第47話 拷訊推鞫

――鈴玉や。我が家は確かに貴族の家系といえども、貧しい。だが、貴族というのは、ただご先祖さまの功績のうえにあぐらをかいて、王さまから特権を授かり、ぬくぬくと暮らすために存在するのではない。たとえ貧しくとも道理をわきまえ、主君に忠節を尽くし、仁愛をもって人に接し、そして公明正大であれば、ご先祖さまに顔向けできぬということはないのだよ。これこそ貴族の本分であり、お前も貴族の娘なのだから……。


――でもお父さま、そうは仰ってもない袖は振れません。いくらありがたい経書の教えでも、それでうちのお釜にご飯が湧いてくるわけじゃないんですよ?

――鈴玉、私の言いたいのは、そうではなく……。

――貧しくとも貴族は貴族? こんなに貧しかったら、貴族なんて名乗るのも恥ずかしいわ。お父さまが後生大事になさってる教えも、偉い学者先生が仰った素晴らしいことも、お腹の足しになどなりはしないでしょう?

――鈴玉!何てことを……。


 意識が戻ってきたとき、激しく鈴玉は咳き込んだ。自分の目と言わず鼻と言わず、水や涙、涎が入り混じったものがだらだらと流れている。だが、彼女が息をつく暇もない。


「さあ、言わぬか!王妃の指図だと。言わねば、そなたをこのまま責め殺すぞ」

 自分の頭上から恐ろしい声が降ってきたかと思うと、髪を乱暴に掴まれ、頭ごと大きな水がめの中に突っ込まれた。口と言わず鼻と言わず、水が容赦なく入ってきて地獄の苦しさである。

 口から空気がぼこぼこと漏れ、やがてそれが尽きてもなお顔を引き上げてはくれない。頭ががんがんと割れるように痛み、視界が真っ赤で何もが見えない。


――ああ、このまま殺されるのね、私。いいわ。王さまは私に「王妃をよろしく頼む」とお命じになった。そして、あの艶本の結末は、愛麗が節を守って想う人に殉じる……私はまったく気に入らない終わり方だけど、こうなったら愛麗役になって、王妃さまのため、きれいさっぱりこの世から消えてやろうじゃない。


 ふっと、脳裏にひとつの映像が結ばれる。初めに会った時と同じ、躑躅つつじの花に囲まれ穏やかに笑っている秋烟と朗朗。


――ねえ、秋烟。あなたが書いた結末は、自分を映した悲しい恋の話、それだけ?それとも密かに政争も風刺してたの? 朗朗、あなたは秋烟の気持ちに気づいてた?二人の答えを知りたかったけど、もう、それも無理ね……。


 意識を失う寸前で顔を引き揚げられたと思うと、石畳に転がされた。さっきから何度同じことをされただろう。ぜいぜい息を荒げる鈴玉は背中をしたたかに蹴られ、鋭い悲鳴を上げた。そこはつい先ほどまで、血がにじむほど笞で叩かれた箇所だった。


 だが、芋虫のように転がりながらも、鈴玉は歯を食いしばり、上目遣いで尋問役の武官を睨みつけた。薛伯仁はこの場にはいない。

――やっぱりそうね。一番汚いことは人にやらせる、それが卑怯なあいつの手口だもの。

「ふん、綺麗な顔をしてるくせに、しぶとい女だ。さっさと言ってしまえば楽になるのに、まったく手間をかけさせてくれる」

――でも、確かに不思議よね。なんで私、こんなに意地を張って頑張ってるんだろう。王妃さまのため?自分のため?それとも単にこんな連中の思う壺になりたくないから?


 また、別の記憶のかけらが頭をよぎる。やはり最初に宦官二人に会ったとき。後苑は花々で彩られていた。芍薬、紫陽花、そして名前も知らぬ白い花。


――あの花の名前は、何だったっけ。あのあと秋烟に聞いたような気もするけれど、もう忘れちゃった。名も知らぬ花、路傍の花。でも、それだって花には違いないわ……。路傍の花でも、花は花。零落しても貧乏でも、貴族は貴族。


「手間をかけたくないなら、さっさと腰の剣で殺せばいいでしょ!……それともそれはただのお飾り?はっ、武官さまですって⁉ ちゃんちゃらおかしいわね、しょせん張り子の虎でしかないくせに……」


 虫の息で、しかし最後の気力を振り絞って鈴玉が噛みついたところ、今度は肩を蹴飛ばされた。ぐるりと回転する視界、その隅に映ったのはいつからそこにいたのか、白い花のように可憐な女性。小づくりな顔、赤い唇、白っぽい服。視界が霞んで良くは見えないが、自分にも似ているような、王妃にも似ているような面立ち……。

 彼女は鈴玉の凄惨な姿を見てか、それとも彼女の怒鳴り声に驚いてのことか、びくりとすると後ずさりになり、ぱっと身を翻した。


――今のは何?私を憐れんで、天帝さまが遣わした花の使い?私の魂魄こんぱくをあの世に案内してくれようとしてるの?

 また、父の弱々しい笑顔が脳裏をちらつく。鈴玉はふっと微笑んだ。


――主君に忠節を尽くし、仁愛をもって人に接し、そして公明正大であれば……お父さま、やっぱり私はお父さまの娘、貴族の娘でした。あんなに馬鹿にしていた経学の教え、でも結局はそれに逆らうことはできなかった。そして、ごめんなさい。親不孝な娘は先立って死ぬことになりそうです。せっかくの綿入れもお贈りできないまま。ああ、後はお父さまにも累が及ばぬように祈るだけね……。


 どれだけ時間が経ったのか、次に意識を取り戻したとき、鈴玉は依然としてうつ伏せになったままで、武官のつま先で頤をぐいと持ち上げられていた。

「ふん、薄汚れて腫れてもいるが、やっぱり美人だな、お前は。叩かれようが水責めにしようが口を割らんのは見上げた根性だが、こうしてやればきっとしゃべりたくなるぞ」

 そして、侍者に目配せすると、あるものを持って来させた。それを目にした瞬間、鈴玉の顔色が変わった。


「や、やめて……」

 語尾が震えて消える。眼前に差し出されたのは、真っ赤に灼けた火かき棒。

「これでちょいと撫でさすってやったらどうなるかな……、お前のご自慢のかんばせがさぞかし面白いことなるだろうな。顔が終わったら、今度は指の爪だ。一枚いちまい剥いでくれる」

「それだけは……いや」


 怯える女官を前にし、嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべる武官が、段々火かき棒を近づけて来る。鈴玉は逃れようとしたが、別の兵士に身体を抑え込まれてしまっていた。熱気が頬に当たり、息が詰まる。室内に、鈴玉の絶叫が響いた。

「い、いやーー!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る