The S.A.S.【11-6】

 情報将校の合図でスクリーンのアラビア半島が消え、次のスライドに切り替わる。途端に、屈強な兵士らの余裕が消え去った。イギリスきってのごろつきが揃って沈黙し、隣のダニエルが息を呑む音さえ聞こえる。投射された灰色のスラヴ人に、連隊の兵士が放心していた。

 背面から撮られた長身の男は、何処かを指差している。幅広の肩越しの顔が左半分しか見えないが、おぞましい冷酷さが静止画から這い出ている。画質は荒くとも、網膜にその容貌を焼き付けるには十分であった。類を見ない強圧に、英陸軍の最精鋭らがすくむ。士官の立場から明かせる訳もないが、俺も背筋が総毛立っていた。照明が落ちていたお陰で救われた。

 情報将校が大袈裟な咳払いをやり、不良達の意識が現へ戻る。恐怖の伝染を、情報戦のプロの知略が断った。それでも、狼狽を仕舞いきれない兵士が散見されるのは事実だ。場を取り持った情報将校が、レーザーの光芒を走らせる。

「ミハイル・ペトロヴィッチ・バザロフ。キエフ出身の五四歳。元KGBの武器商人で、先のマフディ・アフメドの武器発注先だ。ロシア正教を重んずる厳格な家庭に育ち、若くして陸軍士官の地位を得る。その後間もなくKGB第一総局へ異動し、西側へのサボタージュ(妨害工作)等の秘匿作戦に従事。冷戦期から我々を手こずらせていた訳だ。ソヴィエト連邦崩壊の直前に本国から失踪、KGB時代に築いたコネを元に地下組織を講じて、世界各地のテロリストに武器を卸す現在に至る。

 気質は極めて残忍で、息をするのと同じ感覚で人を殺す。神出鬼没で地球上の至る場所に現れ、軍事衛星が直上に到着する頃には雲隠れしている。直近では先月、やつの位置情報を受けてチェチェンに飛んだロシア軍のUAV(無人航空機)が、逆に地対空ミサイルで木っ端微塵にされた。真偽はどうあれ相当な身の固めようで、ロシア側も手を焼いている。

 本題に入ろう。諸君らD戦闘中隊は二手に分かれ、アフメドとバザロフ双方の捜索・監視任務に当たって貰う。航空小隊と機動小隊はアフメドを担当、山岳小隊と舟艇小隊がバザロフを追う。先行部隊として、SRS(特殊偵察連隊)とSFSG(特殊部隊支援群)が現地入りしている。先方当局との外交処理は手配済だ」

 無意識で手許の耐水メモにペンを走らせ、航空小隊に割り当てられた作戦地域の情報を書き殴る。古参の隊員はさておき、若い連中はバザロフ・ショックから立ち直れず、誰も筆記具を手に要点の記録を取れていない。彼らを無闇に責められはしない。雛の成長を待たなかったのは、他ならぬイギリスだ。イエメンの最新情勢は、各部隊長が咀嚼して部下に飲み下させる他にない。

 情報将校はボトルの水で喉を潤し、襟を正した。右の目尻が一瞬引きつったのを、俺は見逃せなかった。

「イエメン国境と沿岸部は、二四時間態勢の監視下にある。我々の目を盗んでサヌアを出る事は不可能だ。だが、バザロフは話が異なる。事態を複雑にしているのは、やつが旧ソ連領に根城を構えている点だ。冷戦終結を機にロシアは衰えたが、未練がましくも旧共産圏へ兵を配置している。諸君らの技量を以てしても、特殊部隊の潜入はリスクが高い。ロシア側の穏健派と密約を結べば事は進むが、当方の外務省はプーチンを前に及び腰だ。失礼、話がそれたな」

 苦々しい表情をひと撫でして、情報将校はビジネスの顔を取り繕った。もしサッチャー女傑が現役であれば、即座にCOBRA(コブラ:内閣府ブリーフィングルームAで催される臨時の危機管理委員会)を招集して、先方のアポなしに大部隊を空輸するだろうに。彼女の即断に狼狽えたり、尻込みといった愚行は許されない。俺が背広組の一人であれば、かの貴婦人が臆病風に吹かれた官僚の胸ぐらへ掴み掛かり、見事なチョークスリーパーを掛ける御姿が拝めただろう。「早く兵を出しなさい!」と。来世ではプロレスのヒール役など如何でしょうか。リングネームは『アイアン・マーガレット』で決まりだ。そんなの、SASだって失禁する。

 スクリーンからバザロフの写真がはけ、イギリスを中心に据えたミラー図法の世界地図が映る。やがて七つの大陸全てに無数の青い点が浮かび、続いて東欧と中央アジアに赤い点がまばらに出現した。

「青で示したのは、ここ十年間でバザロフが関与する犯罪の起きた場所……赤は実際にバザロフの所在が確認された場所だ。分布から見て取れる様に沿岸部のみならず、内陸や洋上さえもがやつの活動範囲だ。扱う商品は武器に止まらず、臓器売買や要人の誘拐、他の犯罪組織への斡旋行為や仲介……我々がおよそ考え得る国際犯罪を網羅している。出自を鑑みるにロシア国内の協力者の存在は確実だが、知っての通り、かの凍土の軍警には汚職が蔓延している。バザロフが我が国の国益に害為しているのは事実だが、やつ一人の排除にロシアマフィア全部を相手する余裕はない」

 あの情報将校は人が出来ている。仮に俺が彼の立場なら、二言目には私情や愚痴をぼやき、ため息の絶えない座談会が約束される。最前線を引退する時分が来ても、司令部への転属は遠慮願いたいものだ。もしそんな辞令が下りたら、書類を改竄してヴェストをその椅子に着かせるのも躊躇わない。

「先方政府との交渉が如何に不利な着地点を用意するか、現時においては不透明である。東欧へ配置される部隊へは、近日中に辞令が下りる見通しだ。その間は現状の任を継続し、ロシア側の決定と英首脳部の判断を待機する。また、当該部隊へは本国での三日間の休暇が与えられる。状況が何処へ転がるか知れない以上、目立つ動きは控える様に。これは引き続き中東に残る将兵も同様だ。サウジアラビアの後ろ盾があるとはいえ、迂闊な言動は慎め」

 ポインターを胸ポケットへ収める情報将校が、こちらへ意味深な視線を投げる。ほんのコンマ数秒、それで事足りた。彼が意図するところはつまり、アフメドの捜索に、サウジの支援は期待出来ない――もっと踏み込んでしまえば、我々は今いる国家そのものを信用出来ない局勢にある、と彼は音なき符帳を送った。成る程、おおっぴらに出来ない訳だ。国家最高機密に属する特殊部隊の、情報漏洩が認められたのだ。無思慮な苦笑も許されず、胃がじくじくとうずき出した。

「具体的な作戦要綱は、追って伝えられる。この場においては如何なる質疑も認められない。以上。各自、予想される任務に備えよ」

 プロジェクターとラップトップの同期が切られ、「信号なし」の案内が浮かぶ。照明の点灯も待たずに情報将校は退室したが、連隊の兵士はしばらく席を立てずにいた。先の講説が寄越したのは敵ふたりの名だけで、他は兵隊とは無関係に等しき政(まつりごと)に過ぎない。要するに、何の進展もなかったのだ。東側へかち込みを掛ける政治的な橋頭堡はなく、共産圏へ派遣される仲間の受け入れ体制は整っていない。どうやら航空小隊も砂漠生活が延期になりそうで、心が乾燥イチジクみたいになった。

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奴隷迎合 - The Servant avobe Slaves 紙谷米英 @Cpt_Tissue

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