はじめまして(*^^*)
創作の軸の部分ですね。面白いです。
作者からの返信
はじめましてです!
ありがとうございます!
そうです! 物語のいわゆるコンセプト一覧表みたいな物にしようとしています。中々考えさせられる作品を多くの方が作ってほしいなあーみたいなことを考えていますので、楽しんでみていただければと思います!
コメントありがとうございます!
編集済
成程。答えがないことから、何が正解かは自分で決める。
なにかスーッとしました
※追記
余談ですがV3が一番好きです
作者からの返信
正解何て学校にしかありませんからね!
答えはいくらでもある訳です。
あれです。
例のデスゲームの台詞を借りるなら
「これが僕達の答えだ!」
ですよ!
※追記
私もV3大好きです!
六章が私好みでとにかく好きです。まさに嘘つきのパラドックスの話でした!
コメント返信の続きは申し訳ないのですが明日します!
こんにちは、秋桜かをすと申す者です。
自作をフォローしていただいて嬉しさの勢いでこちらを拝見した次第でございますが、いやはや、あの作品は自我だの魂だのロボットの心だののテーマが根幹というかベースですので、「語れる方にフォローもらっちまった」と嬉しさ半分怖さ半分でございます。
意識って難しいですよね。言ってしまえば、システム上手元のスマートフォンでさえ自分が動いていることを認識しているわけでして。
ここで人間と違う点は、情報の処理を数式と指示に従って行うか、自発的に自由に行うかであるわけです。
この思考の自由さが機械と人間の明確な差なんでしょうかね?
これには心や魂といった自由かつ独自性、方向性のある思考を可能にするパーツが必要と考えることも……っと長くなりそうですね。
あえて「意識がどこにあるか」に回答をするならば、陳腐と言われそうですが頭の辺りでしょうか。
我思う故に我ありと言いますが、「思う」のは脳のお仕事ですからね。
長々と失礼致しました。m(_ _)m
作者からの返信
こんにちは!
Twitterでいろいろお世話になっていたのとSFだったので何となく作品フォローしたのですが、なるほどロボットの魂や心がテーマなんですね。(ニヤリ)
期待ですね!
確かにロボット何かに思考の自由を持たせるなら一番近いのは乱数とかになりそうな気がします。機械が乱数で選んだ数字に対して「何故その数字を選んだのか」と問い詰めていくと「何となく」とかになるのかもしれません。
それを機械の自我と言えるかどうかちょっと分からないのですが、我々人間はなんやかんや考えて行動してますからね。やはり、頭が近いのかもしれません。
コメントありがとうございます!
編集済
「自分で導き出した答えこそが正しいと主張して良いんだよ!」
?
哲学(学問)って、
探求や追求を、推測と証明でしていくものだと思います。
これが正しいと心底思ってしまうと、もう考えることをやめてしまうのではないでしょうか?
主張するのはもちろんいいと思います。しかし“導き出すための情報も絶対ではないかもしれない”“答えがひとつではないかもしれない”なども考えないと、ただの頑固者になってしまうような気がします。
追記
返信ありがとうございます。
揚げ足を取るような話をしてしまいすいませんでした。
コメントは、小説をどう書くかという話より理屈の話に焦点を当ててしまいました。
「黙っていることはない、一歩踏み出そう」という気持ちは伝わってきました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ええ、もちろん物事の本質を見ようとする探求心をなくしてはいけません。自分の導き出した答えは本当に正しいのかという自問自答は必要です。
一生懸命考えて、導き出した答えに私は素晴らしい価値があると思っています。
その答えが世間一般でいう偏見で、多くの人達から間違いだと言われる物であったとしても、一生懸命考えた答えは個性であり、完全に捨て去るべき答えではないと私は考えているのです。
周りからの反応を見て直すのか、それても答えを更に追求した違うものを出すのか、この考えが本当に正しいのだと主張を取り下げないのか。
それこそ私は大事な個性の多様性と自由な思想を尊重だと考えており、人間の発展になくてはならないと思っています。
すみません。そう考えると、私の文書が言葉足らずでした。
一番伝えたかったことは、正しい答えがないからこそ「自分が一生懸命考えた答えを恥ずかしがらないで出力すること」を大事にしてほしいと伝えたかったのです。間違っていようが、自分の出した答えは小説の面白さに必ず繋がると私は信じています。
ちょっと文章の修正をしようかなと思います。
ご意見本当に感謝です!
追記:
いいんですよ! じゃんじゃん揚げ足とってください!
私も気づかないことが沢山ある為、言って頂ければ修正していけます!
ありがとうございます!
『私の意識』は私の意識にある。
なぜなら『私の意識』が私の意識になければ、『私の意識』が私の意識にあるとは書けないからだ。
こんな感じでいかがでしょう。
帰納的推論が含まれているので証明にはならない、という反論が予想できますが、推論が間違っていることを証明することもできません。
まぁ、ただの言葉遊びですけども。
面白かったですー。
作者からの返信
お久しぶりです!
良いところにお気づきです!
実は次のお題がそれなので、びっくりしました!
フフフ、楽しくなってまいりました。
小説を書く時って、どんなジャンルであっても、こうでいいのかな?自分は正しいの?みたいな迷いが生じるんですよね。
基本的には、自分を押し通す!なんですけど、それでも不安というか自信が持てないというか、なんというか……
でも、なんだかこの作品で、それが払拭されそうです!
これから楽しみにしてますね!
作者からの返信
土御門響様
おお! さっそく読んで頂きありがとうございます!
私もこの創作論を出す時、本当にこれいいのかなって思いながら投稿してるので同じですよ!
本当にちょっとでも息抜き出来ればと思います!
さっそくありがとうございます!
程々に頑張ります!
面白い創作論です。かの有名なジョジョの奇妙な冒険にも、哲学的な要素がふんだんに取り入れられてますからね。
作者からの返信
面白いと言って頂きありがとうございます!
お! 私もジョジョリオンの最初辺りまで読んでいるので、その影響を受けているのかもしれませんね。
因みに私の夢は、植物のように平穏で穏やかな人生を過ごすことです。