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 ゼロにも価値がある!(哲学)」への応援コメント


  • 編集済

    こんにちは。
    あくまでお話が他者との比較からきているので。

    物でも人でも自分から対象を見て「価値」を測ることと、自分自身の「存在価値」を考えることを一緒に並べるような考え方に無理があると思います。

    他者を測る時は、自分というそれこそ「0」があります。

    自分の価値を考える時は他者からどう見えているかとなると思います。
    これは他者の都合に左右されますので基準が変わります。

    掲示板で叩かれることも、カクヨムに参加することも、0であることも、意味はあると思いますが、価値という表現が適当でない部分もあると思います。


    返信読みました。
    「0も、存在する意味は」の部分を
    「0であることも、意味は」
    に修正しました。

    作者からの返信

     なるほど。
     私とは別意見になりますね。 
     私の自分に対する価値の定める前提として、他者の意見と自分の意見は同等のものとして扱った方が良いと思っています。
     理由は単純で他者の基準が本当に利にかなって的を得ているかを自分でも判断する必要があるからです。
     自分に対して甘くなるのは仕方ない上に、正当な評価は難しいのは当然のことです。しかし、他人が正当な評価を必ず出すことは、それも難しい内容です。他者の意見を繁栄しすぎて本当にあった素晴らしい自分の価値を消す恐れがあります。それが一番あってはならないことだと私は考えています。
     なので、自分や他者の偏りがあることを前提に、基準を擦り合わせた物こそ総体的で良い所と悪い所を抽出し、自分を変えていくためにも活かせる詳細な自分の価値であると私は思っています。

     ただ、確かに価値が無い物に対して有るというのは、単純に矛盾してますね。極端にやり過ぎたかもしれません。
     ちょっと印象操作が入っているかもしれません。申し訳ございません。m(_ _)m