第18話 アシェット回復
料理を始めるとフォーク博士の雰囲気が一変する。彼は普段喜怒哀楽の激しい人間で、特に研究の時はやたらめったら興奮した様子で叫びだすのだが、調理中は無心と言えばいいのか……自然体といえばいいのか表現に苦しむ状態になる。
フォーク博士はまな板の上にバジリスクの鱗を乗せ、ナイフを鱗に当てると手元がブレはじめる。
「フォーク博士、それは?」
「ああ、それほど難しいことはしていないとも。いいかね――」
フォーク博士は解説してくれるが、こんなの熟練した料理人でも無理だって! バジリスクの鱗へ深さ1.2ミリ、長さ1.4ミリの切れ目を隙間なく入れるんだって……
「ティル君、そこまで精密でなくても大丈夫だ。誤差は0.05ミリまで許容される」
「そ、そうですか……」
誤差じゃねえよ! それ。俺は突っ込もうか迷ったが、博士の手元がズレると困るので黙っておくことにした。
俺と会話しながらも、フォーク博士はバジリスクの鱗へナイフを入れる手を休めず、下処理を終えてしまった。
次に、「暴帝龍」の唾液を28.3度まで温め、ナイフの先でさきほど鱗につけた切れ目に唾液を垂らす。ナイフが唾液で溶けるんじゃないかと思ったんだけど、この温度なら平気だという。
唾液に溶かされ、白い煙をあげる鱗を放置し、フォーク博士がバジリスク肉の処理に取り掛かる。こちらは、説明された俺にはとんと分からないけど、筋繊維をバラバラに切断し下茹でした後にグリルするとのこと。
ものの半時間ほどで料理は完成し、深皿に盛られた食材の見た目は「オートミール」そのものだった。琥珀色の粒粒に大き目の薄茶色の塊がチラホラ見える。
「ティル君、あとは牛乳を入れるだけだとも。アシェットに持って行ってやるといい。私は明日の朝食用にもう少し『オートミール』を作っておくよ」
「了解です! さっそくアシェットへ食べさせてきます!」
ものすごく食べてみたいけど、まずはアシェットに食べさせないと。
俺はオートミールを手に持ち、アシェットの部屋に入ると、ピンクのレースがかかった天蓋付のベッドの脇へ膝をつく。
「アシェット、フォーク博士が食事を作ってくれたぞ」
俺はアシェットに声をかけながら、彼女の顔を覗き込む。やはり顔が真っ赤で、薄っすらと白い粉が彼女の頬と額から見える。高熱でとても苦しそうだ。
濡れた手ぬぐいで彼女の顔を拭うと、手ぬぐいには白い粉が大量についていた。
「あ、ありがとうございます。ティル……支えてもらえますか?」
「うん」
俺はアシェットの背中に腕を回し、彼女を起こすと口元にオートミールの入ったスプーンをよせる。
「……すいません……」
熱のせいか分からないけど、アシェットは口に入ったオートミールを上手く飲む込めない様子だった。
う、うーん。やっていいのか悩むが、このままでは彼女はオートミールを食せない。
「アシェット、嫌なら言葉か首を振って拒否してくれ」
俺はアシェットにそう告げてから、オートミールを口に含みかみ砕く……うおお、うめええええ。いや、今はそんなことを考えている場合ではない!
俺は口にかみ砕いたオートミールを含んだまま、アシェットの口元に顔を寄せる。
そのまま、彼女が拒否するか何か言うのを待っていると……なんと彼女から俺の首へ両手を絡め口づけしてきた。
口づけしたまま、お互いが唇を開き、アシェットはゴクリとオートミールを飲み込む。
どうやらうまく飲み込めたみたいだな……よかった。
同じようにして三度、口移しでオートミールを食べたアシェット。
俺が彼女の様子を伺うと、頬の火照りはまだ引いていないように思える……う、うーん。
新しい濡れた手ぬぐいを取り出して、彼女の顔を拭うと白い粉は付着していなかった。そんなどんどん出て来るものでもないようだな……白い粉。
もしそうだったらベッド周りが白い粉だらけになるよな。
「アシェット、どうだ?」
「熱いです……」
「喉や体の火照りは少しはましになってきたかな? かみ砕かなくても食べられそうか?」
「……もう少しで……」
「そ、そうか。すまないけど、口移しさせてもらうぞ」
「……はい」
う、うーん、本当に効果があるんだろうか……フォーク博士の作ったオートミール。い、いやフォーク博士の料理は完璧なはず。
紅亀のコーヒーは一口飲むだけで効果を実感できるんだけどなあ……オートミールはある程度食べないとダメなんだろうか。
俺は疑問を感じ、アシェットに口移しすることを申し訳ないと思いつつも、彼女へキスすることで少し興奮していた……ダメだと分かっているんだけどね。
でもこれ、舌も絡むし……うおお。いかん、いかん。これはアシェットを治療するため、治療するためなんだああ。
悶々としながらも、俺はアシェットへ口移しを繰り返す。いつの間にかオートミールは残り三分の一くらいまで減っていた。
アシェットの様子はというと、頬だけでなく首元まで真っ赤なんだけど、手足の火照りは引いた気がするんだよな。
「アシェット、どうかな?」
俺が再びアシェットに様子を尋ねると、彼女は上目遣いで「熱いです……」とだけ呟きを返す。
ううむ。オートミールを全部食べてもらってからフォーク博士に聞きに行こうかな。俺は口にオートミールを含むと、アシェットの顔を上に傾けて潤んだ緑色の瞳で俺を見つめながらンッと唇をすぼめる。
――トントンと扉を叩く音がすると、部屋の外から声が。
「ティル、様子はどうなの?」
外からセルヴィーの声が聞こえると、アシェットは俺から顔を離しガバッと布団を被る。
そうだよな、他の誰かに見られると恥ずかしいよな。ましてやセルヴィーとアシェットはお互いに会ったことが無いし……聞いたことのない声が聞こえたらよけいそうなるよ。
「セルヴィー、まだ食事中だ。終わったらそっちに行くから少し待っててくれるか?」
「了解ー、全く中でエロイことをしてないでしょうね」
思いっきりドキっとしたけど俺は動揺を抑え込み言葉を返す。
「……そ、そんなわけないだろ。食事しているだけだ」
「ふーん、なんだか間があったけど、そういうことにしといてあげるわ。じゃあ、戻るわね」
扉の外に足音が響き、どんどん遠ざかっていく。行ったか……
全然動揺を抑えられてなかったよ! 後でセルヴィーにニヤニヤしながらつつかれそうだ……
「ティル……今の人はどなたですか?」
布団から顔を半分だけ出しながら、アシェットはいつもの冷徹な声で聞いてくる。
「あ、あいつは冒険者時代の仲間で今はお店を経営してて……フォーク博士に変な箱を売りつけやがったセルヴィーってやつだよ」
「そうですか……ティル?」
アシェットは起き上がると、俺の肩へ腕を絡めると顔が至近距離に……そんな距離で熱っぽい目で見つめられると、襲い掛かりたくなってくるう。
「アシェット?」
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「え? まだ熱いって」
「……っ! 大丈夫と言えば大丈夫なんです」
珍しく恥ずかしがる様子を見せたアシェットは右腕を俺の首元から離すと、俺の頭を手のひらでつか、む。
ま、待てえ。そのままギリギリと締めあげられる俺の頭!
「い、痛いいいい。元気になったのは嬉しいが、アイアンクロ―はやめてくれええ」
「……『嬉しい』ですか……」
アシェットは俺に聞こえないほど小さな声でボソッと呟くと、俺から手を離す。
あー、痛え。痛みのせいか、彼女が何て言ったか聞き取れなかった。
「アシェット、何て言ったんだ? 聞こえなかった」
「いいんです。聞こえてなくて。私はもう大丈夫です。すっかり元気になりましたよ、フォーク博士の料理のおかげです」
「そ、そうか。まあそれならいいか」
「はい」
不意にアシェットが俺の唇に唇を重ねると、すぐに俺の口から離れる。
そして、少し目を伏せ彼女は独り言のように呟く。
「……お礼です」
か、可愛い……思わず抱きしめそうになったけど、また扉の外が騒がしい。まあ、みんな心配してるってことだよな。
俺は肩を竦めて立ち上がると、アシェットの頭をそっと撫で部屋の外へと向かう。
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