第19話 咲く花は

 一旬いちじゅんの後、再び王妃は朝の身支度で眼を見張ることになった。


「これは……?」

 彼女が指さした先には見覚えのある衣装。しかし襟元の布地は取り替えられていた。やや濃いめの水色に繊細な花柄の刺繍。そして、残暑のなかにも秋立つ季節を感じられるよう、裳には茶がまさった臙脂えんじを配している。

「もしや、これも鈴玉が?」

 振り向いた主人に、鈴玉ははにかんだ。

「はい。あ、いえ、刺繍は繍房しゅうぼうの女官に頼んで……」


 王宮で最も刺繍の上手いその女官は、王妃の御用と聞いてもが高かったが、頼みに行った鈴玉は怒りをこらえにこらえ、あえて頭を下げたのである。人の風下に立つことを嫌う彼女にしては、上出来というべきであろう。

「でも、図案と配色はそなたの手で?」

「ええ、お似合いになると良いのですが」

 林氏が促すよりも早く、香菱が服を取り上げ、王妃の身体に着せかけた。そのまま香菱は背後に回って衣の中心を決め、鈴玉は慎重な手つきで襟元を調整し、紋様の図柄を合わせると同時に、ほっと息を漏らす。


――良かった。思った通りだわ。お顔映りが格段に……。


 無駄なついえを嫌う王妃の性格を考え、衣装を全部取り替えることはせず、その代わり単衣のつけ襟と、上着の襟元を替え、王妃の顔立ちに合うよう調整する。それだけでも、いつもの衣装が見違えるようになった。

「まあ、王妃さま、良くお似合いになります」

 帯結びに奮闘する鈴玉の脇で、前に回った香菱も感嘆の声を挙げ、帯の結びを手伝う。帯の配色、帯に回す飾り紐、そして佩玉に至るまで、みな鈴玉が配色を慎重に考えたものである。仕上げには、いつものように生花で作った髪飾り。


 銅鏡で自分の姿を確認した王妃はくすりと笑い、居並ぶ女官や宦官たちも口々に賞賛した。そのまま林氏は、待ち人が訪れるまで、女官たちを話し相手に食後の茶を楽しむ。

 半刻後、

国君こっくんのおなーりー」

 先触れが呼ばわるのを合図に、鴛鴦殿の全ての者が立ちあがった。今朝は王が王妃とともに、太妃に挨拶をする日なのである。

 王妃は宝座を退き、女官達の前に立って拝跪する。そして颯爽さっそうと殿に入ってきた王に対し、「お越しなされませ」と微笑みかけた。


「む……」

 答えかけた王は、王妃を一瞥して目をみはった。

「どうなさいましたか?」

「雰囲気が、いつもと異なるような……」

「お気に召しませぬか?」

 王は首を横に振った。

「いや、そのままで良い」

 そして、いわおのような表情を緩めた。

「正直に言って、見違えた。来る殿を誤ったかと」

「まあ、お戯れを」

 王妃が笑みを含んで夫を咎め、王は照れを隠すように天井を向いて哄笑した。女官達も思わず吹き出す。


「お褒めのお言葉を頂戴し、嬉しゅうございますわ。実は、鈴玉という女官が塩梅あんばいしてくれたのですよ」

 当の本人は、いきなり名指しされたので吃驚びっくりした。王は「ほう」と振り返ると、鈴玉に頷いてみせた。

「我が妃の美点を引き出すように工夫したのだな、なかなか見事な仕事ぶりだ」

「いえ、勿体ないお言葉で……」


――初めて、王よりお言葉を賜った!


 鈴玉はもう倒れそうで、どうやって拝礼したのかも覚えておらず、御礼言上すら語尾が消えてしまう始末である。

「鈴玉、いつもの元気さはどこにやった?」

 鴛鴦殿の主人は悪戯気いたずらげな眼を女官に向け、またその場には笑いが満ちた。そして、王妃は女官長に促されるまま、王とともに太妃の御殿に向かった。


「何をにやにやしているのよ、薄気味悪いわね」

 主人が去ったあと、身じまいの片付けをしながら、香菱が肘で鈴玉をこづく。いつもなら必ず何か言い返す鈴玉も、「えへへへ」と笑うばかりであった。

「だって、王妃さまのお気に召したばかりか、王さまからもお言葉を……」


「それはわかってるわよ」

 香菱は相手の締まりのない口元を見やって『処置なし』とばかり、首を横に振ったが、声を落として囁いた。


「でもまあ、あなたに下心があるとしても結果的には良かったわね。私も、王妃さまが王さまにお褒めの言葉を賜るのは嬉しいものだし、また王さまのお目にとめていただければ……ひょっとしたら、あなたの出世の糸口になるかもよ?王様に寵愛されて、家門を再興させるんでしょう?」

「出世?」


――あ。

 実のところ香菱に言われるまで、出世やら家門再興やら、そんなことをすっかり忘れていた鈴玉である。


――そりゃ、香菱の言う通りだけど。ええ、もちろん捨ててないわよ、王さまからの寵愛という夢も、家門再興という望みも。でも私は、何でこんなに仕事に夢中になっているんだろう?


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