第14話 猫の両手
三日後、朝から
残る同室の二人は早番で行きがてらこれを王妃に申し上げ、いっぽう鈴玉は往診の後始末をした。
普段は顔を合わせると言い争いが絶えない二人で、正直言って、鈴玉にとって香菱はもっとも苦手な部類の人間ではあるが、さすがにここまで弱っているさまを見ると放ってはおけなかった。
「鈴玉……鈴玉」
かすれた声で自分を呼ぶ香菱は、こんなことを言ってよこした。
「今日はお妃さまが、後宮の女性を午後の宴に招く日。ご衣裳にいつもより注意しなければならないのに、私はこの有様。本当は昨日準備するはずだったのに……。それに、衣装をしまってある
「なんで私が?」
「同輩はみな他の仕事で忙しいし、猫の手も借りたいのよ。あなたは猫の手よりはましでしょうから……」
「失礼ね、それが他人に物を頼むときの態度なの?」
盥を放り出して腰に両手を当て、しかめ顔で寝台を覗きこむ鈴玉に、香菱は弱々しく微笑んだ。
「ごめんごめん。それはともかくお願いね?」
「……」
ぶすっとしながらも鈴玉が頷いて見せたのは、王妃の衣装のあれこれをじっくりと観察し、採り上げるべきところがあれば採り上げて、小説の参考とするべく例の宦官たちに教えてやりたい――との好奇心がまずあった。
次に、香菱があえて頼んできたのも、理由があってのことと見当がついていた。というのは、女官の服はその着方も厳格に決まっているものだが、いつも鈴玉は咎められぬぎりぎりのところで、他人と微差を保った着こなしをするのが得意だった。ほんのわずか襟を抜く、帯の結び目を指一本ほどずらしてみるなど――。たとえお仕着せでも、彼女が身にまとうと、どことなく垢抜けた感じになる。
それらに加えて、
――驚いたわ、あの香菱が私に謝った!明日あたり、太陽がこの宮殿に落ちてくるのかしらん?
と、心の中で快哉を叫び、得意な気持ちになったからでもあった。
そして、急ぎ足で鴛鴦殿に行って、遅れた事情を話し――さすがに今日ばかりは皆も事情を汲んで、彼女を叱責することはしなかった――、衣装の出納を行う明月の手伝いをした。
明月は優秀ではあるが、香菱とはまた性格が異なり、より温和で、鈴玉への応対も淡々と穏やかであった。「彼女と一緒の仕事でなければ受けなかっただろうな」とも鈴玉は思った。
それはともかくとして、控えの間に置かれた衣装の函から、明月はあれやこれやと出して衣装を揃えるのに苦心していたが、やがて振り返ると鈴玉の意見を求めてきた。
――ああ、私を手伝いによこした香菱の顔を立てるためね。
そう鈴玉は察したが、むろん悪い気はしなかった。彼女は函をいくつも検分し、上着には明るさの入った松葉色のものを指さし、次に桃色の裳を取り上げた。どちらも底のほうにしまわれていたところを見ると、今まであまり王妃が着ることのなかった服であろう。それに、濃い緑色の帯に薄紅色の飾り紐、白玉で作られた丸い飾り玉と、翡翠の平らな玉、銀色の耳飾りと簪を数本。
「いつもお妃さまがお召しのものとは雰囲気が違うけど?それに、少しご身分が軽く見えてしまわないかしら?」
明月が不安そうな顔をしていたので、鈴玉はふっと笑った。
「だから何?重々しい飾りやら色の服を着れば、重々しく見えるとでも?いいから、これをお召しになってもらいましょうよ」
彼女の強引さに負けた明月は、鈴玉が選んだもので二つの包みを作り、半分ずつ持って王妃の居室に戻った。服に霧を吹き、
全てが終わったところで、明月は拝礼すると鏡を差し出した。
「王妃さま、どうか……」
「待って!」
そこで、鈴玉の鋭い声が飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます