モズ

ダリ岡

第1話


「大切なのは、みんなの個性を尊重することです」


 女教師はにっこりと微笑んだ。生徒たちは何も言わずに、彼女の道徳の授業を聴いていた。

 教室のすみでは、一人の大柄な男子が、前の席に座った女子の髪をむしっている。

 やめてぇ、やめてよぉ。

 教師はその叫び声を無視した。


「先生」


 別の女子が挙手した。彼女は、このクラスの学級委員だ。


「宮﨑君を止めて下さい」

「それはできません」


 教師は微笑んだままだった。


「山田さんが嫌がっています。山田さんは何も悪いことをしていないのに」

「だから、止めてはいけないんです」


 宮﨑と呼ばれた大柄な男子は、よだれを垂らしながら髪をむしり続ける。

 山田と呼ばれた女子が叫ぶ。やめてぇ、やめてぇ、やめてぇ。


「どうしてそうなるんですか」

「小林さんは、モズという鳥を知ってしますか?」


 教師は、小林というその学級委員に問いかける。


「モズは、他の生き物を殺して、木の枝にはりつけにします」

「だから何なんですか」

「食べるためでも、仲間を守るためでもなく、殺すために殺すんです」

「だから何なんですか」

「宮﨑君は、モズと同じなんです」


 一瞬の沈黙があった。


「ここ最近の科学の進歩で、わかったことがあります。生まれつきモズと似た特性を持つ子どもが大勢いる、ということです。他人を攻撃することが本能として備わっている子どもです」

「でも、だったら宮﨑君を放っておいていいんですか」

「言った筈ですよ。大切なのは、個性を尊重することだと」


 教師の声は穏やかだった。


「世界にはいろんな人たちがいます。勉強が得意な人もいれば、運動が得意な人もいる。友達を大切にする人もいれば、一人の時間を大切にする人もいる。生まれ持った個性は人それぞれです。それを否定する権利は誰にもありません」


 ぶち、という鈍い音が教室に響いた。山田と呼ばれた女子の髪が、たっぷり一握り分ほどむしり取られた音だった。


 いぃいぃぃぃいぃぃ――


 動物のようなその悲鳴に、小林はいよいよ我慢できなくなった。髪を指先に絡めて遊んでいる宮﨑に近寄ると、彼の手首を勢いよく掴んだ。


「いい加減に――」

「やめなさい!」

 

 教師が怒鳴った。

 小林はびくりと肩を震わせた。


「宮﨑君が嫌がるでしょう」


 そう言ったときには、教師の顔に笑顔が戻っていた。


「どうして私だけ、許されないんですか。宮﨑君は許されるのに」

「小林さんの攻撃には、理由があります」

「当たり前です。山田さんを守らなきゃいけないんです」

「理由があるということは、生まれ持った攻撃衝動によるものじゃない、ということです。生まれ持ったものじゃないなら、抑えることができる筈です」


 その話の間、宮﨑は手中の髪の毛をぶちぶちと千切っていた。


「あなたの攻撃は個性じゃありません。宮﨑君の攻撃は個性です」





※  ※  ※





「四十年もかかるとは思いませんでした」

 

 小林は、深いしわの刻まれた両手を組み、目の前の巨大なモニターを見据えた。


「珍しいですね。園長が昔話なんて」


 かたわらに立つ若い男が、人名の羅列された資料を小林に手渡す。


「今月の入園者です。ご確認下さい」

「モズ指数、少し低めですね。まあ、閾値いきちは超えているからいいでしょう」


 小林はリストに連なる少年少女の年齢を確認する。十一、二歳の子どもがとりわけ多い。

 あのときの自分と、宮﨑と、同じくらいの年齢。


「その言葉、久しぶりに聞きましたよ。最近は攻撃特性指数って言いますから」

「理屈っぽい言葉は嫌いなのよ」


 小林が微笑んだそのとき、モニターの向こうから悲鳴が聞こえた。

 画面に映し出されているのは、閑散とした街の路地裏だ。大振りのナイフを持った少年が、血に濡れた右脚をずるずると引きずりながら、やめてぇ、やめてぇ、と泣きじゃくっている。少年と向かい合っているのは、おのを構えた九歳くらいの女の子だった。

 女の子は斧を振り下ろし、少年の右足首をすとん、と切り落とす。瞬間、少年の命乞いの言葉は意味を持たない絶叫に変わった。女の子は嬉しそうに、切断した右足を自分の鞄に入れた。


「何のために鞄に入れたんでしょうね」


 男の問いかけに、小林は小さく含み笑いをする。


「理由なんてないのよ。だから許されるの」

「許される?」

「園内での殺戮さつりくを、ね」


 言い終わるや否や、女の子の周りにわらわらと他の子どもたちが集まる。刃物と鈍器をその手に携え、内なる本能を存分に解き放たんとする、小さな猛禽もうきんの大群。


「そういえば園長。どうしてこの隔離都市を、『園』って名付けたんです?」

「だって、楽園みたいでしょう?」


 小林は両目を細めた。同時に、無数の凶器が、四方八方から少女の体に突き刺さった。


「大切なのは、みんなの個性を尊重することなのよ」

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モズ ダリ岡 @daliokadalio

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