私も、その後歩に部屋に運んでもらって助かりました。人の優しさに触れたのは、あの時が初めてだったかもしれません」

「大袈裟ね、ミカは」

「いいえ、私もあのときにはもう歩に惚れてしまっていたのかもしれませんね」


 母が、高校時代にこんな関係を築いていたなんて知らなかった。

 今の時代同性愛は珍しくない。しかし、母の時はそこまで社会に浸透していなかっただろう。それに、母と私の父親はいつ出会ったのだろう……?

 私は私の父親がわからない。前に母に聞いたが、何も答えてくれなかった。その問いの答えを探しているとき、国立図書館のクラウドライブラリ・サービスの中に母についてのデータを見つけたのだった。閲覧者制限があったようだが、何故だか私のMy IDentificationで認証することができた。

 しかし見れば見るほど謎は深まっていく。そして、残る映像は二つだった。それ以外のフィルムは、存在しない。


「今日は何かの記念日でしたか?」

 ミカは歩が持ってきた目の前のケーキ二つを指して首を傾げた。

「一周年よ」

「何がですか?」

「私たちが、付き合って」

「あっ」

「気づいてなかった?」

「はい、すみませんでした……」

「いいの。でも、祝っておきたいじゃない。いつまで一緒にいられるかわからないし」

「……」

「どうしたの?」

「そうですね。私たち、いつまでも一緒にはいられませんよね」

「……。だからこそこうやって祝うのかもね」

 好きでしょ、モンブラン。と歩が言ってカップをミカの方へ差し出した。

「……ありがとうございます」

 それから二人はいつも以上にべったりとくっついて、お互いの時間を共有していた。

「今日は帰るね」

 歩は名残惜しそうに部屋を出た。

「駅まで送ります」

「ありがと」


 駅のホームに列車が到着した。歩が扉に携帯端末をかざし、乗車が記録された。

「あのっ」

「歩は……歩は普通に結婚して、普通に子供を産みますか?」

 ミカが訊いた。つまり、男と結婚するのか、ということだろう。

 歩の返答に期待する私を、彼女は即座に裏切った。

「いいえ、しないと思う」

「それは、何故?」

「ねえ」

「はい?」

「私たち、永遠に一緒にいることはできないのかしら?」

「できませんよ」

 ミカははっきりとそう言った。

「……。なんで? 私たちが女同士だから? 普通じゃないから?」

 何かに対する苛立ちをぶつけるように歩は責め立てた。

「いえ……」

「じゃあ、何?」

「……。いえ、歩の言う通りかもしれません」

 列車の扉が閉まった。

「……ら」

 ミカは俯きがちに唇を動かした。

「え……?」

……さようなら。

「ミカ! ミカーっ!」

 列車から声が聞こえてくる。けれど、目線はホームの地面を見つめ続ける。

いつしか歩の乗った列車は遠くになり、彼女の声も聞こえなくなっていた。




 それから私は最後のフィルムを開いた。もはや私についての記録は望めそうにないが、ここまで見たら引き返す気は起きなかった。


「偽装モード解除。気分はどうだ?」

「管理者認証を」

 眼鏡を掛け白衣を纏った壮年の男が眼前に手をかざす。

ここはどこかの研究室のようだった。

「【認証】〈アクセス権限:MASTER〉」

「マスター、気分は……」

「機械(マシーン)に感情はない、かな?」

「どうでしょう。人間の脳構造を模して造られたAI―Artificial Intelligence(人工知能)―であれば、限りなく近いものはシミュレーションできるのではないかと」

「それは偽物だと思うか?」

「いえ――本物です。愛情、友情、信頼。私にとっては紛れもない本物の感情でした」

「そうか。そういえば、僕は君に人間としての名前は与えていなかったね。ミカ――二俣ミカというのは、どこから付けたんだい?」

「歩と初めて出会ったとき、名前を問われて考えました。どうせデータの採取なのだからと、安易にギリシャ語で〈機械〉という意味のmichanimataを、日本の人名データベースから妥当と思われる形にしました」

「ははは。しかし、人にかたどり、人に似せられた姿、人間と変わらない〈魂〉。君はもはや人間と変わらないということが今回の実験で証明されたわけだな」

「ええ。それに、結局歩とは別れなければなりませんでした。人工知能が社会でどれほど通用するかという実験、そして実社会での膨大な人間のデータの採取。その期間が終われば、私はここに戻される。だから、それぐらいの名前で丁度良かったのかもしれません」

「まあ、それにしてはどうやら一人の少女のデータばかりに偏っているようだが」

「データ。人間の言葉でいうのなら、彼女のことしか考えられない、というところですね。人工知能も一目惚れをするんです。これは重大な発見ですね」

「そうかもしれんな。たとえ演算の結果だとしても、人工知能は恋をする」

「ええ。でも、人間の感情も脳によって弾き出されたただの〈モノ〉だと思いますが?」

 ミカは意地悪そうな仕草で言った。まるで私の母がそうするように。

「ははは、確かに魂にブラックボックスは存在しない」

「……けれど、私は彼女を愛していました。私は、彼女とずっと一緒にいたい」

「君の肉体は、人工的に作られた人間とほとんど同じ構造をした体細胞を試験管で培養し、それを3Dプリントアウトして脳以外の部分を造ったんだ」

「はい」

「つまり、君にはDNAがある」

「そうですね」

「それがどういうことか、わかるか?」

「いえ……わかりません」

 ミカは首を傾げた。

「君を造ったように、いや、より人間的に子供を作ることができる」

「本当ですかっ」

 ぱあっと顔を明るくさせるミカ。

 私は、目を見開いて映像との距離感を図りかねていた。

「ああ、できるんだ。試験管BABY-SYSTEMというものがある。それを利用して君と彼女の細胞から万能細胞を作り、それを一つの受精卵に書き換えれば、子供だって作れるさ」

「君は、僕が君を造ったことを恨むかい?」

「いいえ、感謝しています。なぜそんなことをお訊きに?」

「そういうものだからさ。君を弄んでいると思われても仕方ない」

「私は私として生まれて、歩と出逢うことができて、とても幸せです。この記録は、いえ――記憶は、とっても大切な宝物です」




「……」

 私はしばし呼吸をするのも忘れていた。

 身体の奥底まで深く息を吸い込み、ほっと吐き出した。

 ゴーグルを頭から掴み取ると、部屋に明かりが灯った。

 暗い窓に私の姿が映る。亜麻色の髪が揺れていた。

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