第15話 蓮咲く池

 その場にいた一同が振り返ると、鈴玉がやや離れたところから首を傾け、王妃の装いを検分しているようだった。


「お主、何をしている!市場で品定めをする庶民ののように、恐れ多くも王妃さまをじろじろと……」

 鈴玉は柳蓉の叱責など耳に入らぬようで、そのままの姿勢を崩さない。

「鈴玉、どうか?」


 さすがの林氏も困惑顔になったが、ふっと鈴玉は目線を逸らし、王妃につかつかと近寄ると側の花瓶から百日紅さるすべりの小枝を抜き、自分の手巾しゅきんで枝の水分を拭うと、「失礼します」と言うなり、王妃の髷に挿した簪の脇に添えた。

「何を……」

 抗議の声を上げかけた明月ではあったが、王妃に眼をやって「あ」と小さく叫んだ。

「どうしたというの?」

 林氏の疑問に答えるかたちで、明月は再び鏡を差し出して申し上げた。

「よくお似合いにございます。おあらためを」


 鏡を眺めた王妃は少しく眼を見開き、ふっと微笑んだ。

「花も簪も、化粧も……よく映えていますね。特にこの百日紅を最後に添えたのが良かったのかもしれぬ」

 そして立ち上がった王妃を見て、誰もが一瞬目をみはり、そしてにっこりした。裾濃すそごの裳も、緑色の濃淡でまとめた上衣や帯も顔立ちに似合っていて、いつもより控えめな装いであるにも関わらず、主人たる彼女を引き立てて、しとやかさや清楚さをいっそうよく見せている。


「鈴玉、そなたは意外な才能を持ち合わせているようですね」


 声をかけられた鈴玉は無言で一礼したが、王妃が接見のために御殿を出て行くなり、にんまり笑って殿の裏手に回ると、ひとりぴょんぴょん飛び跳ねた。


――後宮に上がって、初めてひとに褒められた!


 そのまま後苑に駆け出していき、例の二人組がいる場所を覗いてみると、思った通り、池で採った蓮の花をむしろの上に並べている秋烟しゅうえんがいた。これから後宮の各御殿に振り分けて配るのである。


「あれ、片割れは?」

「朗朗は太妃さまの御殿へ蓮を届けに……それにしても、どうしたの?そんなに息を切らして」

 鈴玉はごくりと唾を飲んで息の調子を整えた。


「あのね、お礼を言いたくて。あなた方が書いていたことにきっかけを貰って、初めて王妃さまから褒められたの。わかる?描写していた、衣装とか色のことよ」

 秋烟は眼をぱちくりさせたが、すぐに相好を崩した。

「なるほど、よく飲み込めないけど……僕達が君を助ける形になれたのなら、それは何より。君でも褒められるなんてことが、あるんだねえ。しかも、それを嬉しいと思うだなんて」

「あら、ご挨拶ね。私がいつもそっぽを向いて、ひとが西を向けといえば東を向くような人間だとでも?」

「ふふふ、気を悪くした?」


 一仕事を終えた秋烟は帯に挟んでいた衣の裾を降ろし、鈴玉を誘って庭石の上に腰を下ろした。そこは木陰となっており、夏の風が心地よい。

「どう、執筆は順調なの?」

「うん、あと一冊分でいまの話は終わりだよ」

「どんな結末になるのかしら?」

 秋烟はにやりとする。

「まあ、大団円だね」

「そうなの?どんな?」

「詳しくは読んでからのお楽しみだよ。今のところは、僕と朗朗だけの秘密」

「そりゃ、そうね」

 二人は顔を見合わせてほほ笑んだ。


「で、それを書き終わったら次の作品は?どういうのにするの?」

「ああ、それが……」

 秋烟の端正な顔に、すっと影が落ちたのは鈴玉の気のせいだろうか。


「朗朗がね、君がこの前に言った宦官同士の恋物語を書きたいんだって。女官たちがきっと喜んで読んでくれるだろうって。悲恋で終わるような……でも」

「でも?」

「僕は反対したんだ……何というか、嫌なんだよ」


 そう言って秋烟は座ったまま両脚を上げて膝を抱え、あごを埋めたが、彼はまるで、鈴玉が傍らにいることを忘れてしまっているようだった。そのただならぬ様子に彼女は首を傾げたが、やがて彼等の艶本えんぽんの一節を思い出し、はっと眼を見張った。


――愛麗は妻とはなれぬこの身を恨んだことなどないとはいえ、やはりどう考えてもかなわぬ恋に身を焦がす自分を哀れにも感じ、またおかしくも思うのでした。


 そして「実演」のとき、朗朗相手に秋烟が見せた色っぽさ。

「ねえ、あなた、もしかして……」

 池から鴨が一羽飛び立ち、残る一羽も後を追った。


「朗朗のこと……好きなの?」

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