第28話 艶本処分

 鈴玉が養徳殿の庭に駆け込むと、そこにはすでに宦官やら女官やら、とにかく大きな人だかりができていた。

「お願いだから通して……!」

 鈴玉はその分厚い人の輪に、持ち前の強引さを発揮して割り込んでいく。

「ちょっと、痛いじゃない」

「押すなよ、ずいぶん乱暴だな」

 自分に対する舌打ちや罵りをものともせず、彼女は最前列に這い出た。真ん中の空間には、謝朗朗が御殿の方角に向かい、身体に縄をかけられて引き据えられていた。だが、鈴玉には後ろ姿を見せていたので、彼の表情まではわからない。


 朗朗の前には、宦官長と副長、女官長をはじめ、職位の高い者がずらりと居並んでいる。

「謝内官!では、そなたはこの艶本をただ一人で書いたと申すか!偽りを言うでない」

 艶本を振りかざし、額に青筋を立てて宦官長の劉健りゅうけんが怒鳴っている。が、朗朗は凛とした口調で「ただ一人で書きました」と言ったきり、沈黙を守っている。

「我等を欺けると思うか!そなた達の寝室を捜索したとき出てきた抄本しょうほんは、二人の筆跡が見える。もう一人の名を答えよ!おそらく湯秋烟であろうが?調べればすぐにわかるのだぞ」

「いいえ、湯内官ではございません」


――そういえば、秋烟はどこに!?


 鈴玉は辺りを見回したが、彼の姿はどこにも見えない。

 不敵とも思える朗朗の返答に対し、太っちょの宦官がずかずかと近寄り、細長い板で思い切り背を打ち据える。朗朗は一声呻いて、身体を前に崩した。人だかりからどよめきが上がる。

「謝朗朗!!ご禁制の艶本をぬけぬけと書くという重罪を犯したうえに、いい度胸だ。あくまで口を割らぬとあらば、ここで責め殺してくれる……」

 宦官長の脅しは本物で、やるといったらやってのけるだろう。鈴玉は息をのんだ。

 そこへ――。


「お待ちください!」

 横合いから秋烟が進み出てきた。彼の表情は鈴玉のほうからも良く見えた。唇を噛みしめ、決死の覚悟と見える真剣な光を、切れ長の両眼に宿している。

 秋烟は朗朗の脇に跪き、叩かれた背をやさしく撫でさすってやると、一歩退いて両膝をつき、深々と敬礼した。その所作は見事で、見守る人々からはため息が漏れたが、「挙措の優雅さにおいて、湯内官の右に出るものなし」と宮中で謳われるのも、もっともなことであった。


「馬鹿っ、こんなところに出てくるんじゃない……」

 朗朗に責められても顔色ひとつ変えず、秋烟は身を起こし、ひたと正面を見据えた。その冷たく燃える気迫が辺りを払う。

「このたびの艶本を巡る騒動、罪は全て私にあります。私がひとりで書いたものに相違ありません。謝内官は無関係です。どうかお信じいただいて、謝内官の放免と私への懲罰を願いあげたてまつります」

「うぬ、こやつめ……二人して宮廷を愚弄するつもりか、許さん!」


 劉健は頭から湯気を出して怒鳴り散らしている。そこへ、

「王妃さまのおなーりー」

と先触れの呼ばわる声がして、鈴玉の主人が香菱たち女官や宦官を引き連れ、姿を現した。王妃は後宮の統轄を第一の任とするのだから、この場にいても当然である。

 

 だが、宦官長や女官長は先方に知らせていなかったようで、慌てふためき周囲を見回した。想定外のことゆえ、この場には宝座も用意していないのである。しかし鴛鴦殿側は既に心得ていて、明月が持参した折り畳みの椅子を開いて南向きに置き、王妃はそこに宝座のごとくゆったりと座る。


「宦官への重大な仕置きがあると耳にしたゆえ、足を運びました。宦官長と女官長は、おそらく私に告げる必要がないと判断したのでしょうが、宮中を揺るがすような罪とあらば、私も後宮の長として関わらぬわけにはいかぬ」

宸襟しんきんを騒がせたてまつり、恐縮に存じ上げます。何も王妃さまに知らさずに置こうと思ったわけではございません。どうか、お許しのほどを……」

 倉皇そうこうとして頭を下げる劉内官をちらりと見やり、

「むろん、許しましょう。そなた達の衷心ちゅうしんを、疑うべくもない」

と王妃は微笑んだ。その場には、痛いほどの沈黙が満ちる。

「さあ、処分を下すのであれば遠慮は要らぬ、そなたはそなたの役目を果たすがいい」


 王妃に促されて宦官長は咳払いをした。

「恐れ入ります。ですが、その前に……この度の艶本につき、書いた者だけではなく、読んだ者もまたいた筈だ。しかも、相当数の者が回覧に関わっていたと聞いている。読んだ者は正直に名乗り出よ!」

 その言葉は、鈴玉の心臓をぐっさりと串刺しにした。何か言おうか、何かをしようかと思っても、金縛りにあったかのようにできない。かねてより自分も艶本の読者だと噂になっていたから、何人かの視線がこちらに注がれているようにも感じる。

「おらぬのか!誰も読んではいないと……?そんな筈はないが、ふん、まあ良い。みな職位や命が惜しいと見える」

 宦官長は朗朗と秋烟の前に立ちはだかり、二人を見下ろした。


「では処分を申し渡す!湯秋烟よ、そなたの言い分を聞き届けてやる。こやつが二度と筆を持てぬよう、両手首を切り落とせ!そのうえで宮中からながの追放を命じる!」


 さすがに、秋烟の白皙はくせきの顔に動揺が走った。朗朗は縛られたまま、膝で宦官長ににじり寄る。

「お、お待ちください。手首を切り落とすなら俺のを……秋烟は無関係です!」

 だが、宦官長に鞭を振るわれたばかりかあえなく足蹴にされ、虫のように転がった。

 さらに、手に剣を持った宦官二人が輪の中になだれ込んできて、秋烟を突き飛ばすと足で両手首を石畳に抑えつけ、ぎらりと手にしたものを抜く。殿庭のほうぼうから悲鳴が上がった。


 もう逡巡していられなかった。鈴玉は空間の真ん中に突進した。そして、劉健と秋烟たちの間に割り込むと、どっかり座りこんだ。


「お待ちください!私は艶本の読者です!!私こと鄭鈴玉は、最初の一冊から最後の一冊まで余さず読みました!」

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