香澄のカウンセリングレポート(五)
『心に傷を残した少年の心理および行動記録(五)』
[二〇一四年三月二四日……あれからも時折トムの様子をうかがっているが、以前に比べてどこかよそよそしい。どうやらトムは私が約束を
私が生まれ育った故郷の日本に、『笑う門には福きたる』ということわざがある。常に明るく前向きに考えることで、自然と良いことにめぐり合えるという意味がある。今のトムには笑顔だけでなく、前向きに歩くことが何よりも重要だ。幼い心と体に多くの傷を残してしまった彼には、誰よりも幸せな未来を手に入れて欲しい……
二〇一四年三月二四日……ワシントン大学の卒業を控えたメグが、ここにきて少し奇妙なことを口にする。メグの話によると、“ここ最近少年の言動や行動におかしな点が多い”と指摘するのだ。
実例を踏まえて説明すると、これまで内気で消極的だったトムが急に明るく積極的な言動および行動を取っている。確かに一種の覚悟を決めた場合において、心理学では精神疾患や悪いことの前触れだという報告事例がある。
だが“何でもかんでも心理学に結び付けるのは良くない”と指摘すると同時に、“それはあなたの気のせいよ”と優しく説得する。……本当に私たちの気のせいであることを、
[先ほど私はトムの心境の変化を、“ただの気のせいではないか?”と伝えた。だが私もまったく心当たりがないわけではなく、口にこそしなかったものの、トムに対しどこか恐怖を抱えている。私はトムと一緒に出かけると約束したのだが、このカルテを作成するために、やむを得ず大学へ行くと嘘を付いた。特に大きな悪気はなかったのだが、私にはトムの落胆した顔と瞳が今でも脳裏に焼き付いている。
友人の言葉を借りると、トムは私と一緒に出かけることを心待ちにしていたかもしれない。そうとは知らず、私は少年の約束よりもカルテ作成を優先してしまった。このことがきっかけで、トムの身に不幸が怒らなければよいのだけど……
人間が一番恐れるものとは何だろう? ホラー映画のように怪物やモンスターに襲われること? それとも不幸な事件に巻き込まれて、突如平穏や未来を失ってしまうこと?
どれも正しい
一人の心理学を学んだ者として、私なりの考えを述べさせていただきたい。当たり前だった日常が突如失われることで、これまで当たり前だった日々が突然無くなってしまう。実際に私の患者でもあるトムは、その小さな心に深い傷を残している。私は最大限の努力をして、トムの心を癒そうと励んでいる。……果たしてその努力は、本当に報われるのだろうか?
だが私が思っていた以上に、トムの心の傷は深い模様。表面上は笑っているものの、私にはトムが心の奥底で一人泣いているようにも見える。本来なら私を含めた大人に頼る・甘えても良いのだが、生真面目で臆病な性格ゆえトムは人に頼ることが中々出来ないようだ。
これまで何度も“いつでも力になるわ”と、私はトムの耳にタコが出来るほど呼びかけているが、当の本人は心の声を語ってくれない。このまま何の手も打たずにいると遅かれ早かれ、トムの心に何らかの支障をきたす可能性があることは明白。
むしろトムのような強い心の傷を負ったケースにおいては、『友達』や『家族』などの存在が不可欠で、近くにいる者が心の支えにならなければならない。だがトムは心の声を聞かせることに抵抗があるようだ。不安定なその心は色が定まることなく、あえて道なき迷宮を一人歩き続けている。それはまるで時間を置き忘れたピエロのように……]
『心に傷を残した少年の心理および行動記録(五-二)』
[この仮説が正しかった場合……表向きは常に明るく振舞っているが、心の奥底では私たちを信頼していないことになる。だがその理由にはおおよその検討は付いており、トムの唯一の心のよりどころである父リースと母ソフィーを失ったショックが大きすぎるためか、一種の人間不信になっている可能性がある。
せっかく優れた芸術の才能を神様から授かったのに、このままでは苦悩し続けたあげく自ら未来を壊してしまうのは時間の問題。手遅れになる前にトムの心・命を救う方法は何か残っていないの? このまま波に揺られながら、航海を続けても良いの? トムを救うためには、私は何をすればよいのか? 誰でもいい、その答えを教えて欲しい。そしてお願い、これ以上自分を苦しめないで……]
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