第9話 噂の二人


「誰がこの本を書いているかって?そんなこと……」

 本を受け取った鸚哥いんこは嫌な顔をした。そして、点検のためようをめくっていた手が止まる。


「あっ、しかも涎を垂らしながら読んでたの?皺がついちゃってるじゃない!ほかの子にも貸すのに」

「よ、涎を垂らしながらなんて、そんなはしたないことはしないわよう!ただ、眠り込んじゃって、その時に……」


 こんなことなら、貸すんじゃなかった……そう呟いて本をふところへ隠す鸚哥に、鈴玉は慌てて詰め寄った。

「ごめんごめん、本を汚してしまって。ね、謝るから、また続きを回してよ。ついでに、誰が本の作者なのかも…」

 米つき虫のように何度も頭を下げ、袖にすがる鈴玉を見て、鸚哥の眉間の皺も柔らいだ。

「うーん、どうしてそんなに作者に会いたいのか知らないけど。いいわ、ついてらっしゃいよ」


 お互い持ち場を離れてしまうことになるが、彼女たちは気にもとめていなかった。鸚哥が鈴玉を連れて足を向けた先は、例の後苑こうえんであった。池を回り込んで、鸚哥はすたすた歩く。小さな橋を越え、植え込みを通り過ぎ、点在する楼や亭を望みながら――。


 これだけ広い後苑のどこかに、作者がいるのだろうか。鸚哥は迷いもせず真っすぐ西北のほうを指して歩いて行く。小柄な体格にも似ず鸚哥の脚は早く、鈴玉は小走り気味についていった。

 やがて、躑躅つつじの植え込みが連なっているのが見え、鸚哥はそのに立つと声を張り上げた。


湯内官とうないかん謝内官しゃないかん、いるの?」


 すると、がさがさ音がして、ひょこりと二人の内官、すなわち宦官が顔を覗かせた。二人とも躑躅の剪定をしていたらしく、手には鋏と剪定した枝葉を入れる籠を持っている。一人はほっそりとしたなで肩の柔和な顔つき、もう一人は相方より頭が半分ほど高く、濃い眉の悪戯そうな目元をしていた。


「やあ、鸚哥……じゃなかった、張女官ちょうじょかん


 そう言った彼等は見慣れぬ女官に眼をとめ、それぞれ湯秋烟とうしゅうえん謝朗朗しゃろうろうと名乗った。

 両人とも二十歳はたちに足らぬほどに見えたが、名を聞いて鈴玉は思い出したことがある。この眉目秀麗な若い宦官二人組のことは、かねてより女官たちの噂となっていたからだ。しかし、鈴玉自身が当の人物を目の当たりにするのは、今日が初めてである。「あなた達が……」と、彼女は口のなかで呟いた。


「また持ち場を勝手に離れてきたのかい?今日は一体何の御用かな?」

「ふふふ」

 鸚哥は辺りを見回し、あの本を懐から出して声を落とした。


「今回のもとても評判が良かったのよ。私のところまで回ってくるのに、大分待ったわ。この本もまだまだいろんな子に貸す予定なの。でね、今日は続きの催促と、あと――」

 彼女は鈴玉のほうを振り返った。

「あんた達の本を読んだ同輩が、どうしても書いた人間に会ってみたいんだって」


 そして鈴玉の姓名とともに所属の御殿を鸚哥から聞かされると、二人の宦官はそろって息をのんだ。

「鴛鴦殿?王妃さまの御殿づき?それなのにあの本を読んだの?」

「そうよ、いけない?」


 鈴玉は腰に手を当てて胸をそらした。そこで、謝内官ははっと気が付いたように、

「そういえば、今年の召募しょうぼで大番狂わせがあって、最低の評定をとった横柄な女官が鴛鴦殿づきになったと聞いていたけど――まさか、君?」

「な、何よ!」

 怒りでわなわなと震える鈴玉を見て、慌ててとりなしたのが湯内官である。


「朗朗、おやめよ。ああ、彼は結構はっきり物を言うんだ、根は優しい奴だけどね。だから、ええとてい女官だっけ?どうか気にしないで。それよりも――僕たちに会いたかったって?どうしてまた……」

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