第32話 解毒剤

 目が覚めると朝日ではなくすっかり日が昇っていることに気が付いた俺は、慌てて着替えを済ませると部屋の外に出る。

 ちょうどそこへ森林鼠を胸に抱えたクトーが通りかかった。


「ティルー、森林鼠を全部捕まえるのー」

「え? 一体どうしたんだ?」

「じっけん、じっけんー、おいしいなー」

「は、話が見えん……」


 俺はウキウキとステップを踏みながら歩いていくクトーを横目で見ながらも、リビングルームへ顔を出す。そこにはアシェットがいつものスリットの入ったワンピースのような民族衣装姿でお湯を沸かしていた。


「アシェット、一体何が?」

「私もさきほど起きたところでして、そろそろティルもと思いましたんでお湯をと」


 アシェットはそう言いながらも手を止めず、コップに紅亀の粉を入れお湯を注ぐ。おお、紅亀コーヒーか、疲労もまだ抜けてないから助かる。


「ありがとう、アシェット」

「いえ……お湯を注いだだけです」


 俺は立ったまま湯気をあげる紅亀コーヒーへ息を吹きかけながらそれを口に含む。

 

「ところで、ティル……」

「ん?」

「セルヴィーさん、可愛らしい方ですよね?」

「え、そうかなあ……」


 俺は赤毛をサイドテールにした釣り目のセルヴィーの顔を思い浮かべる……うーん、美しいというよりは活発な感じで可愛いと言った方がしっくりはくるかなあ。

 

「わ、私……は……」

「ん?」


 考えている間にもアシェットが何かを呟いたみたいだけど、声が小さすぎて聞こえない。


「アシェット? 何て?」

「何でもありません! どうやらフォーク博士とケビン教授は昨晩からずっと庭にいるようですよ」

「え、ええええ。休まずに?」

「先ほどクトーから聞いたのですが、コーヒーを飲みながら頑張っているとか……」

「あ……それなら……」


 俺は手に持った疲労回復効果のある紅亀コーヒーへ目を落とし納得する。でも、もし紅亀コーヒーが無くともあの二人なら徹夜しそうだ……倒れないか心配になってきたよ。

 もしかしてずっとこの調子じゃないのか? あの二人。まさかな……きっと昨日は黒の血が届いて興奮していたんだって。

 

「コーヒーを飲んだら見に行こう。アシェット」

「はい」


 俺とアシェットは研究所の庭へと向かう。なんかいい匂いが漂ってくるなあ。フォーク博士が庭で何か料理をしているんだろうか?


――大鍋が設置されている。

 庭に到着した俺の目に飛び込んだのは、三メートルはあろうかという鉄の大鍋。大鍋は鉄の枠の上に乗せられており、その枠には薪がくべられ炎が燃え盛っていた。

 フォーク博士とケビン教授はうつろな瞳で炎を眺め、口元が緩んでいる……昨日はあれほどうるさかった二人は一言もしゃべろうとしない。ぶ、不気味さが増しているぞ……狂気を感じる……

 俺は二人へ声をかけようか迷っていたところ、不意に二人が叫ぶ!

 

「成功でしゅうううう!」

「素晴らしいいいいい! やりましたな! ケビン教授!」

「さすがでしゅううう! フォーク博士!」


 二人とも目が血走っていて怖い……俺が圧倒されていると胸に森林鼠を抱えたクトーがトコトコとやって来て二人に声をかける。


「ふぉーくはかせー、森林鼠の追加だよー」

「おお! クトー君! どんどん放り込みたまえ! ははははは! 実験は成功だともおおお!」

「でしゅうううう!」


 ん? たった一晩で何とかしてしまったっていうのか? 俺は目を見開きフォーク博士へ問いかけた。

 

「フォーク博士、うまくいったんですか?」

「そうだとも! ケビン教授が『シアン』を抽出し、私の推測を元に『黒の血』と『バジリスクの瞳』を組み合わせ、解毒効果を確かめたのだ!」

「そ、それで……」

「ああ、0.2ミリリットル単位で混ぜ合わせる量を変え、温度調節をしたところ……ようやく効果のある組み合わせを見つけたのだよ。これにはケビン教授の力も大きいのだ!」

「ということは……完成したんですか?」

「そうだとも! 今は最終実験中なのだよ! この大鍋に『森林鼠』を放り込み、どれだけ解毒できるのか確認している。『森林鼠』には何も手を加えていないのだ」

「鍋の温度もですか?」

「うむ。水が沸騰しているだけだ。これもケビン教授のアイデアでね。研究とは特定の条件で固定すべきだとね」


 おおお、理想的じゃないか。フォーク博士の超人的な調理技術に支えられたものではなく、水を沸騰させ解毒剤を垂らすだけで毒素が消えるのか。


「そうでしゅう。百度の湯に森林鼠を入れ、これを一滴垂らすだけでおよそ十匹の森林鼠の解毒ができるのでしゅ! 特別な手段を使わず、効果を発揮せねば成功とは言えないのでしゅううう!」

「ケビン教授の深いお考え……素晴らしいいいいい!」


 え、ええと……ケビン教授は知ってか知らずか分からないけど、フォーク博士の料理の才能をうまく研究へ向けさせることができたんだな。

 シアンの毒を消すこと事態はフォーク博士なら容易く達成できると思っていた。しかし、フォーク博士単独なら彼にしかできない料理になって終わっていただろう。

 そうならないためにケビン教授が誰にでも使える解毒剤になるようフォーク博士を導いてくれたってわけか。


「ふぉーくはかせー、きょうじゅー、お鍋の中の森林鼠はどうするのー?」

「あ、ああそうだね。そのまま捨てるにはもったいない。私が後で調理しよう。アシェット君!」


 フォーク博士は俺の隣で様子を伺っていたアシェットへ目を向ける。

 

「はい。フォーク博士」

「一度に食べきれない分は君の魔法で凍りつけにしておいてくれないか?」

「もちろんです!」


 フォーク博士の料理が食べられとあってアシェットはほんの僅かだけ口元に笑みを浮かべ、彼の依頼を快諾した。

 おお、森林鼠の料理かあ。どんなものが出て来るんだろう。今から楽しみだ!

 

「ティル君! あれを持って行きたまえ」

 

 フォーク博士は腰に手をやり胸をそらすと、ビシッと一抱えもある金属製のツボを指し示す。


「あれは何でしょう? フォーク博士?」

「あれはだな。シアンを中和する毒消しだよ! ティル君!」

「もうあんな量があるんですか! すぐに森へ向かいます」


 俺は金属製のツボを抱え上げると、満タンまで入った液体を確認しふたを閉じる。

 確か魔族のキュイエールは七日ごとに顔を出すと言っていたよな……都合のいいことに今日が七日目だ。

 夜になる前に王都東の森のキュイエールと出会った場所まで行く必要があったので、俺はセルヴィーから騎乗竜を貸し出ししてもらい森へと向かう。

 時間も遅くなったし、会えなかったら七日後にまた来ようと考えながら彼の姿を探していると、ちょうど魔族の村へ帰ろうとしていたキュイエールに会うことができた。

 

「キュイエール、これを試してみてくれ」

「やあやあ、ティル。どうしたんだい? ぶしつけに」

「この壺に入っているのは森林鼠の毒を浄化できる液体なんだ」

「ほうほう、本当に効果があるのかな?」

「必ず大丈夫だ。何しろ……フォーク博士の作ったものだからな」

「ふむふむ。人間たちのことは分からないけど、乗りかかった船だ。僕が試食してみようじゃないか。うんうん、まあ魔族だったら一回食べた程度じゃあ死なないしさ」

「無いとは思うけど、万が一体調が悪くなったりしたら教えて欲しい」

「うんうん、人間だと大丈夫でも僕たちだとダメな場合もあるからね。了解了解」

「で、使い方なんだが――」


 俺はキュイエールに解毒剤の使い方を説明する。まあ、水を沸騰させて解毒剤を一滴垂らすだけなんだけどな……

 

「うんうん、理解した理解したとも。じゃあまた七日後に会えたら会おうじゃないか」

「ああ」

「あー、心配しなくてもいいよお。僕が森林鼠を食べて何かあったとしても、君たちに責が行くことはないからねえー」


 俺が言葉を返す前にキュイエールはヒラヒラと手を振り森の奥へと消えて行った。

 実際に俺がまだ解毒した森林鼠を食べたわけじゃないんだけど、まず大丈夫だと確信しているのは本心から言ったことだ。口に入るものでフォーク博士が見誤ることは無いと、俺は信じているからね。

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