第8話 小舟と櫂
むろんこのような本を読むのは初めてであったが、そろそろ聞きかじりではあっても「
思えば、父の駿は貴族の習いとして学問を怠ることはなく、鈴玉にも婦女向けに書かれた教導の書物を使って手ほどきをしてくれたのだが、彼女はお堅い本には振り向きもしなかった。
その代わり、貧しさのあまり子守をして日銭を稼いでいた時分、雇われていた貴族の令嬢から、誰が書いたともしれぬ「
「『天上から吹き降ろす嵐のようにもみくちゃにされた気分を味わい、愛麗は寝台の上で、浅い眠りの海をいつまでもたゆたっているのでした。彼女の身体が一艘の小舟であるなら子良の愛撫は櫂であり、自在に舟を操って
――いつか、私もこの女主人公のように、王さまからめくるめく愛を受けることができるのかしら?
数度その
「鈴玉……鈴玉!」
すでに窓の外は明るくなっていた。はっと目を覚ませば、自分はうつ伏せで横たわっていた。声の主を探して身を起こすと、しかめ顔の香菱が寝台の前に立ちはだかっている。
「だらしないわね、早く起きなさい。昨夜、戻ってきたら灯りもつけっぱなしだったし。火事にでもなったらどうするの?それはともかくさっさとしないと、朝の点呼に遅れても知らないわよ」
次々と繰り出される同輩の叱責を「柳に風」と受け流し、彼女は少しの間ぼうっとしていた。寝床の上には例の本が頁を開いたままぺたりとのびているが、腹ばいになった胸の下にあったので、幸い香菱には気づかれていないようだった。そっと取り上げると、開いた
――どうしよう、本を汚したのなら鸚哥に怒られるわね。
もぞもぞと着替えながらも、鈴玉の頭は今日の仕事の段取りよりも、あの艶本の中身と鸚哥への言い訳で一杯となっている。
「鈴玉、またぼうっとして!王妃さまに差し上げるお菓子の鉢が一つ足りないじゃない。だいたい今朝から……」
香菱の叱責にぷっとむくれた鈴玉は、別室に置き忘れていた干菓子の鉢を取り上げ、すたすた戻ってくると音を立てて机に置いた。目をむく柳蓉と香菱をよそに、鈴玉は物思いにふけっている。
――それにしても、あれはただいやらしいのではなかったわ。男女の営みを描いてはいても、何となく寂しさ、ううん、それに優しさと奥ゆかしさがあって全体的に温かい感じがした。文章もなかなか上手だったし。後宮で誰かが書いているそうだけど、いったい何者かしら?
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