第19話 でしゅ!

 アシェットの部屋を出ると、クトーが心配そうに犬耳をペタンと頭につけながらこちらに向かってくるところだった。

 俺は彼女へ「大丈夫だ」と伝え、頭を撫でるとクトーは尻尾をパタパタと振って口元に八重歯を見せて笑顔になる。

 

 リビングルームに戻ると、フォーク博士は椅子に腰かけ紅亀コーヒーを飲んでいて、セルヴィーは俺を見とめると口元にニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべソファーに座ったまま、手を振る。

 

「フォーク博士、アシェットの『粉吹き病』はたぶん良くなったと思います」

「ふむ。それは良かった。私の計算では二口ほど食べると良くなるはずだったんだが、君の戻りが遅く心配したのだよ」

「全くー何やってたんでしょうねえ」


 フォーク博士の言葉に被せるようにセルヴィーが嫌らしい突っ込みをしてくる。えええ、二口ですっかりよくなるのかよ。

 じゃあ、アシェットの言っていた「熱い」って……何だったんだろう。俺と口移しをしていたから、頬が火照って熱い? まさかなあ。

 

「ともあれ、回復したようで良かった。もう動いて大丈夫なのかね? アシェット君」


 フォーク博士が片眼鏡をクイッと指先であげながら、声をかける。ん、アシェットはもうこっちに来たのか?

 と思って、俺は後ろを振り返ると、おお、いつものアシェットだ。

 

 頭の左右にお団子をつくった髪型に体にピッタリフィットしたワンピースのような民族衣装姿のアシェットは、フォーク博士に向けてコクリと頷きを返す。

 相変わらず微笑みさえしない無表情ぶりだけど。

 

「へー、可愛いじゃない。全くー、ティルも隅に置けないんだから」


 ケラケラと嫌らしい笑い声をあげながら、セルヴィーはサイドテールを揺らす。くうう、予想通りからかってきやがったか。

 

「ティル、それってどういうことですか?」

 

 アシェットが刺すような視線で俺を睨みつけてくる。

 え、えええ。そこで俺が責められるのお。ちょっと……

 

「セルヴィー! 変な事を言うんじゃない。アシェットが困っているだろう」

「ふうん、アシェットちゃんて言うのー、あんたの好みにバッチリなのかしら。凛とした顔立ちにスラリとした体つき」

「待て待て!」


 ダメだ、このままセルヴィーにしゃべらせたらアシェットにアイアンクロ―を喰らうのは目に見えている。

 俺は不安に思い、アシェットへと向き直ると意外にも彼女は微動だにせず頬に手を当てていた。

 

「ティルの好み……」


 ボソッとアシェットは何かを呟いたけど、声が小さすぎて聞こえない……

 

「わーい、アシェットが元気になったー」

「うむうむ。この分だと大丈夫そうだね。ティル君、今回は君が急いで食材を集めてくれたおかげで大事にならずすんだ。感謝するよ」


 俺達のやり取りを聞いていたクトーとフォーク博士が、元気そうなアシェットを見て顔を綻ばせながらそう言った。

 

 あ、そういえばフォーク博士は明日の朝食用に「オートミール」を全員分作っておくって言っていたよな。俺達が食べるより「粉吹き病」を罹患りかんしてる人達へ食べてもらった方が良くないかな?

 

「フォーク博士、『オートミール』なんですけど、せっかくなら『粉吹き病』で高熱にうなされている人に食べてもらったらどうでしょうか?」

「おおお、そうだね! ティル君! 君はなかなか鋭いことを考える。確かに……『暴帝龍』の唾液はなかなか入手困難だものな!」

「食材は全て使い切ったのでしょうか?」

「そうだね。壺一杯分の唾液でおおよそ六人前の『オートミール』が作成可能だ。といってもだね、ティル君」

「はい」

「回復する最低限の分量は二口分程度……個人差も考慮し十口分ほどを一人前として配布するなら、二十人程度は分配可能という計算だね」

「おおお」


 唾液も確かに採取するのは難しい。今回採取してきた壺一杯分の唾液で作れたオートミールで「粉吹き病」を回復させることができる人数はおおよそ二十人程度。あ、アシェットに食べさせた分もあるからもう少し多いのかな。

 それはともかく、「暴帝龍」の唾液を採取するとなると……熟練した冒険者が命がけで挑む必要はあるからなあ。

 しかし、フォーク博士以外では「オートミール」を完成させることができないだろうからそっちの方が大きな問題なんだけどなあ……その辺彼は分かってくれて無いな……

 

「セルヴィー君、残った『オートミール』は君に任せても良いかね?」


 フォーク博士はお店を経営する商人のセルヴィーへ目を向ける。

 

「はい。もちろんです! でもエルフを最優先で販売します。その他の種族については乳幼児でどうしてもという人にだけ売りますね」


 フォーク博士の依頼にセルヴィーは笑顔で応じる。

 おお、セルヴィーに任せるのはいい考えだよな。彼女の店に行った時に「粉吹き病」のことで相談に来ていた人もいた。といっても数が限られているから、エルフに最優先で売るってことか。

 ま、まあ、本気で切羽詰まったらフォーク博士にお願いして「オートミール」を作ってもらうっていう手もあるけど、何でもかんでも「治療してくれ」とここに来られても、セルヴィーの店に来られても困る。

 その辺を分かっているセルヴィーは本当に命にかかわる人だけに、こっそりと売るつもりなのだろう。更には、二十人分のオートミールを売り切った後、フォーク博士に相談に来ると思う。

 

 ちゃんと命にかかわりのある人だけにこっそり売った実績をフォーク博士に伝えれば、彼もむやみやたらにオートミールを求めて来るのではなくて本当に必要な人へ売っていると分かってくれるだろう。

 となれば、フォーク博士だって材料さえあれば、今後もオートミールを作ってくれるんじゃないかな。フォーク博士はいろいろぶっ飛んだ性格をしているけど、人命を救うことについては優先して動いてくれると思う。今回のように。

 

「売値は普通のオートミールと余り変わらない程度でお願いできるかな?」

「フォーク博士、お金ではなく、本当に必要な人にってことですね! もちろんです!」


 どうやら、フォーク博士もセルヴィーも俺が今想像した内容に近い事を考えているようだな。うまくまとまりそうでよかったよかった。

 アシェットも無事回復したし、オートミールのお陰で「粉吹き病」で命に係わるエルフ族の助けにもなれそうだ。終わってみるとなかなか悪く無い結果になったよな。

 俺はそんな悪く無い気分でベッドに入ると、溜まっていた疲れもありすぐに寝てしまった。

 

――翌朝

 いやに外が騒がしいので眠い目をこすり、上着を羽織って研究所の庭に向かうと、頭の左右の毛をクルリンと巻き、細い口ひげも同じようにクルクル巻いた道化服を着た壮年の男が何やら叫んでいる姿が目に入った。

 あ、あれは……ケビン教授じゃないか! うおおお、フォーク博士の使い込みがバレてご立腹しているのか。

 

 俺はどんな言い訳をしようかと考えながら、ケビンの元へと歩み寄る。

 

「おはようございます! ケビン教授!」

「お、君は確かフォーク博士の助手のティル君だったでしゅか?」

「そうです。フォーク博士とお会いに?」

「そうでしゅ。フォーク博士に会おうと研究所に来たらでしゅね。これが目に入ってなのでしゅ!」


 ケビンは大仰に両手を広げ、クルリと背後の変な箱へ目をやる。

 やっぱり、この箱の件かー!

 

「あ、フォーク博士を呼んできましょうか?」

「ぜひお願いでしゅ!」


 ぬおお、ご立腹なのかそうでないのかケビンの態度からはまるでわからない。クルクル髭を指ではじきながら、首を傾けてるし。これだけで、彼の感情を推し量るなんて俺には無理だ。

 

「では、フォーク博士を呼んできますね」

「その必要はないとも!」


 俺が後ろを振り返ると、腰に手をあて胸をそったフォーク博士がデデーンと立っていた。うああ、もうどうにでもなれ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る