第10話 艶本談義

 鈴玉はぴょこりと頭を下げ、それから咳払いをした。


「ええと……私は小説はもとから好きだったけど、今回こういうのは初めて読んだの。それで、確かに艶本えんぽんだったけど、いやらしかっただけではなく、文章を追っていると雰囲気が何というか、色彩っていうの?それがよく見えたのね。主人公の着ているものとか、室内での様子とか。文章もなかなか上手かったし、主人公達の心情を丁寧に描写してるなあ、と。それで、誰が書いているのか気になって。でも、色のことは今ここに来てわかったわ。ここであなた達が育てている草木や花は、小説のなかの色づかいとそっくり」


 彼女は辺りを見回して頷いた。躑躅、まだみどりがかっている紫陽花、芍薬しゃくやく……そして、名も知らぬ白い花。


「鈴玉、どうしたの?艶本を読んで、かえってえらく真面目になっちゃって……」

「茶化さないで」

 鈴玉はいつものごとくぶんむくれ、鸚哥や二人の宦官はくすくす笑った。

「でも、ありがとう。励みになるよ。昼間の仕事や、当直の合間を縫って書くから、大変だけどね」

「まさか宦官たちの合作とは思っていなかったけど」

「おかしいかい?男女の睦みごとを一生経験できない僕たちが、こんな艶本を書いてるのは」

 鈴玉の心の底を見透かすような目つきを、二人はしていた。

「正直に言うと、そうよ」

 彼女は口をとがらせて応えた。


「でも、そんなあなた達がどうしてあんな……」

「それなりに書けてはいるだろう?それには二つあってね、まず俺たち宦官は後宮で王さまや女性にお仕えするから、必然的に閨房けいぼうのことも詳しくなるのさ。それに加えて大事なことは、想像する力と観察だよね。経験したことだけを書けるわけじゃないし」

「なるほど」


 鈴玉は納得するとともに、ひとつ気になっていたことを聞いた。

「ねえ、これはおあしはとらないの?何も払わず読んでしまったけど、お金を取っても罰は当たらないほどの出来でしょう?」

「お金?」

 湯と謝は驚きの表情になった。

「いや、できるだけ皆に読んで欲しいから、お金を取ることはしないよ。第一、これが暴露されたら罪を負うのに、売買したなんてことになったら首が危ないじゃないか。……それに、僕達が欲しいのは金品じゃないんだよ」

「じゃあ、何なの?」


「感想。とにかく感想を教えて欲しいんだよ。良いところでも悪いところでも――ちょうどいま君がしてくれたようにさ」

「そうそう。そりゃ、人の意見に振り回されたりしてはならないけど、自分でも気が付かなかった点を、ひと様は教えてくれるからね」

「そうなんだ……」

 そんな彼等に対し、いつもは人の気持ちを汲まぬ鈴玉でも、「何だか恥ずかしいことを聞いてしまった」という思いが湧きあがってきた。


 実のところ、「宦官」を置くことは本来は天朝の天子さまとそのご一族にだけ許された特権ではあるが、天子さまに額づく諸国のうち、特に格式の高い国に対しては勅令をもって、定員を決め宦官を置くことが許されていた。

 この涼国の場合、置かれる宦官は七十人と定められており、むろん女官よりはぐっと数が少ないが、彼女たちよりも地位は上で、女官の監督をすることも多かったから、彼ら独特の陰険さや強欲さと相まって、煙たく思われていることも多い。

 

 だが、眼前の二人は、普通の宦官とは全く雰囲気が違っていた。繊細で、陽気で、しかも心優しかった。


「……ということだから、彼女をここに連れてきた私の役目はおしまい。鈴玉、後で約束の通り、お下がりの麦粉菓子むぎこがしは全部私のものだからね」

「そうか、君たちは僕達と違って、損得や、売買を通じて結びついている関係なんだね」

 湯秋烟はおかしそうだった。

「違うわよ」

「そんなんじゃないわ」

 女官たちは声を揃えて否定し、それから互いに顔を見合わせた。


「ははは、まあいいじゃないか。でも、嬉しいよ。わざわざ来てくれて」

「またおいでよ。といっても、鴛鴦殿付きの女官はいろいろ大変だろうから、ばれないようにね」

「わかってる、ありがとう。早く続きを書いてね」

 鸚哥に促されて立ち去る鈴玉だったが、手を振る宦官たちを何度も振り返り、自分も手をひらひらさせた。

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