第31話 隣の囚人

 声だけではなく名前ですら男のようなその女性は、王の身辺をお守りする禁衛府の下働きだと、自らの素性を明かした。そのうえで、

「ふーん?あんた、女官?で、王妃さまの御殿づき?じゃあ、あたいとは身分違いだね」

 と、さほど興味のなさそうな返事をよこした。

 確かに、女官ではなくただの下働きは、王宮のなかでも最下層の身分ではある。


「王妃さまの御殿づきといえばお仕えしているのは粒ぞろいなはずなのに、なぜこんなところにいるの、あんた?」

 相手の物言いは鈴玉の心をぐさりとさした。

「ふ、ふん……いちおうこれでも貴族のはしくれよ」

「おきぞくさま?ふうん、それで?」

 小鼻をぱんぱんに張って威張ってみたものの、相手にとっては見えもしないし、第一どうでもいいことのようである。


「……まあ、いいわ。貴族は貴族だけど実家は没落してるし、たしかに鴛鴦殿づきの女官でも、そこから零れ落ちたいびつな粒なのよ、私は。冷宮に来たのは、艶本を回し読みしたのがばれて……艶本、読んだことある?」

「エンポン?何だいそれ?」

「艶本、男女の営みのことが描いてあったりする。知らないの?あれだけ回し読みしているのに」

「だって、あたい、ほとんど字が読めないもん」

 女官となる条件には読み書きが必須だが、下働きはその限りではない。


「でもあなたは、どうして冷宮送りに?禁衛府で何かしたの?」

 それを聞くや、白雄はと大笑いした。

「何だと思う?お上品そうなあんたには言ってもわかんないかな」

「言いなさいよ」

「ば・く・ち。賭博、わかる?下働きの部屋で賭場を開いてたの、あたいは」

「賭博!?」

 鈴玉は仰天した。

「だって、あなた……歳はいくつよ?」

 声のせいで年齢不詳となっているが、自分よりは年上だろうと鈴玉は見当をつけていた。

「二十さ」

「じゃあ、あなたのほうが三つ年上ね。でもそんな若くて、ご禁制の賭場なんて宮中で開けるの?しかも女人なのに」

 また馬鹿笑いが返ってくる。


「あんたさ、男女や年齢じゃないよ、こういうことは。ちゃあんと禁衛府で賭場を開いてたさ、『禁衛のおしろ』といえば、あの界隈じゃみんな知ってる。男だって何だって、あたしの賭場じゃ大人しくしてもらってるさ」

「はあ……」

 さしもの鈴玉も、すっかり度肝を抜かれてしまった。

「で、でも、どうして捕まったの?賭場のことがばれたからでしょうけど」

「ああ、それがさ!」

 いきなり、白雄の声が雷のように冷宮に落ちた。それだけでなく、怒りのあまり石壁を殴りつけたのか、鈍い打撲音と「いてててて」という呻き声もついてきた。

「種なし野郎があたしの賭場でいかさまをやらかしたんだよ!!」

「種なし?」

 一拍置いて、鈴玉は「宦官」のことだと理解した。


「そいつはいかさまを働いたばかりか、責めるあたいを前にしても、へらへらへらへらしてた。んで、あたいも腹が立ったんでつい殴りかかって、股間もついでに蹴飛ばしちゃってさ、そのまんま追い出してやったよ、胸糞の悪いったら。それにしても、普通の男に股間への攻撃はきくんだけど、宦官にも有効なのかね?ああいうの」

「さあ?」

 思わず真剣に考えてしまう鈴玉である。

「そしたらさ、そいつはでっかい後ろ盾があるもんで、あたいを逆恨みして密告しやがった。で、ここに放り込まれんだよ」

「そう……」


 鈴玉は納得したが、白雄の次の言葉に耳がぴんとなった。

「あいつ……ここから出たら只じゃおかねえぞ、薛伯仁せつはくじん‼」

「薛伯仁⁉」

 では、賭場でいかさまを働き、胴元を怒らせたのは薛伯仁、まさかここで彼の名が…!

 ――それで、賭博なんかもやってて、明月の俸禄を使い込んでいたわけね。納得だわ。本当に、どうしようもないというか、大した兄さまだこと。

「薛の野郎を知ってんのかい、あんた」

「……ええ、錦繍殿の宦官でしょう」

「そうだよ、後宮いちの食わせもんだよ、あいつは」

 鈴玉はそれについては異議を唱えるどころか、大いに賛同するべきところだが、ひとつ気になることがあった。


「ねえ、でも、賭博なんていったら、艶本よりも重い罪でしょう?なんで殺されたり、王宮から追放されたりってことにならないの?」

「お役人が安心して博打を打てるのは、王宮の禁衛府しかないからね。街中よりも危険が少ないから、人気が出るんだよ。だから、みんな『承知の上』てこと。下手にあたいを告発すれば後始末が大変だし、そうなっても、これから先も宮中で無事に生きていきていけるのか、わかんないからね」

「というと?」

「あたいの親父は、なんていうのかな、都城の『顔役』みたいなものなんだよ。お役人があたしに何かしたら、宮中の外でどうなるかくらいはあいつらもわかってんのさ。ただ、伯仁の野郎にとってあたい達一家は目障りらしくてね」

「なるほどねえ……」

――艶本騒動のときと、同じね。艶本も賭場も、以前からの公然の秘密だったのに、密告して騒ぎにし、邪魔者をつぶすというわけ。

 ふと気が付くと、昼日中だと思っていたのにもう日差しは傾いている。誰かと話すことで、冷宮暮らしの闖入者ちんにゅうしゃによって、鈴玉はひさびさに人間らしく生きた気がした。


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