心の内に秘められた恐怖

  ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一四年六月三日 午後三時一〇分

 てっきり香澄・マーガレット・ジェニファーの三人は、“ハリソン夫妻がトムへすべて打ち明けている”と思い、今日まで二人を信じてきた。だが真相は全く異なり、ハリソン夫妻は一番重要なことをトーマスへ伝えていなかった模様。

 その事実を知ったマーガレットは次第に感情が抑えられなくなり、さらにハリソン夫妻を強く追及する。

「な、何でそんな大事なことをあの子に伝えなかったんですか!? そのことをあの時しっかりと話していれば、今日だって外出することを引きとめられたのに!? どうして……どうしてなのよ!?」

 今まで尊敬するハリソン夫妻にだけは、敬意を表し接してきたマーガレット。しかし今回の一件においては我慢が出来なくなり、時折言葉を荒げてしまう。


 これまでに感じたことがないほどの怒りを瞳に秘め、ハリソン夫妻へ理由を追及し続けるマーガレット。いつになく感情的なマーガレットを何とか落ち着かせようと、香澄とジェニファーは必死。

「マギー、少しは落ち着いてください!? そんなに興奮しないで!」

「ジェニーの言う通りよ、メグ。ここで二人を責めても、現状は何も変わらないわ」

「…………」

親友の二人に説得され我に返ったのか、興奮気味で手をぐっと握りしめていたマーガレット。そしてその腕から少しずつ力が抜けていく。


 香澄とジェニファーの説得の成果もあり、少しずつだがマーガレットは落ち着きを取り戻す。だが今度は冷静沈着なフローラが取り乱してしまい、泣きながらも必死に弁解する。

「……か、仮に本当のこと伝えたら、トムはひどく悲しむわ。そ、それだけでなく……きっと私たちを見る目も変わってしまい、軽蔑けいべつされてしまうかもしれない。それが、わ……私たちには怖かったのよ。で、でもが……ま、まさかこんなことになるなんて。ほ、本当にごめんなさい!」

両手で顔を覆いながらも、必死に弁明するフローラ。その泣き崩れる姿は、ちょっとしたいたずらをして両親に叱られている少女のように小さかった……


 普段は教師という立場から自ら教壇に立ち、時には親身になり生徒を指導・相談する立場のフローラ。しかしトーマスのことになると同時に、彼女は一人の教師から一人の女性・母親に戻ってしまう。

 構内では多くの人から慕われるフローラも、少し心の内を覗いてみると、そこには“本当の息子のように可愛がっていたトムには、絶対に嫌われたくない”という切なる願いが秘められている。

 そんな誰もが望むごく平凡な平和な日常や日々が崩れてしまうことに心から怯えためか、フローラは事の真相を伝えることが出来なかったようだ……


 フローラのトーマスに対する親心おやごころについて、ケビンもうすうす感づいていた模様。だがフローラほどではないにしろ、ケビンもどこかその気持ちに同情してしまったのだろう。

 本来なら夫の立場であるケビンが、しっかりとフローラを説得する必要があった。もしくは取り乱しているフローラに変わり、自分がトーマスに真相を語る必要がある。だがそうしなった背景として、ケビンの心の中にもまた、フローラと同じような感情を抱いていたのかもしれない。


 香澄たちの二倍近く歳を取り、今日まで色んな形で色んなことを経験してきたハリソン夫妻。だがそんな人生経験豊富な彼らでさえも、実の息子のように愛情を注いだトーマスが、ある日突然自分たちの元から去っていく事実に耐えられなかったようだ。人の心とはとても弱く……そしてとてももろいものだ……

 

 意外な弁解をするフローラの言葉を聞き、香澄たちの胸は苦しくなってしまう――むしろフローラが語った言葉こそ、香澄たちが密かに心の中で思っていたことそのものかもしれない。


 子どものように取り乱すフローラの肩に、そっと手を添えるケビン。そんな彼の瞳にも、フローラと同じように涙を浮かべている。

「みんなの“僕らに文句を言いたい”という気持ちは痛いほど分かるよ。だけど今はその気持ちを心にとどめて、一緒にトムの行方を探す手伝いをしてくれないかな? もっともこの状況下で、お願い出来る立場でもないけど……ね」

そう言った後にいつになく真剣な眼差しを見せたケビンは、真っすぐに香澄・マーガレット・ジェニファーの目を見つめる。


 だがその眼差しはどこか切なさを秘めていると同時に、“自分の命に変えても、トーマスを見つけてみせる”という情熱も秘められていた。

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