引き裂かれた想い

      ワシントン州 香澄の部屋 二〇一四年六月一日 午後一一時一五分

 トーマスがノートパソコンの画面を調べると、そこにはいくつかのフォルダが置かれていた。だが真面目な性格の香澄のノートパソコンには、几帳面かつ細かくフォルダに名前が書かれており、かつ見やすいように綺麗に分類されている。几帳面な彼女の性格に関心しつつも、トーマスはノートパソコンの画面に目を通していく。子供ならではの好奇心に負けたのか、画面に置かれていたファイルを開こうと懸命。

 だが几帳面な性格の香澄は、安易に人に見られないようにパスワードを設定していた。“ファイルを開くためには、パスワードが必要です”と画面上に表示されて、中身を確認すること出来なかった。

 他のファイルも同様で、ノートパソコンの画面を閉じようとするトーマス。だがその時、

「あれ……何でこのフォルダだけ、アイコンのマークが違うんだろう?」

鍵マークのアイコンが表示されている、一つのフォルダを見つけた。


 通常デスクトップのアイコンを変更するには、特定の操作を行う必要がある。特に香澄のような几帳面な性格なら、特別な理由がない限りこのような設定をする必要はない。無意識にマウスを動かしクリックすると、そのフォルダにはなぜかロックがかかっていない。

『鍵マークのフォルダなのに、何故かロックがかかっていない。……もしかして、僕に何か関係があるのかな? ちょっと見てみようっと」


 疑心暗鬼状態になっているトーマスは、自分と関係があるのではと結びつけてしまう。そしてフォルダを開けてファイルを開くと、そこには驚くべき内容が記されている。

「!? こ、これってもしかして……」

 そう……香澄たちにとって、一番知られたくない内容が残されているファイルをトーマスは発見してしまう。トーマスが開いたファイルの中には、作成中であろう『トーマス・サンフィールドのカウンセリング結果』というファイルがカルテとして保存されている。

 普段はこのファイルにもロックをかけていた香澄だが、この時ばかりは疲労による気のゆるみや作業の途中ということもあり、鍵をかけ忘れてしまったのだろう。

 そこへ運悪くトーマスが香澄のノートパソコンを発見してしまい、彼女たちが隠し通してきた秘密を知ってしまう。……不幸な運命のいたずらが偶然重なってしまい、それがトーマスの心を引き裂くきっかけとなる。

「……ぼ、僕はだったの? ……う、ううん! き、きっと何かの間違いだよ!?」

何とか理由を作ろうと必死に考え抜くも、目の前にあるファイルが答えを返すことはなかった。


 自分が病人で診療対象だったと認めたくないトーマスは、次々と香澄が作成したファイルを開き続ける。だがトーマスの思惑とは異なり、香澄の視点による彼自身の心理状態がこと細かく記録されていた。

 同時に自分がことなど夢にも思っておらず、香澄が作成したファイルを見れば見るほど、トーマスの無垢な瞳からは滝のような涙の流れ落ちる。同時に今まで優しくしてくれたハリソン夫妻に対し、“自分は騙されていた”と強いショックを受ける。

「ひ、ひどいよ……ケビンたちは最初から実験に利用するつもりで、僕を養子にしたんだね」

 そして数年前から入居し始めた香澄・マーガレット・ジェニファーに対しても、同様の理由から強い絶望感を感じてしまう。

「……か、香澄たちも僕をいじめるために、このお家に来たの? い、今まで僕と一緒に過ごしていたのも、や、やっぱり……実験結果か何かを記録するためなの?」

 自分でも何を言っているのか分からなくなるほど、彼の頭は大きく混乱してしまう。特に本当の姉のようにしたっていた香澄たちに対し、トーマスは裏切られた気持ちで胸が締め付けられる。

「あ、あの時……香澄たちは“友達や家族として僕の力になってくれる”って言ってくれたのに。だ、だから僕もその言葉を信用して、と思って接してきた。で、でも結局香澄たちは最初から僕を……僕を利用するつもりだったんだね?」

 

 実際にはハリソン夫妻がトーマスの症状や心の負担を心配して、香澄たちに協力を求めたという表現が正しい。しかし強い絶望感と嫌悪感に支配されている今のトーマスには、ハリソン夫妻や香澄たちの優しさや想いが伝わることはない。

 その結果自分の都合の良いように解釈してしまい、彼女たちへ抱いていたという感情でさえも、といった正反対の感情に変わってしまう。同時に強い彼の心に強い哀しみが襲い掛かり、本当なら今にも家を飛び出したい気持ち。だがそれでも何とか自制心を抑えつつ、自分が香澄の部屋を訪ねた痕跡を残さないようにそっと部屋を出る。


 すっかり放心状態となってしまったトーマスは、無意識のうちに一階のリビングへ向かおうとした。何か冷たい飲み物でも飲みたくなったので、トントンと音を立てずに階段を一歩ずつ下りる。だが彼が階段を下りてリビングへ視線を合わせると、そこにはハリソン夫妻や香澄たちがいた。

 そっとドアの外から様子をうかがうと、どうやら香澄たちは何やら真剣な話をしている。しかし今の疑心暗鬼状態のトーマスにとって、彼らの話の内容を把握することは容易。ラッコのキーホルダーやファイルの一件などを総合的に考え、今後どうするか議論しているに違いない。


 だが“今の自分に味方はいない”と思い込み、かつ孤立無援状態でもある今のト

ーマスにとって、香澄たちとの接触は何としても避けたい。

『多分ための話を、みんなでしているんじゃないかな? そ、そうだよ……そう考えれば“明日から学校へ行かなくてもいい”って言ったケビンたちの言葉の理由にもなるし』

 そう思ってしまったトーマスは彼らに悟られることなく足音を殺し、一歩ずつ階段を上り自分の部屋に戻る。


    ワシントン州 トーマスの部屋 二〇一四年六月二日 午前〇時一〇分

 絶望感や失望感などといった感情を抱いたまま、自分の部屋に戻るトーマス。その身をベッドに投げつつ、ひっそりと声を殺して泣き叫ぶ。これまでにないほどの涙を流し、トーマスはその小さな体に希望ではなく哀しみの衣をまとっている状態だ。

 唯一の心のより所だった香澄たちにも、裏切られたと思ってしまうトーマス。その心の奥底には、うっすらと忘れかけていた数年前に他界してしまった両親への想いが、より一層強くなってしまう。

『もう誰を信じればいいのか分からないよ。パパ……ママ……僕はこの先一体どうすればいいの?』

 ポロポロと涙を流し疲れてしまったトーマスは、ベッドと枕に誘われるかのように夢の世界へと手を伸ばす。

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