第22話 朗朗快活

 鸚哥いんこは、自分の主人が鈴玉を引き留めたことについて、つっかえつっかえ柳蓉りゅうように口上を述べおおせると、鈴玉に「じゃあ」と手を小さく振り帰って行った。

 

 さらに、柳蓉から報告を聞いた林氏は鈴玉を御前に呼ぶと、変わらぬ優し気な表情を向けてきた。

「呂氏と話をしたとか……何を聞かれた?」

「ええと、私をご自分の御殿に召し抱えたかったと」

 鈴玉は鸚哥の腕輪の件でしていたので、半ばやけばちになって正直に答えた。

「ほう……」

 林氏はゆっくりと口の端を上げた。

「ふふふ、なるほど。華やかな花園には、より華やかな花を植えて愛でたいものでしょう。鈴玉、そなた、錦繍殿へ移りたいと思ったか?」

「えっ……」

 思いもかけぬ話の転がり方に、鈴玉は眼を丸くした。

「移りたく思えば、いずれは移っても良い。でもまだまだ、鈴玉は我が殿で修業しなければ……だから、今は叶わぬ」

「はあ」


 そのまま林氏に下がるように言われ、そのわずかに不可解な態度に首をひねった鈴玉は、回廊の角を曲がったところで足を止めた。付近の建物の陰からぼそぼそと話し声が漏れている。


「まあ、じゃあ明月めいげつ。あなたのお兄さまはまた、あなたが渡した俸禄を使い込んだの?」

「……ええ」

 涙でも流しているのか、くぐもった声は明月のもの、そして相手は香菱だった。

「私がこういうことを言うのも何だけど、お兄さまはこれで何回めよ?あなたからお金をせびり取っていくの」

 それには答えず、代わりに漏れてきたのはかすかなすすり泣き。


「どうしよう、如月じょげつ――私たちの妹は綿入れも持っていないのよ。これから秋があっという間に過ぎて、冬が来るというのに。家族への仕送りも思うに任せない、こんな状態では年を越すのも……」

「だから、あのお兄さまときちんと話して、もうお金のことで迷惑をかけないと約束させなさいよ」

「でも香菱、そうできたら苦労はないわ。兄ったら錦繍殿きんしゅうでんづきということを鼻にかけ、やりたい放題なんだから。たとえば……」


 立ち止まって、聞き耳を立てていた鈴玉は「錦繍殿」という言葉にどきりとした。鸚哥以外の宦官や女官は記憶にないが、呂氏との邂逅かいこうのとき、いずれかがその兄上だったのだろうか。


――明月も苦労するわね。

 彼女に対して、もとから良い感情を抱いている鈴玉は、足音を忍ばせてその場を離れた。



 自室に戻った鈴玉は一息つくこともなく、今度は懐に薄い冊子を忍ばせて後苑に出かけていく。

 大きな奇岩の脇では、謝朗朗しゃろうろうが地面にむしろを広げ、庭仕事の道具の手入れに余念がない。

「やあ、鈴玉。久しぶりだね、どうした、『怠けの鄭女官』は返上かい?」

「何よ、その挨拶は。『怠けの鄭女官』?」

 朗朗は白い歯を見せて笑った。

「うん、皆が君のことをそう呼んでいたからね。でも、このところ姿を見せなかったから、真面目に働いてるんだと……」

「皆がみんな、私に勝手な名前をつけてるのね、失礼しちゃう。そうよ、ちゃんと働いていたわよ」

 鈴玉はぶんむくれたが、肝心の要件を思い出し、懐に手を入れた。

「はい、あなた達の本を読んだり『実技』を見せてもらったことについて、気が付いたことや感想を書き留めておいたの。読んで」

 朗朗は冊子を目にして喜色満面である。

「ありがとう、鈴玉」

 相手は肩をそびやかした。

「礼なんていいから、あと一冊でいまの物語は完結なんでしょ。早く書いてちょうだいな。今日はこれを餌にして、続きの催促をしに来たのよ」

 朗朗は手で自分の額をぽんと叩いた。朗朗の口調や言葉ひとつとっても、「朗朗快活」ではなかった、「明朗快活」という言葉がこれほど似合うものはない。まさに「名は体を表す」とは、このことを言うのだろう。

「それはそれはかたじけない。でも、完結部分を書くのは相棒の持ち分なんだよ。彼、決着のつけ方に悩んでるみたいでね」

 鈴玉は鼻から息を吹き出した。

「あともう少しで終わるのに、ここに来てお預けなんて、ひどいわ」

 彼女が抗議がてら戯れに冊子で朗朗をはたくので、朗朗は防戦せざるを得なくなった。

「ごめんごめん、いま秋烟は使いに出てるけど、帰ってきたら伝えておくからさ」


 鈴玉は秋烟の名を聞き、ふっと上目遣いに朗朗を見て、ためらいながら口を開いた。

「……ねえ、朗朗は秋烟のこと、どう思ってるの?」

「どうって?んん、彼は友達で同僚だよ、他に何かあるの?」

 笑顔を崩さぬまま問い返す朗朗は、鈴玉の言葉の含意など気づかぬようである。

「別に、何でもない」

 いきなりおかしなことを言うね、そんな感じで悪戯っぽく笑った朗朗だが長くは続かず、太陽が雲に隠されるときのように、ふっと表情を曇らせた。


「そういえば……鈴玉は外朝での不穏な動きについて、噂を聞いてるかい?」

 鈴玉は首を傾げた。

「外朝?噂?」

 外朝といえば、政治向きのことを指す。

「私は何も聞いていないわよ」

 鴛鴦殿では、林氏の考えで、滅多に政治のことは話に出ない。後宮が朝廷の政治に介入するのを避けるため、そして不用意に鴛鴦殿の意向が外に漏れるのを防ぐためでもある。

 鈴玉の言葉に、朗朗は半ば安堵したようだった。

「だったらいいけど。でも気を付けて。外朝が不穏らしいんだよ。これで政変か何かが起これば、僕たち後宮の人間も無縁ではないからね。特に鈴玉は鴛鴦殿づきなんだから」

「政変?」

「うん……。実は、最終巻をなかなか出さないのも、理由のひとつはそれなんだよ。皆が読んでくれているとはいえ、法度を破っていることには変わりがないからね。秋烟の筆が進まないせいもあるけど、出す間合いを計ってもいるのさ」


 政治の話は鈴玉にはぴんと来ず、あいまいに頷くほかはなかったが、朗朗が決していい加減なことをいう人間ではないことも知っていたから、彼の忠告を胸にしまっておくことにした。

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