お疲れさまでございます!
同じ世界五分前仮説を扱っている拙作の解説パートも終わり、やっとこちらに書きに来れました。書きに来たかったんですよ笑
世界五分前仮説、このどうやっても記憶が歴史的なものであることを否定出来てしまう命題は、人間のアイデンティティを脅かすものなんだなあ、と感じます。自分の存在する意味とか動機とかってもともと、意味の有る無しに関わらず、己が決めることでその後の生きがいを見出していく訳で、その生きがいとなるもともとのものは今まで生きてきた人との関係や境遇、それ自体も含めた記憶なんだろうな、と。けど、それを否定されると、下手をすれば精神的に病んでしまうくらい、ふらふらした存在にさせられてしまう。
となると、記憶というのは、人間らしさ、いや動物も含めての「生きている」ことであり、かえってこの世界五分前仮説を扱うことで、人として生きる意味についての気づきを与えるものとして捉えるのが、正しい気がしました。
たまに、自己実現などと大げさなことまで言わないまでも、自分が人間らしく生きているかのチェックに世界五分前仮説を用いてみることが、この仮説を活かす一番の方法なのかもしれません。
作者からの返信
お疲れ様です!
いつもありがとうございます!
さすがバター猫さん、食いついてくれましたね! 嬉しいです!
人間の記憶や歴史が意図も容易く崩壊する仮説であり、しかも否定出来ないからこそ物凄い仮説ですよね。生き物が生き物である意味も記憶や歴史に依存してしまうなら、一発で疑心暗鬼になってしまいます。
ただ、この議題の行き着く先は、結局自分が何なのかとい所にあると思います。
とりあえず、五分間は自分であったことは事実ですし、そこから自分の持っている記憶で自分がどうするか……ってな感じで考えていました。
そうですね。世界五分前仮説はある意味我々の武器になりうる仮説です。この議題で自分を見失うのではなく、寧ろこの仮説で世の中の不条理を覆していければ最高ですね!
今カノンを読んでる最中なので楽しみにしてますよ!
人間は脳に閉じ込められたも同然ですからね。
肉体は潜水艦のようなものです
作者からの返信
そうですよね。
突き詰めていくと私たちの本体って脳じゃないかって思えるようになってきます。
水槽の脳も後々出す予定です。