初めての共同作業
ワシントン州 トーマスの部屋 二〇一二年六月一二日 午後八時一〇分
約束の時間より一〇分ほど遅れて、香澄たちはトーマスの部屋へ向かう。そしていつものようにドアをノックする。事前に来ることを知っていたので、トーマスは香澄たちを出迎える。
いつものように香澄たちが部屋へ入ると、勉強机には教科書が広げられている。同時にトーマスは体を綺麗にしたばかりのためか、部屋には石鹸の香りが漂っている。
遅くてもトーマスは夜の九時から一〇時までには寝てしまうため、香澄たちは彼に作品作りの進展状況について問いかける。
「うん、おおよそのテーマとジャンルは決まったって感じかな。とりあえず見てくれる?」
トーマスは今自分が考えているテーマについて、香澄たちへ相談する。
『シアトル誕生記念祭へ投稿する作品のテーマとジャンルについて』
一 自分が思っていることや日常をテーマにして、それを詩に表現して作品投稿する。
二 トーマスが好きな映画や作品などをイメージして、それに合うような作品を作る。
三 作品のインパクトを強くするために、誰も投稿しないようなテーマやジャンルを考える。
自分なりに考え抜いた結果、このようなアイデアが浮かんだことを告げるトーマス。“なるほどね”と納得した三人だが、香澄には【三】の内容が今一つよく理解出来なかった。
「ねぇ、トム。【三】の内容について、詳しく教えて欲しんだけど……」
「うん。こういうイベントって、“【一】や【二】をテーマにした作品作りが多い”と思うんだ。だからあえてインパクトを残すために、奇抜なアイデアを使って投稿しようと思うだけど」
彼のアイデアも中々斬新ではあったが、“それは社会性やモラルに反する可能性があるわ”と香澄は指摘する。
「方向性は悪くないと思うけど、【三】について私は止めた方がいいと思うわ」
香澄に“止めた方が良いわ”と指摘され、今回【三】のテーマは除外することになった。
次にジェニファーは【一】について興味があり、“初めて投稿するならこのテーマが無難よ”とアドバイスする。
「初めて投稿や作品作りをするのであれば、私は【一】のテーマやジャンルが一番良いと思います。その方がトムも作りやすいと思うし、何より個性を出すことも出来るわ」
「僕の個性?」
“僕に個性なんかあるのかな?”と疑問に思うトーマスに対し、ジェニファーは分かりやすい事例を用いて説明する。
「例えばのお話ですけど、トムの好きな女性歌手がいますよね? トムがいつも聴いている女性歌手の歌声について、あなたはどう思う?」
トーマスは普段自分が聞いている女性歌手の歌声について、思っていることをそのままジェニファーに伝えた。
「それですよ、個性というのは。“綺麗で透明感ある歌声”を最大限生かして、その人は女性歌手として活躍しているの――私の言っていること、分かるかな?」
「う~ん、分かるような分からないような気が……」
ジェニファーの言いたいことが何となく理解する一方で、それを言葉で上手く説明することが出来なかった。
一方で演劇経験が豊富なマーガレットは、自分が今度大学で演じる予定のお芝居について話を始める。
「トムの作品作りに直結するかは分からないんだけど――今度の学園祭で私、あるお芝居をするのよ。『オペラ座の怪人』っていうお話の内容は知っている?」
マーガレットが演じるという『オペラ座の怪人』について、トーマスは自分が知っている範囲内で説明する。
だがその知識は想像以上に深く、マーガレットをはじめ、香澄やジェニファーもあっけにとられてしまうほど。
「――という内容だったよね? 簡単に説明すると」
「えぇ、その通りよ。このお話について知っているようだから、『オペラ座の怪人』をテーマにして詩を作ってみるのはどうかしら?」
「僕が『オペラ座の怪人』の詩を? 僕はメグみたいにお芝居の経験がないから、それは無理だよ」
“メグが何を言いたいのか分からない”と、投げかけるトーマス。すぐにマーガレットは“言い方が悪かったわね”と訂正した。
「ごめんなさい、トム。要は『オペラ座の怪人』で興味あるシーンや場面を、あなたなりに解釈して詩を作るのよ。詩であれば作曲する必要もないから、その点は大丈夫よ」
自分が世界的に有名な『オペラ座の怪人』のテーマを元に詩を作る。マーガレットに言われるまで想像もしていなかったが、トーマスの頭の中にはそれも面白いかもしれないという考えがあった。
一方で香澄とジェニファーは、彼女の考えにあまり賛成ではない様子。
「……確かにメグの考えも間違ってはいないと思うけど。でもいきなりトムに作詞を頼むのは、ちょっとレベルが高すぎると思うわ」
「私も香澄と同意見です、マギー。だから私は、トムの日常や心情をテーマにした作品作りのほうが良いと思います」
「え~、何で!? トムって頭の回転早そうだし、いいと思うんだけどな。それに『オペラ座の怪人』だったらみんな知っているから、テーマとしても最適だよ」
「で、でもねメグ。締切りまで数週間しかないのよ。そのことも考えると……」
香澄たちはトーマスが作る作品について意見を交換し始め、詩のテーマやジャンルについて一生懸命考えていた。
一方のトーマスは香澄たちの意見を考慮した結果、【一】もしくは【二】にしようと決心したことを伝える。
「……分かったわ。とりあえずトムの方向性が見えただけでも、今回は良しとしましょうか。メグとジェニーもそれでいいわよね?」
「えぇ。トムが一歩前進したってことで、今回の話は無事終了ね」
「そうですね――ところでトム、作品が出来たら投稿する前に私たちにも見せてくださいね? お願いね」
「で、でも初めての創作だから……きっと文章とか表現方法とか間違いだらけだよ。恥ずかしいよ」
だが三人は“絶対に笑わない”と約束し、気持ちが傾きつつあるトーマスを説得している。そしてトーマスの警戒心を解くためか、“可能な限りアドバイスするから、完成したら見せてね”と笑顔を見せる香澄たち。
そんな香澄たちの笑顔に触発されたのか、トーマス自身も彼女たちへ相談をした手前、その願いをきっぱりと断ることが出来なかった。
「ぜ、絶対に笑わないって、約束してくれる?」
「約束するわ。……そうだわ」
疑り深いトーマスを信用させるために、香澄は自分の右手小指を彼の目の前に差し出す。
突然左手の小指をトーマスの前に差し出す香澄。“香澄、何をしているの?”と首をかしげながらも、ただ彼女の小指を見つめている。
「日本にはね、トム。約束事をする時に、お互いの小指を合わせるっていう習慣があるのよ。指切りっていうんだけどね」
“そんな風習や習慣が日本にあるんだ”と不思議に思いながらも、言われるがまま自分の右手の小指を香澄の小指に合わせる。お互いの小指を合わせると、香澄はどこか満足げ。
「指切りげんまん、嘘ついたらはりせんぼん飲―ます。……指切った!」
香澄の合図と同時に、彼女はトーマスと合わせていた小指をそっと離す。ぼーっと放心する二人を見て、香澄は
「……ほら、二人もぼーっとしていないで、早くトムと指切りしなさい!」
マーガレットとジェニファーにも催促する。
そして見よう見まねで指切りを交わすと、香澄は一人納得した様子だった。
「みんな終わったかしら? それからトム。私たちはあなたが作った作品の結果を楽しみにしているから、出来上がったら必ず教えてね」
コクリと頷くことで同意したトーマスを見て、“よろしい”と一人満足げの香澄。……やはり香澄は世話好きな性格のようだ。
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