第51話 朋輩の涙
禁衛府での責め問いで手ひどく痛めつけられたとはいえ、鈴玉はもともと頑丈なのか、数日後には立てるまでに回復した。ただし、やはり疲れやすいのか横になることが多く、相変わらず寝室には香菱や黄女官が詰めていた。
その日の午後も、粥を食べた鈴玉が寝台の上でうつらうつらしていると、香菱が誰かと言い争っている声が聞こえた。
「……あなた達のせいで鈴玉は死ぬところだったのよ。それなのによくもまあ、のこのこ顔を出せるわね。見舞い? ふざけないでよ。この私があなたに目潰しを食らわせないだけましだと思って、とっとと帰って!」
興奮している香菱に愛友が何ごとかを囁くのが続き、
「じゃあ、通すだけは通すけど、用が済んだらさっさと帰って、二度とここに来ないで。約束するわね?」
押し殺した香菱の声とともに、誰かが室内に入ってきた。すでに来客の正体を察知していた鈴玉は寝返りを打ち、壁際のほうに身体を向ける。
「鈴玉……」
背中から呼びかける声は、鸚哥のものだった。
「ごめんなさい、本当にごめんね。……まさか、こんなことになるなんて、思いもしなかったのよ……」
語尾が消え、あとは嗚咽が続くばかりである。鈴玉は一言も返事をせず、布団を頭から引きかぶった。
「私だって、許してもらえるなんて思ってない。鈴玉……鈴玉……、一度でいいからこっちを見て。罵ってもかまわないから、一言でも声を聞かせて」
鸚哥は鈴玉に向かって懸命に呼びかける。だが、布団の小山はぴくりともしない。
「もういいでしょ、鸚哥。帰って、お願いだからもう帰って。あなたの泣き声を聞いたら、せっかく治りかけの病人の具合がまた悪くなっちゃう」
香菱が割って入り、鸚哥はまたひとしきり泣きじゃくった後、最後に「鈴玉……」とつぶやき、急き立てられるように寝台の前を離れた。そして、手にしていた包みを「見舞いだから」と香菱の手に押し付け、何ども鈴玉のほうを振り返りながら、肩を落として部屋を出て行った。
足音が遠ざかるのと入れ違いに秋烟と朗朗が、ひょこりと戸口から顔を覗かせる。
「大丈夫かい?……鸚哥は泣きながら帰って行ったよ。彼女が鈴玉にしたことは許しがたいけど、俺達の友人でもあるから、何だか辛いや」
「僕もだよ。それにしても、何でこんなことになっちゃったんだろうね…」
返事の代わりに香菱は首を横に振り、鸚哥が残した包みを小卓の上に置いた。
「見舞いだなんて、よくもまあ、抜け抜けと……すっかり錦繍殿に染まっちゃったのね、あの子も」
ぶつぶつ言いながら、包みの結び目を乱暴にほどく。
「何よ、これ」
出てきたのは一冊の冊子。ぱらりと一葉めをめくった香菱は絶句する。
「あの子……!ふざけた真似をして」
「何だい、それ」
「あなた達のほうがよく知ってるはずよ」
葉を開いた状態で顔につきつけられた朗朗は、眼を白黒させた。ただならぬ会話に、ずっと背中を向けていた鈴玉も振り返り、何とか身を起こす。
「俺達の書いた艶本じゃないか、しかも回し読み用の抄本だよ、鸚哥や鈴玉がこれで読んだはず。何で……」
「だから、ふざけてるって言ってるでしょ、この……」
憤怒の形相で本を床に叩きつけようとした香菱だが、
「待って!」
と愛友が制止した。
「何かが本に挟まってる」
そして、本の隙間から落ちた紙を拾い上げる。四つに折りたたまれたやや地厚な紙で、愛友は注意深い手つきでそれを広げた。香菱と朗朗たちも覗き込む。
「どうしたの?」
鈴玉の声が聞こえないかのように、愛友はその紙の中身を吟味していた。筆頭者がわからぬよう放射状に書き込まれた二十人以上もの署名と、血判。
「……私も全員の名前を知っているわけではないけど、八割がたは見覚えがある。おそらくこれは、王妃さまの廃位をもくろんだ関係者たちの血判状よ」
「えっ」
一同は息を飲み、香菱が葉を繰りながら呟いた。
「他にも、いくつも挟まってる。書類みたいなものが」
香菱と秋烟が挟まった書類を一枚いちまい広げ、愛友に手渡していく。渡されたほうはゆっくりとそれらに眼を通す。
「どう、錦繍殿の陰謀の証拠になりそう?」
愛友は眼をあげた。
「たぶんね、でも私も詳しくはわからない。鸚哥は、薛伯仁のところからこれを持ちだしたんじゃないかしら。いずれにせよ上に知らせなければ」
――鸚哥。それで、私のところへ……。
知らなかったこととはいえ、鈴玉は胸がちくりと痛んだ。彼女に一言も口をきかず、追い返してしまった。
「じゃあ、持っていく?でも、『上』ってどこ?王さまの建寧殿へ?それとも王妃さまの鴛鴦殿へ?」
香菱に問われて、愛友は考え込んだ。
「王妃さまはいま禁足令を受けておいでだから、建寧殿に直接持っていったほうが……。いいえ、あくまでこれを受け取ったのは鄭女官なのだから、鴛鴦殿にまず渡したほうがいい。そうすれば、建寧殿に届けられるはず」
「それで大丈夫なんですか?今度は王妃さまが証拠をでっちあげたと疑われない?」
香菱の疑義に黄女官はふっと笑った。
「ええ、私たち建寧殿づきの者が証人になるから問題ないわ。それに、この冊子以外にも、主上は既に証拠を集めておいでになるはず」
「ねえ、証拠の品ってその艶本も入るのかい?ちょっとそれは……」
朗朗の引き気味の態度に、鈴玉は思わずにやついたが、そこで大変なことに気が付いた。皆に気づかれぬよう腕を伸ばして枕の下を探ってみたが、王から下賜された艶本がない。
――あら?
確かにここに隠した筈なのに、影も形もない。自分が捕まったあと、ここもきっと捜索されただろうから……でも、それにしては誰も何も言ってこないのは、なぜ?
焦る鈴玉は同室の香菱に聞こうとしたが、他に人もいることもあって思いとどまった。その香菱は冊子をまた包みながら、
「鈴玉も元気が戻って来たようね。朗朗はあきらめなさい、この艶本も立派な証拠の品なのよ。じゃあ、私と黄女官がすぐ鴛鴦殿に持っていくから、謝内官と湯内官は鈴玉と留守番を……」
「待って!」
声を上げたのは鈴玉である。
「私も鴛鴦殿に行く、だってそれをもらったのは私なんだから……!」
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