第18話 下心あり

「私が持っている御衣庫ぎょいこの鍵を?なぜ借りたいの?」


 衣の染色や花の栽培の勉強を、そのためにも御衣庫へ入りたい――鈴玉にそう切り出された香菱は怪訝な顔をした。

「どうして?鈴玉」

「王妃さまの、お召し物のためよ。あそこには、ご衣裳の現物だけではなく資料も沢山しまってあるでしょう?それも読んでみたいの」


 同輩は相手の言葉を聞くや、鼻を鳴らした。まるで、鈴玉のいつもの癖が、彼女にも伝染したかのようだった。

「ふーん?つまりこういうこと? 王さまの眼が今までより王妃さまにとまることが増えれば、あなたのこともいつか王さまのお目にとめてもらえるということ?」

「そんな……」

 香菱はとした目つきを鈴玉に向けた。


「あなたの考えは、単純でわかりやすいの。下心があるんでしょ? 正直におっしゃいな。この頃、王妃さまの前ではしおらしい態度だけど、鈴玉は自分の利益のためにあれこれやっているだけ。違う?」

 鈴玉はむうっとして、香菱を睨みつけた。


「そうよ!お妃さまのためじゃなくて、私のためよ! 下心なんてあるわよ、大ありよ!! でも可笑しい?王妃さまがお綺麗になって、誰が困るの!? ひょっとして、王妃さまと王さまが今までより仲睦まじくなれるかも……」


 あたりもかまわず叫ぶと、鈴玉は声を詰まらせて咳を連発した。そんな彼女を香菱は呆れた様子で眺めていたが、やがて抑えた声を漏らした。

「いつもの仕事は怠けないで、きっちりこなして。それに、あまりお召し物や飾り物に費やすことを王妃さまは好まれないのだから、その辺りを上手くやりなさいよ。王妃さまには私から話しておくから」


 そして、鈴玉の手に何かを押し付けるやいなやくるりときびすを返し、肩をそびやかしながら足早に歩み去っていった。

「……ありがとう」

 同輩の後ろ姿を見送りながらつぶやいた鈴玉の右手には、木札のついた鉄の鍵が握られていた。


 それからというもの、鈴玉は仕事の合間を見ては、御衣庫に入って衣裳を見たり、文献を読んだりした。

「大切なお召し物が、あなたのせいで傷んだりでもすればたまらないわ」

 と香菱は嫌味っぽく言ってよこしたが、精励する鈴玉を意外と思ったのか、御衣庫に入る彼女についてきて、衣服の畳み方や宝飾の扱い方を教えてくれた。

「冬至の祭祀におつけになるのは、白玉の首飾りに真珠の耳飾り、鳳凰の冠は夏至と同じ……」


 宮中での行事の際に着る衣装の細かな決まり、衣服の出納係が代々申し送る衣裳についての覚書、巻物に仕立てられた図解……さすがに倉庫からの持ち出しは出来ないので、御衣庫の窓際の机を使い、鈴玉は熱心に衣を広げたり、文献を飽かずめくったりした。そして――。


「大きな行事がなくて、王妃さまが常服をお召しになる日でいいの。一度でいいから衣装と宝飾、両方の着付けの案を作らせてもらえない?」

 同輩は鼻に皺を寄せた。

「あなた……今度は私の仕事を取ろうっていうの?」

 その警戒の声音に「そんなんじゃないわ」とは言い返したものの、確かに香菱がそう思うのも無理はなかった。

「衣装と宝飾は荷車の両輪のようなものじゃない?色彩や雰囲気が上手く調和すれば、今以上に王妃様はお美しく見えるかも。そして、王さまの訪れも今以上に……」

「私が気にいらないのは、そこなのよね」

 香菱の顔の皺が、鼻から眉間に移った。

「どういうこと?」


「だって、王妃さまは今のままでお心優しく、気高く、国母としてまこと不足のない方なのに、見た目ばかり気にかけて、他の後宮の女性みたいに、蝶のようにひらひらとまとわりついたり、牡丹のように華やかに着飾って、王さまの気をあえて引いたりする必要なんてあるかしら?王妃さまは王妃さまらしく、堂々となさっていればそれで良いのでは?」


 ぐっと鈴玉は詰まったが、気を取り直してなおも言いつのった。

「それは、そのままでも王妃さまは王妃さまに違いはないけど、そして王さまは王妃さまを、『王妃さまとして』は大切に思われているけれど……!もし王さまに、ひとりの女性としてもっとお目にとめていただける機会があれば、今以上に王妃さまのことを大切に思われるかもしれないじゃない。それに、何も贅沢なものを私達が勧めるわけではないし、飾り立てるなんて、大げさなこともしないわ。ちょっとした工夫をしたいだけ」

「……」

「ねえ、お願い。一度だけでいいから。それで王妃さまのご不興を買ったら、私は元の器皿きべいの係に戻る。約束よ」

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