第12話 野原の菫

 また、鸚哥から例の本の続きが回ってきた。


「『子良はおもむろに愛麗の両脚を開き、白鷹はくたかが獲物をさらう形となりました。哀れ小さな獣となった愛麗は、おびえるように顔を背け、背中といい四肢と言い、強張って震えています。引きはがされた薄緑色のは、春の山野のように寝台に広がり、その上には髪からむしり取られたすみれの花が散らばっているのでした。まさかこの優しい貴公子が、落花狼藉らっかろうぜきのごとき振舞をなさるとは?でも、これは彼の芝居なのです。子良は微笑むと、白鷹の構えをやめ、雄虎が雌虎を慈しむ姿勢をとって……』」


 もちろん主人公二人が繰り広げる痴態を、鈴玉は胸をさせながら読んだのだが、本から眼を上げ、ふと自分の主君のことを思い出したのだった。


――薄緑色の羅が春の山野、髪飾りだったすみれの花がその上に散らばって……。


 林氏は、もとは質素な見なりを好むはずなのに、王妃としての体面を守るためとはいえ、似合っているとは言い難いどっしりとした錦の衣を身に着け、過剰な刺繍や贅を尽くした金銀の宝飾に埋もれてしまっている。


――でも、これならば?王妃さまには、生のお花ならばお似合いに?あと、もっと薄い色の衣に、さりげなくしゃれた刺繍なら…。


 そこまで考えが至った鈴玉だが、はっと我に返ると首をぶんぶんと横に振った。

 ――違うちがう、衣服の出納は香菱たちの職掌と決まっている。私の仕事でもないのに、一体何を考えているの?

 彼女はらちもない考えを頭から追い出すと、また話の続きに取り掛かった。


「『そうは申しても、いとしい人を送り出したその朝は辛く、降り注ぐ日光が彼女の眼に刺さり、心の奥底も容赦なく照らし出してしまいます。愛麗は、妻とはなれぬこの身を恨んだことなどないとはいえ、やはりどう考えてもかなわぬ恋に身を焦がす自分を哀れにも感じ、またおかしくも思うのでした。……』」




「『鳳凰の桐に止まり』って……えーと」


 ここは湯内官と謝内官の寝室である。二人は宦官用の二人部屋でともに寝起きしており、それを知った鈴玉と鸚哥はと文句を言った。宦官と女官の間にある格差の一つで、彼女たち若い女官は四人部屋に押し込められているのである。

 そして、この女官二人は宮中の法度はっとを犯し、そっと宦官の部屋に忍び込んでいた。むろんある目的のためであり、そのきっかけは鈴玉だった。つまり――。



「ねえ、鳳凰が桐に止まって……って本当はどういう状態なの?」

「えっ……」


 ある日、彼女は後苑で、艶本の一節を指さしながらおもむろに問うたのだった。宦官二人は顔を見合わせて絶句したが、次の瞬間腹を抱えて笑い出した。つられて、鈴玉について来ていた鸚哥もふき出した。


「何だ、肝心の場面を、知識もないまま読んで興奮していたのかい?」

「ませているふりをして、鈴玉はだね。ああ、おかしい」

「なっ、何も知らないで読んでいるわけないじゃない!」


 哄笑に囲まれ、一人顔を真っ赤にして怒声を上げている不良の女官である。謝内官は笑いすぎて眼尻ににじんだ涙を払った。


「ごめんごめん、きちんと読んでくれるのは嬉しいよ。……うん、俺達も考えなきゃな。読者が想像しにくいというのは、説明や描写に何か問題があるからかも」

 それを聞いてもむすぅっとしていた鈴玉ではあるが、ふっと思いついたように眼を見開いた。


「そうだ、ねえ、せっかくだから実地でやって見せてよ。その鳳凰の何とかというのを。あなた達も演じて見せれば、次作を書くとき描写の手がかりになるんじゃない?」

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