第27話 終の一冊
鈴玉は、師父にうっぷんの捌け口も封じられた形となり、憤懣やるかたなかったが、朗朗の
「ここで取り乱したりすれば、かえって先方を喜ばせるだけだよ。何事もなかったかのように振る舞うんだ。花は僕たちのを分けてあげるし、畑も手伝ってあげるからさ」
との忠告に、それもそうだと気を取り直した。
――いまは牙を研いでるだけにしておくけど、いつか見てなさい。こんなことで、私が落ち込んだり、震えあがったりすると思ったら大間違いよ。
とはいえ、林氏には尋常ならざる態度を見抜かれたようで、いつものように差し出された生花の髪飾りと鈴玉の顔を交互に見て、
「どうしたの?この頃、顔色も冴えぬような……」
と問われたときには、「何でもありません」と返したものの、鈴玉は冷や汗をかいた。畑のことは王妃には言わぬよう香菱にも口止めしておいたが、何となく、このことは主君には知られたくなかったのである。
そして。
だんだんと秋も深まり冷え込んできたその日の朝、鈴玉は一晩中当直だったので、夜明けとともに自室に帰り、寝床のなかに丸まったまま、うとうととしていた。
「鈴玉……鈴玉!」
呼ばれた女官はうーんと唸って、寝返りを打った。
「うるさいわねえ……やっと戻って来たんだから。寝かせてよ……
耳を塞ごうとしたところ、ふっと自分の上に載っていたものが軽くなり、寝衣いちまいの身体がいきなり冷気にさらされた。
「――!!」
布団をはぎ取られた鈴玉は文字通り飛び起き、反射的に相手を睨みつけた。
「香菱、私に何の恨みがあって……」
抗議の声を黙らせるべく、香菱は一冊の本を鈴玉の顔に押し付けた。
「わっ……何、何?」
手に取ると、あの艶本だった。しかも、彼女が待ちかねていた最終巻。鈴玉は半ば呆然と、書物の表紙を見下ろした。
「どうして、いまこの時に……」
香菱は肩をすくめた。
「謝内官がやってきて鈴玉に渡して欲しいって。もしかして彼が艶本の作者だったの?知らなかったわ。何だかすぐにでも読んで欲しいような口ぶりで…」
鈴玉はその質問には答えずに寝台を飛び降り、扉を開けたが辺りには人がいない。
「あなたはまだ寝てるし、渡そうとしてるものはあれだし、一度お引き取りを願おうかと思ったんだけど、急いでいるようだったから…」
――最終巻は、秋烟が書いていたはず。でも、私に真っ先に読んでもらいたいと思っても、なぜわざわざここまで、しかもこんな時間に来たんだろう。いつものように、後苑で渡せば済む用事なのに。
香菱が鴛鴦殿に行ってしまった後、ひとり残された鈴玉は、寝台に腰かけぱらぱらと葉をめくってみた。
「『その晩、子良は楼に宿り、愛麗と一夜の歓を尽くしましたが、彼の様子は何かを振りはらうかのように、荒々しく切羽詰まったものでした。愛麗は彼の激しい愛撫を受けながら、背に回した腕に力を込めましたが、そうでもしないと、彼がどこかに消えてしまいそうな予感に襲われたからなのです。……』」
確かにいつもの艶本、待ちかねた一冊ではあるのだが、どことなく筆致が異なる。
「『愛麗は、官憲に捕らわれた子良が心配で心配でなりません。子良がおびき出されたのも、自分との
そして、鈴玉の、字を追う目線がだんだんと早いものになっていった。
「……彼女は決心すると、まず卓上の小刀を取って、愛用の琵琶の弦をすっぱりと断ち切りました。次に、最も華やかな気に入りの服を出して、身にまといます。藤色の上着に、藤の刺繍。若草色の帯。初めて子良が登楼して相手したときも、愛麗はこの服を着ていましたが、彼は口を極めて彼女の艶姿を褒めてくれたものでした。そして、いまの季節も藤咲くころ――。
愛麗は楼を抜け出し、城下の南西の方角に向かいました。城を出て
「……違うわ」
そこまで読んで、鈴玉はつぶやいた。秋烟は話の結末として、大団円と決めていたはず。なのに、何故こんな唐突で、しかも悲しく救いのない結末にするのか――。不吉な予兆におののきつつ、首をひねる彼女の耳に、外の廊下をばたばたと行き過ぎる数人の足音と、何事かを呼ばわる声が聞こえてきた。
「おおい、仕置きがあるぞ。宦官が捕まって、仕置きが行われるぞ!」
「
―――宦官……宦官⁉ 艶本!
鈴玉はいても立ってもいられず、寒さも忘れたかのように慌てて着替えると、散らかった寝床はそのままに、養徳殿に向かって走り出した。彼女の脳裏を、いつぞやの秋烟の言葉がこだまする。
――僕が小説を書く理由は何だと思う?自分が女性になったつもりで、朗朗のような男性からの愛を受けてみたいと思うからなんだよ。
では、この結末は……!!
「秋烟……朗朗!」
猛然と後宮を走り抜ける彼女は、まるで一陣のつむじ風のようだった。
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