第67話 雪と白馬

 林氏のいない冬は例年になく寒いものとなったが、その日も朝から雪が降り、しかも風も強くなってきた。

「ふう……」

 鈴玉は綿入れの襟を合わせ、火かき棒で囲炉裏の火を掻き立てた。彼女のいる小屋は、窓も閉めてはあるものの冷たい風が隙間から忍び込んで、室内をさらに寒くしている。

 戸外には、林氏の眠る陵がある。彼女が都城の外にあるこの陵の守りをするようになって、すでに半年が経っていた。


 哀しみが降りしきったあのとき、魂魄の飛び去った後で清められた王妃の亡骸は、儀式次第に則って幾重にも衣を着せられ、丁重に納棺された。その際、鈴玉は特に主上の許しを得て、自分が仕立てた藤の上着と裳、髪飾りの一揃いを入れることができた。そして、陵への埋葬までを見届けてから、彼女は主上の御前にまかり出たのである。


――主上。どうか、王妃さまが眠る御陵の守をさせてください。

――鄭鈴玉。死の床で王妃は確かそなたに対し、私の望みを伝えてあるはずだが。

――ええ、存じております。ですがその前に主上、どうか三か月だけでも!伏してお願い申し上げます。最後まで、私に王妃さまへの御恩返しと忠義を果たさせてください。

 

 以来、鈴玉は小屋で寝起きし、王妃の陵の周囲を清掃し、供物を整え、さまざまなことを陵に話しかけて過ごした。だが、三か月経って交代要員が来たというのに何故か鈴玉は追い返してしまい、まだここで頑張っている。


「……?」

 静けさを破り、扉をどんどんと叩く音が聞こえる。

――誰かしら?こんな雪の日にわざわざ足を運ぶ客人なんて?

 用心しながら、鈴玉は立ちあがって扉のかんぬきを外す。それを待ちかねたように、扉が開かれた。同時に、寒風と雪が抜け目なく中に侵入してくる。鈴玉はぶるっと身を震わせ、来客の正体に眼をみはった。


「――香菱」

「本当に、私の一生の半分どころか、全てがあなたのお迎えと探索に費やされるわね、鈴玉」

 綿入れと襟巻で完全武装した同輩は、雪で頭を半ば白くしながら鼻を鳴らした。

「迎え?……香菱、悪いけど私は」

「鈴玉、あなた、どうして戻らないの。王宮に戻るのが怖いの?今までのお気楽な女官暮らしではなく、側室として一殿の主人となり、仕える者たちの命運を握る、その責任を負うのが怖いんでしょう。行く行くは……」

「やめて、聞きたくないわ」

 鈴玉は扉に手をかけ相手を締め出そうとしたが、香菱の怪力の前では無駄骨に終わった。


「……ここで一人になってみて、ずっと考えていた。王妃さまのこと、自分のこと。でもやっぱり無理よ、こんな私が妃嬪だなんて。香菱だってそう思うでしょ?」

 問われたほうは首を横に振り、ため息をついた。

「怖いもの知らずのあなたが、今さら何を……あなたを見込んだ王妃さまの眼力を疑うの?それに、世子さまを託されてもいるでしょう?」

「世子さまを――」

 鈴玉の、半ば放心した呟きに、香菱は力強く頷いた。

「そうよ、世子さま。毎日、あなたの名を呼びながら待ってらっしゃるのよ。お可哀そうだと思わないの?王妃さまもきっと悲しんでおいでだわ」

「……」

「分かってる、私だってあなたに偉そうに説教なんてできない。でも、もし鈴玉が王宮に戻ってくれたら、私が側にずっといるわ。全力であなたを助ける。それでも駄目なの?」

「香菱……」

 同輩はかつてないほどの優しい笑みをもって、鈴玉の両手を包み込む。その手はかじかんでいて氷も同然だったが、友の真情に触れた鈴玉には、冷たさなど感じられなかった。

「それに、あなたがなかなか王宮に帰ってこないから、業を煮やした方がいらして――」

 言いしな、香菱は鈴玉の腕を引っ張って外に連れ出す。一面は文字通りの銀世界で、降りしきる雪の彼方に三十人ほどの一団が見える。幾本かの旗、数頭の馬。


 中でもひときわ目立つのが、雪に溶け込むがごとき白馬に乗った、黒い筒袖の袍に、赤い帯をしめた人物。鈴玉も良く知っているその者は姿勢も正しく馬の手綱をとり、こちらを凝視している。


――ああ。


 雪が舞っているはずなのに、あの方の他は何も見えない。風が吹いているはずなのに、何も聞こえない。


 数十間もの距離を超えて、一対の男と女は互いに見つめ合っていた。

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