第29話 王妃の断

 女子にあるまじき胡坐あぐらをかき、後ろの宦官たちをかばうように両手を広げ、鈴玉は声を張り上げた。


「しかも、嫌がる彼らに催促して無理やり書かせたのは私です!罪を問うならば私一人にしてください!」

 鈴玉は目の前のことに夢中で、王妃が無表情ながらに眉を上げたのにも、香菱が「あの馬鹿むすめ」と小さく呟きざま、両手で自分の顔を覆ったのにも気づきはしない。

「なっ……」

 あまりの成り行きに、朗朗も秋烟も仰天して声も出なかったが、我に返ったのは朗朗のほうが先だった。


「宦官長、鄭女官は嘘を言っています!彼女は俺達に無理に書かせてなどいません!俺達をかばうために……」

「そうです、鈴玉は今回の件には関係していません……」

 一拍遅れて、秋烟も言いつのる。鈴玉も興奮してひたすらに何ごとかを叫んでいるので、養徳殿の庭は大混乱となっていた。


「お前は確か、鴛鴦殿の女官だな。ええい、うるさい!うるさい!」

 宦官長はびしびしと空で鞭を鳴らすが効果はない。人の輪からは、まるで蜂のはばたきのように叫びやざわめきが湧いている。

 その時、王妃が動いた。彼女はすっと立ち上がり、辺りを見回した。「睥睨へいげい」といったものではない、だが彼女が視線を正面に戻すまでに、その場の者は大人しくなったばかりか、みな片膝をついて拝跪した。


 林氏は宦官長に頷き、また椅子に腰かけようとしたが、そこへ近寄ってきた中年の宦官がいる。高園こうえんという王の宮殿づきの副宦官長で、かねてより呂氏の錦繍殿と密接な結びつきを噂されている人物である。彼は上目遣いに王妃を見て、姿勢を低くした。


僭越せんえつながら、宦官だけではなく鴛鴦殿の女官もこの件に関わりありやなしや、後宮の監督に任ずる我ら宦官にも手に余る問題となりましてございます。かくなるうえは、後宮を統べる御方のご裁断を賜るべきだと考えまするが、いかに……」


 そして、薄ら笑いを浮かべながら、皆のほうへ向き直った。

 鈴玉は、自分がこのように飛び出して行ったことで、王妃に大きな迷惑がかかっているらしいことはわかった。鴛鴦殿の女官がこの艶本騒動に関わっていた、それが白日のもとに晒されたので今や王妃の面目は丸つぶれ、しかも高園はこの処分を王妃に委ねるとみせかけているが、もし宦官二人と子飼いの鈴玉の処置を誤ったとならば、王妃の威勢はさらに衰え、呂氏の勢いが増すことになる。むろん、高園の真意はそこにあるだろう。


 そこまで思い至り、さすがの鈴玉もいたたまれずに視線をそらしたが、ふと、人の輪のなかに鸚哥いんこを見つけた。読者を問われたときに、名乗り出なかった友人。彼女は自分と眼が合うと、引きつったような、笑んだような微妙な顔つきになり、後ずさりにさがって見えなくなった。そして、彼女がいた隣には、薛伯仁せつはくじん。彼は口の端を上げ、いかにも楽しそうに鈴玉を凝視していた。


――あいつ!あの腐れ宦官!


「宦官長。副長はかく申しているが、それで良いのか?宦官の長はそなたです。そなたの意をききたい」

 王妃に問われた劉健は、やはり御前で拝跪した。

「臣らは、王妃さまのご高配を仰ぎたく……」


 王妃はふっと息をついたが、そこへひとりの小宦しょうかん、すなわち宦官見習いが馳せてきた。少年は王妃に拝礼すると、何かを渡し、耳元でひそひそと申し上げた。林氏は頷いてみなに向きなおる。

「いいでしょう、では私がこの三人につき判断を下すゆえ、皆はよく従い、いささかも遺漏および違犯のなきように」

 秋烟と朗朗がまっさきに頭を床につけ、鈴玉も慌てて身を低くした。


「艶本を書いたと称する宦官は二人とも杖刑じょうけい百とし、後苑の職務は免じる。なお、代わりの職務は宦官長が差配せよ。また、読んだと称する鴛鴦殿の女官は冷宮に送る。ただし、三人ともに宮中からの追放はせぬものとする、以上」


 決して大きな声ではないが、王妃の命令は殿庭の隅々まで届いた。


――冷宮送り!!


 鈴玉の顔から血の気が引いた。秋烟と朗朗も、鈴玉がここまでのとがを課せられることになるとは思わなかったようで、顔を見合わせた。

「恐れながら王妃さま、大罪を犯したこの三人、最低でも後宮を追放にせねば、王妃さまの威厳を損ないましょう。そのようにご処分が軽くては…」

 高のへらへらとした抗議に、林氏は微笑んだ。


「判断を私に任せるとは、そなた達の申したこと。それに、杖刑も打ちようによっては死に至るおそれもあるし、また女官にとって冷宮送りはそんなに軽い罰であろうか?第一、このたびの艶本騒ぎ、読んだ者が一人だけということはあり得ぬでしょう。あまりこの者達を責めると、今度はが火傷するのでは?」

 穏やかだが反論を許さない口調、言葉の端々に込められた含意がんいに、副宦官長も黙らざるを得ない。そして、この輪の中にいる「読んだ者達」であろうか、互いに目配せしたり、気まずそうな表情をする女官や宦官が散見される。


 王妃はこれ以上の反論が出ないことを確かめ、頷くと袖をひるがえして立った。一同が最後の拝跪をするとき、ただ鈴玉だけが顔を上げて林氏を見上げており、王妃もまた、自分の女官に視線を据え、しばらくの間そのままでいた。

 

 そして、王妃が引き取ったあと、鈴玉が監督の女官達によって引き立てられる直前、秋烟は鈴玉を心配そうに見た。

「僕達をかばってくれて有難かったよ、でも、君が冷宮送りだなんて……」

 鈴玉はというと、つんとして明後日の方角を向いたままである。

「あら、あなた方のためじゃないわ。両手を切り落とされたら、もう小説も書いてもらえるかわからないじゃない。それより大事なのは、あの小説の結尾が気に入らなかったこと。最後は大団円となると聞いてたのに、何よ。命は助けられたのだから、とっとと書き直してよね」


 ついで、鈴玉は、蒼白な表情で駆け寄ってきた香菱を横目に見て、盛大に鼻を鳴らす。

「……香菱も、師父も、大嫌いよ」

「鈴玉」

「どうせこんなことになるなら、あの時あなた達の言うことなんか聞いていないで、あっちに殴り込みをかけてせいぜい大暴れしておくんだった。もう、二度と信用しないから」


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