カフェテリアでランチタイム

    ワシントン州 ワシントン大学 二〇一二年八月九日 午後〇時三〇分

 香澄による即興のピアノ演奏が終了したころ、時刻は午後〇時三〇分となっており、“ランチの時間にちょうど良い時間よ”とマーガレットは一同を誘う。

「あっ、もうそんな時間なんだ!? そろそろお昼の時間にする、トム?」

「――僕は大学の学生じゃないけど、大丈夫だよね?」

「その点は心配しなくても大丈夫よ。食事は校外の人でも利用出来るから、心配いらないわ」

“今日のランチは何を食べようかしら?”と楽しく話し合いをしながら、カフェテリアへと向かう香澄たち。

 

 ワシントン大学のカフェテリアは、ランチタイムは多くの学生で賑わう人気の場所となっている。また学生だけでなく、教職員の間でも人気のカフェテリア。味も絶品だと、保証されている。だが今日は夏休みということもあり、お昼の時間帯だが、利用者があまりいない様子。そのため余裕を持って座ることが出来た香澄たちは、いつものように席を確保することなく、先に食券を券売機で購入する。

「トム君はこの中から好きな食券を選んでね。上段にある食券が欲しかったら、私が変わりに押してあげるわ」

「ありがとう、香澄。だったら僕、香澄と同じメニューがいいな」

「本当に? カレーとかハンバークもあるけど、いいの?」

「うん」


 パスタのペスカトーレにする予定だった香澄は、“それではトムのお腹がいっぱいにならないわ”と忠告する。だがそれでもトーマスは“香澄と同じものがいい”と言ったので、結局香澄はペスカトーレの食券を二枚購入することになった。なおマーガレットはハンバーグ定食を注文し、ジェニファーは期間限定メニューとして販売されているうな丼を注文する。

「あらジェニー? それってかしら? へぇ、アメリカでも食べられるのね」

「えぇ、そうなんです。私一度、うな丼って食べてみたくて!」


 日本育ちの香澄にとってすれば、うな丼はなじみ深い料理。一方で日本食に詳しくないトーマスとマーガレットは、“うな丼って何?”と香澄へ質問する。

「うな丼っていうのはね……日本で夏の時期に食べるお料理なのよ。日本ではって言われているくらいなの」

「へぇ、日本食って奥が深いんだね」

“美味しそうだな”と一人思っているトーマス。そんな彼の気持ちを察したのか、“良かったら、一口食べる?”とジェニファーが誘う。少し遠慮がちに首を縦に振る。それを見たジェニファーは、スプーンにうな丼を一口よそい、“お口を開けて”とお願いする。

「えっ!? ジェニー、そんなことしなくても一人で食べられるよ?」

「遠慮しないで、トム。……早くお口を開けないと、全部食べてしまいますよ?」

「……ったくもう」


 ジェニファーがスプーンにすくい目の前に差し出してくれたので、彼は恥ずかしそうに“アーン”と口を開ける。そこへジェニファーがスプーンをそっと入れると、トーマスは口の中にはうな丼独特な味を堪能する。

「ちょっと変わった味だけど……美味しいね」

うな丼特有のタレの味が、気にいった様子のトーマス。そして“ありがとう”と言うと、ジェニファーは“どういたしまして”と笑顔で返す。

 自宅や食卓では病気の影響により、積極的に会話へ加わろうとしないトーマス。だが本当はとても素直な子供。だが時折見せる、彼の少し恥ずかしそうな素振りを見るのが、ジェニファーにとって、癒しとなっている。横から二人のやりとりを見ていた香澄とマーガレットも、そんなトーマスの素朴で純粋な姿を見るのが好き。


 少し遅いランチタイムを終えた四人は、テーブル席に座ったまま、今後の流れについて話し合った。しかしマーガレットは午後から夕方までアルバイトがあり、必然的に外出するという結果になる。だが香澄とジェニファーは特に予定がなく、せっかく大学に来たので、図書館で勉強でもしようとことになる。

「せっかくの夏休みなのに勉強……か。本当に香澄とジェンは真面目よね」

 しかし“トムがどこか遊びへ行きたい場所があれば、付き合うわ”と告げる香澄とジェニファー。それを聞いたトーマスは、この後どうするか心の中で一人考えていた。

『この後はどうしようかな? メグを見送る? もしくは香澄とジェニーの二人と一緒に、どこかへ遊びにいこうかな? それとも……』


 心の中で午後の予定をどうするか少し考えた結果、トーマスはある決断を胸に秘める。

「ごめんなさい! 僕、この後ちょっと行くところがあるから……」

「あら、そうなの。ちなみにどこへ行くの?」

一瞬右手を強く握りしめながらも、顔色変えることなく“友達と約束をしている”と伝える。それを聞いた彼女たちは、“少しずつ前向きに行動出来るようになったのね”と、思わず微笑んでしまう。

「なら良かったわ。あっ、車には気をつけて遊ぶのよ?」

「分かっているよ――もうこんな時間!? ごめん。友達と約束の時間に遅れるから、先に行くね」

「えぇ、分かったわ。それとトム、夜ご飯までには帰るのよ。いい?」

「はーい! 香澄たちも気をつけてね」

と元気よく手を振りながら、トーマスは一足先にワシントン大学を出る。


 そんなトーマスの明るい笑顔を見て、香澄たちは“彼も少しずつだが元気になっている”と心を動かす。

 教育実習や心のケアという名目で香澄たちがハリソン夫妻のもとでお世話になってから、今日で約五ヶ月が経過。最初は“仲良く出来るか不安”に思っていたが、香澄たちは少しずつ手ごたえを感じているようだ。


 その結果当初からは想像が出来ないほど、香澄たちとトーマスの距離は近くなっている。“これも私たちの努力の結果ね”と、喜びに胸が躍っている。

「香澄、ジェン、見た? さっきのあの子の笑顔? ……最初は不安だったけど、私たちの努力も、まんざら無駄ではなかったことよね?」

「そうですね。……ううん、私はそうだと思いたいな」

「……私たちだけの力ではないわ、メグ、ジェニー。私たちを支えてくれた、ハリソン夫妻の支援やサポートあってこその結果よ。そしてトム自身も少しずつ変わろうと、必死に努力しているのよ」

「香澄、マギー。これからもみんな一緒で力を合わせて、トムを支えていこう!」


 一足先にワシントン大学を出たトーマスは、ある目的地へ向かって歩く。その瞳には、何かを決心した強い意志が感じられる。だがそれによって香澄たちへ“友達と遊びに行く”と嘘をついてしまったことを、一人後悔していた。

『……何だろう、この嫌な気持ちは? け、けど本当のことなんて言えるわけないし。僕は間違っていないよ。僕は間違っていないはずなのに、なのに……』

 不快感とも罪悪感とも取れるモヤモヤが生まれてしまい、“どうすれば心の微熱を無くすことが出来るの?”と、一人自責の念に駆られてしまう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る