第33話 朱鳳門外
そういうことで、ふたたび鈴玉の鴛鴦殿での勤めが始まった。といっても、彼女は自ら得意とする衣裳係ではなく、最初のように
――上手く行こうと行くまいと、一度は器皿係に戻す。何事もやりかけはよくないから。
という、以前の王妃の言葉に沿うものであったが、鈴玉が少なからず落胆したのも事実である。
――衣裳係、あと後苑の仕事に戻りたいのに。
とはいえ、一度は冷宮送りになっておきながら王妃づきに復帰できたのは、それだけでも運が良かったといわなければならない。
――仕方ないわ。ここで頑張ってみせて、また衣裳係に戻してもらおう。
そんな彼女を横目で見ていた香菱は、王妃の朝餉が済んだ後、皿の割れや欠けを点検している鈴玉につと近寄り、囁いた。
「この頃、前のように皿を割ったり、椀を欠かしたりしなくなったわね。手つきが慎重になって。やればできるじゃない」
鈴玉は肩をそびやかした。
「見くびらないでよ、私の実力に今頃気が付いたの?」
「あらまあ、冷宮送りになったら少しは大人しくなるかと思ったのに、かえってひどくなったわね」
香菱は呆れた表情で、相手の反論も聞かずに行ってしまったが、鈴玉がその程度で矛を納めたのは、いまは後苑の仕事を香菱に委ねているという負い目があったからである。
鈴玉は皿をしまい終わると、息をつく間もなく、今度は同じ鴛鴦殿で事務を行う女官の詰め所に行った。これも王妃の意向で、書類のやり取りや他部署への使いの作法などを覚えさせられているのである。
書類仕事の類は鈴玉が苦手にすることの一つで、ずっと座っているとお尻がむずむずするくらいに嫌いだったが、仏頂面を途中に挟みつつ、四苦八苦の体で何とか日々をしのいでいた。
「鄭女官、この書簡を
しかめ面で書類をめくっていた鈴玉は声をかけられ、先輩女官から黒塗りの函を受け取り、鴛鴦殿を出た。ほんのわずかな時間でも、座り仕事から解放されるのは嬉しかった。
通天門とは、鈴玉たちのいる内廷から行って、外朝の入り口にある門のことで、ここには取次役の宦官達がおり、内廷からの外朝への書簡や使いを全て集約している。
そして、内廷の入り口である
そんなわけで、鴛鴦殿の割符を朱鳳門に見せ、朱鳳門の割符を受け取って……という面倒な手続きを踏んだ後、鈴玉は通天門に向かったが、ほどなく自分の行く手に、
鈴玉はとくに気にも留めず、彼の脇を通り抜けようとしたが、偃月刀が空を切り、鈴玉の目の前で静止した。かなり上のほうから、威圧的な声が降ってくる。
「女官、いまここを通ってはならん。出直せ」
鈴玉は眉を鋭角的に上げて相手を睨みつけた。彼は、いかめしい容貌で歳は三十ちかく、背は優に六尺を越えているだろう。
「何言ってるの?割符を持ってるのよ、私は。どいてよ、早く通天門まで行きたいのに」
軽い武装をしたその武官は頬をぴくつかせ、鼻を鳴らすと偃月刀を引き、どん、と
「とにかく今は駄目だ、出直せと言ったら出直せ」
鈴玉も負けじと鼻を鳴らす。
「ふん、背高のっぽも結構だけど、ひとりでかさばってるんじゃないわよ。私を誰だと思ってるの?鴛鴦殿づきなのよ。つまり、私の御用は王妃さまの御用だってこと、わかった?わかったら、とっとと……」
武官はそれを聞き、皮肉交じりの笑みを浮かべる。
「これはこれは嫦娥さま、王妃さまの御用が何だって?こちらは…」
「やめよ、
いけすかない武官の背後から、声が飛んできた。途端に彼は姿勢を硬直させ、脇に一歩退く。なので鈴玉の眼に、武官がいままで隠していた光景が飛び込んできた。
やや離れたところ、その空間を東西に貫く小さな川。全部で三本の橋がかけられているが、東側の最も狭い橋の上に、誰かがいた。紫色の袍に銀の刺繍、後方にはわずかな数の宦官と女官たち。その人はきりりと引き締まった顔に微笑――いや、苦笑を浮かべて、鈴玉と武官を見ている。
「鴛鴦殿の者、苦しからず。近くに参れ」
――王さま!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます