勉強熱心な香澄


 ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年六月二〇日 午後二時〇〇分

 マーガレットとジェニファーから駅で連絡を受けていたころと同時刻、香澄は自分の部屋へフローラを招き、一緒に心理学の勉強をしていた。“昼食を終えてお皿洗いが終わった後なら、少し時間が取れるわ”とのことで、彼女はフローラに勉強を見てもらうことにした。


 ケビンは大学構内の講師たちと出かける約束をしており、ランチを食べた後、車を使用して一人外出してしまった。フローラと勉強中に突然自分のスマホが鳴りだし、“失礼します”と一言断りを入れ、内容を確認する。そして簡潔に済ませるため、二言返事をしてマーガレットへ送信した。

「……失礼しました、もう大丈夫です」

「いえ、大丈夫よ。相手はメグかジェニーかしら?」

「はい、メグです。“今度トムへプレゼントを贈る”と決まったので、その確認のメールでした」

「あら、そうなの。いつもごめんなさいね、香澄。色々と気を使ってもらって」

“大丈夫ですよ、これくらい”と伝えると、勉強を再開する。


 それを聞いた彼女も納得し、香澄は心理学の勉強で疑問に感じている点を、フローラに確認する。そうした勉強が数時間ほど続き、夕方四時半過ぎになると、“そろそろ終了しましょう”とフローラは言う。

「あっ、ごめんなさい。今日のところは、これでお開きという流れでいいかしら? そろそろ夕食の支度をしないと……」


 フローラの合図をきっかけにふと時計を見ると、時刻は午後四時三〇分だった。“もうそんな時間なのね”と思いつつ、数時間自分の勉強を見てもらったフローラにお礼を言う。

「お疲れさまでした。フローラのおかげで、勉強がはかどりました」

「いえいえ、これくらいお安いご用よ。……また何か分からないことあったら、いつでも聞いてね。香澄」

「はい、ありがとうございます。フローラ」

 

 その後“夕食の準備を手伝います”と申し出たが、彼女は“ご飯が出来るまで部屋でゆっくりして”と香澄を優しく気遣う。実際数時間ほど机に向かいっぱなしのため、彼女自身も“少し横になりたいわ”と思っていた。すると勉強が終了したことで気が緩んだのか、フローラの見ている前で香澄は、おもわずあくびをしてしまう。

「す、すみません。私ったらつい……」

「気にしないで、香澄。……今日は少し疲れたでしょう。何か暖かい飲み物でも持ってきましょうか?」

「だ、大丈夫です。ありがとうございます」

「香澄、無理をしないで。少し横になっていなさい。……ご飯が出来るまで二時間くらいあるから、夕食の準備が出来たら起こしてあげるわ」

いつものように“大丈夫です”と、気丈をはる香澄。


 しかしこの時ばかりは眠気に負けてしまい、“お願いします”と言ってしまう。半分力が抜けたような声を出しており、今にも横になって仮眠を取りたいという心境。

 本人から“少し横になります”と聞いたフローラは、香澄の部屋のドアをそっと開けて、そのまま一階のリビングへと向かう。一方でフローラを見送った後、香澄はベッドに吸いこまれるように身を投じ、そのままスヤスヤと眠ってしまった……


 午後五時〇〇分ごろ、マーガレットとジェニファーを見送ったトーマスは、少し寄り道をした後で帰宅する。“ただいま”とトーマスが言うと、リビング奥のキッチンで調理をしているフローラが大きな声で、“おかえり”と返す。いつものように洗面所へ向かったトーマスは、石鹸を使いごしごしと手を洗った後で備え付けてあるコップにお水を入れ、数回ほどうがいする。


 その後フローラが待つ台所へ向かうと、トーマスの食欲を誘ういい匂いがした。

「……ん? この匂いはもしかして、今日の夜ごはんはカレーなの!?」

「えぇ、そうよ。今日はトムの大好きなカレーよ。ご飯はそうね……六時半くらいかしら?」

元気よく返事をするトーマスを見たフローラは“香澄が部屋で休んでいるから、あまりうるさくしないでね”と、続けてお願いする。

「うん、それはいいけど――もしかして香澄、風邪引いたの?」

「違うわ。さっきまで一緒に勉強していたから、少し疲れているだけよ。だから香澄に用事がある場合には、夕食後にお願いして。……いいわね?」

「うん、わかったよ」


 いつもは走りながら階段を上るトーマスだが、この時ばかりは“香澄を起こさないようにと”気を使い、静かに自分の部屋まで向かった。

『香澄を起こさないようにそっと……そっと……』

 そんなことを考えながら部屋に着いたトーマスは、自分もご飯が出来るまで少し休もうとベッドで横たわった。だが香澄のように仰向けで眠るのではなく、そのままベッドにダイビングして、うつ伏せの状態で仮眠をとる。

 

 今日はマーガレットとジェニファーおよびハリソン教授は、それぞれ仕事や用事などがあり夕食時には戻ってこない。そのためフローラと香澄、およびトーマスの三人だけで食事をすることになった。予定通り午後六時半ごろに夕食の準備が出来ると、フローラは香澄の部屋へ向かい、約束通り食事の用意が出来たため、彼女の部屋を優しくノックする。

「……香澄、起きてる? 夕食の支度が出来たから、下りてらっしゃい」

彼女はすでに起きていたようで、奥から“わかりました”という声が聞こえてきた。

 それを確認したフローラは、続いて中々下りてこないトーマスの部屋へと向かう。同じようにドアをコンコンとノックするが、今度は返事がない。だが早くしないと、せっかく作ったカレーが冷めてしまう。仕方ナックフローラは、“入るわよ”と一言断ってから入室する。

 するとうつ伏せの状態で眠っているトーマスの可愛らしい姿がある……微笑みを浮かべながらも、フローラは彼を優しく起こす。

「……トム、起きなさい。ご飯出来たわよ」


 フローラがトーマスの体をそっと揺らすと、時折“う~ん”と言う寝言が返ってくる。そして“隣に誰かが座っている”という気配を感じたトーマスが横に視線を向けると、エプロン姿のフローラが優しく微笑んでいた。

「……あれっ、フローラ。どうしたの?」

「ご飯が出来たのにあなたが下りてこないから、心配になって様子を見にきたのよ」


 そう言ってフローラはトーマスの頬に自分の手をそっと置き、いつもの優しい笑顔を見せ少年を安心させる。それを聞いて安心したトーマスは、“すぐに食卓へ行くね”と約束する。“お願いね”と一言伝えると、フローラは部屋を出ていきそのまま一階の食卓へと向かう。食卓へ向かうとすでに香澄が席に座っており、彼女はフローラと他愛のない会話を楽しむ。

「あら、香澄。おはよう。……もう眠気は覚めたかしら?」

「えぇ、もう大丈夫です。ありがとうございます」

続いて手洗いを終えたトーマスも食卓へやってきたので、三人は夕食を食べ始める。


 今日はトーマスの大好きなカレーを作ったフローラだが、実は彼の味の好みについてきちんと把握していない。香澄は小さいころからの知り合いなので、ある程度熟知している。だがトーマスの好みは分からなかったので、今日の味付けについて質問する。

「……ねぇ、トム。今日のカレーどうかしら? ちょっと甘すぎない?」

「どうって言われても……とても美味しいよ、フローラ」

「……なら良かったわ。私あなたの味の好みについて、まだはっきりと分からないから。ちなみにトムは……辛い食べ物は好き? それとも好きじゃない?」


 せっかくなので、フローラはトーマスの味の好みについて詳しく尋ねてみた。

「辛い食べ物? そうだな……カレーだったら少し辛くても大丈夫だけど、お寿司や辛いサンドウィッチみたいな食べ物は苦手かな?」

自分がこれまで食べたことのある食べ物の中で、好き嫌いをはっきりと彼女に伝える。

「ということは――トムはマスタードやワサビが苦手なのね。覚えておくわ」

今後のために、フローラは頭の中で彼の好みについて、頭の片隅に記憶した。彼女が考えごとをしている間に、彼はカレーをすべて平らげてしまい、“フローラ、おかわりちょうだい!”とお願いする。

「あら、もう食べたの? 早いわね。はいはい、ちょっと待ってね」


 トーマスが食べ終えたお皿を受け取ったフローラは、台所に向かいご飯をよそった後でカレーをかける。“やっぱり男の子はカレーが好きなのね”と思いつつも、フローラは彼が待つテーブルの前に置き、“はい、どうぞ”と言いながらお皿を置く。

 結局彼は二杯カレーをおかわりした後で“ごちそうさま”と言い、台所でお皿を洗う。そして、いつものように自分の部屋へ戻る。彼にとって今日は色んなことがあった一日となり、自室に戻るとすぐに眠りについた。

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