失われた想い出の行方
ワシントン州 ハリソン夫妻の部屋 二〇一四年六月一日 午後一〇時〇〇分
本来ならとっくにトーマスは寝ている時間だったが、この時ばかりは眠れなかった。一階のリビングへ足を運んでみると、そこにはマーガレットとジェニファーが話をしている。だが話の内容はいつもと同じで、二人は他愛のないことで盛り上がっているようだ。
『……ここにはいないか。となると後は寝室かな?』
階段をそっと上って二階へ向かい、トーマスは自分の部屋とは反対方向にあるハリソン夫妻のドアの前で立ち止まる。そしてコンコンとノックをすると、
「……はい、どなた?」
中からフローラの声が聞こえてくる。
「僕だけど……フローラ、ちょっといい?」
「えぇ、鍵は空いているからどうぞ……」
そっとドアノブを回し中へ入ると、パジャマ姿のハリソン夫妻が出迎えてくれた。“とても仲の良い夫婦だな”とトーマスが思う一方で、夜の一〇時過ぎに部屋を訪れることに少なからず疑問を抱いているハリソン夫妻。
「どうしたんだい、トム? 明日は学校があるのだから、あまり夜更かしをしては駄目だよ」
“子供は寝る時間だよ”とハリソン夫妻に優しく諭される。
だが香澄たちがいない絶好の機会でもあり、トーマスは単刀直入に質問する。
「ケビンにフローラ。僕ね、一つ気になることがあるんだけど……」
「あら、こんな時間に一体何かしら? もしかして学校のお勉強のこと? それとも……今度の旅行先で行きたい場所でも決まったの?」
ハリソン夫妻は“勉強もしくは旅行先についての話”だと思っていたが、トーマスは自分の過去について分からないことがあると問いかける。
「うん。このラッコさんのキーホルダーについて……何か知っていることはない?」
そう言いながらトーマスは自分のバッグに取り付けていたラッコのキーホルダーを外し、それをハリソン夫妻へ見せる。
「!!」
するとこれまで穏やかだった二人の表情が一変し、まるで鬼のような形相をしている。……一体何があったというのだろうか?
「トム、一体どこでこれを見つけたの!? そしてどこにあったの……答えて!」
これまで温厚で優しかったフローラの顔つきと口調が変わり、何度も強く問いつめる。だが無我夢中で問いかけたためか、フローラは無意識のうちにトーマスの肩を強くつかんでいた。
「い、痛いよ……そ、そんなに強く僕の肩をつかまないで!」
「……あっ、ごめんなさい。私ったらつい……」
痛がるトーマスの声を聞き我に返ったフローラは、腕の力をゆっくりと抜く。
我に返って冷静になったところで、フローラは再度トーマスへ優しく“どこでラッコのキーホルダーを見つけたの?”と問いかけた。すると彼は、
「うん。今日出かけた時のことなんだけど……僕のカバンに何故か、ラッコさんのキーホルダーが顔を出していたんだ。でも僕は買った覚えがないし……何でだと思う?」
今までの経緯をありのまま、かつ正直に伝える。
困った表情で話を続けるトーマスとは対照的に、ハリソン夫妻の顔色は次第に青ざめていく。……このラッコのキーホルダーには、一体どんな秘密があるのだろうか?
「このキーホルダーを見ているとね、何だかとても懐かしい気持ちになるんだよ。でもそれだけじゃなくてね。……け、ケビン、フローラ!? 具合でも悪いの?」
瞳を震わせながらうっすらと涙を浮かべるフローラの姿を見て、トーマスは“どうしたの、フローラ?”と再度問いかける。
だがフローラは何も答えてくれなかったが、彼女の瞳はうっすらと涙を浮かべているようにも見える。一時的に言葉を忘れてしまったフローラの代わりにケビンが、“今日は一体どこへ出かけていたの?”と再度質問した。
「どこって言われても、シアトル水族館だよ。本当は香澄たちと行きたかったんだけど、彼女たちは卒業を控えていて忙しいそうだったから……」
「し、シアトル水族館……ま、まさかあの時の記憶が!?」
とっさにあの時の記憶と口走ってしまったことに気付き、ケビンは思わず右手で口を
「ケビン、何か知っているの!? ねぇ……ねぇってば!」
トーマスは何度も呼びかけるがケビンの耳には届いておらず、ぶつぶつと何か独り言をつぶやいている。
まるで何かに取り憑かれたかのように、ぶつぶつと独り言をしゃべり続けるケビン。すると今度は突然、
「トム、今日はもう自分の部屋に戻りなさい。続きはまた今度にでも……」
トーマスとの話を無理矢理打ち切ってしまう。
「えっ!? だって僕、質問の答えをまだ聞いて……」
「とにかくトムは、私たちの言うとおりにすればいいんだよ。……さぁ、自分の部屋に戻って、今日はもう寝なさい」
答えを聞きたいとトーマスは必死に呼びかけるものの、ケビンは黙り込んでしまう……
顔や頬を“ムッ”と膨らませながらも、仕方なくトーマスは自分の部屋に戻るしかなかった。すると今まで黙っていたフローラが突然、“それからトム、明日からしばらく学校には行かなくてもいいわ”と驚きの言葉が発せられる。
保護者の変わりでもあるフローラから突然“学校へ行かなくて良い”と言われるが、立て続けのことに納得のいかないトーマスは激しく反論する。
「えっ……と、突然何を言っているの? 僕はどこも悪くないよ。確かに夜更かしたことや、一人で遠くまで遊びに行ったことは謝るけど」
だがフローラは言葉を返すことはなく、突然トーマスを抱きしめる。そして本当の母親のように優しく、トーマスの頭を撫で始める。突然のことで頭が真っ白になり、いつものように“恥ずかしいから離してよ”と言える雰囲気ではなかった。同時に何故か体にも力が入らず、フローラの胸の中でトーマスは困惑気味。
しかしいつものフローラとは様子が異なり、トーマスの耳元には彼女のか細い声が聞こえてくる。
「も、もしかしてフローラ……泣いているの!? ど、どうして?」
問いかけに答えようとはせず、トーマスを優しく離すと、涙を流しながらも彼の頬にキスをする。
そして中々部屋を出て行こうとしないトーマスの手を握り、外まで見送ると何も言わずにドアを閉めてしまう。
『やっぱりケビンとフローラは……僕に何か隠し事をしている。も、もしかして僕の過去のことを何か知っている!? それとも僕のパパとママのことについて……なのかな?』
無理矢理部屋を追い出されてしまったトーマスだが、その一方で以前にも同じような体験をしたというどこか不思議な感覚に
『あれ、おかしいな? 前にもどこかで、今と同じようなシチュエーションがあった気がするよ。でもおかしいな、詳しい内容が思い出せない……』
「……するの? このままだと、トムはいずれすべてを思い出してしまうわ。そんなことになったら、今度こそあの子の心が壊れてしまう」
「分かっているよ。……とにかく手遅れになる前に、先生へ連絡しよう。あぁ、なんてことだ。僕らが側についていながら、こんなことになるなんて」
『やっぱり二人は何かを隠している。それも重要なことを……』
ハリソン夫妻の会話を盗み聞きしたことで、二人が重要な事実を隠していることを確信するトーマス。しかしそれは同時に、自分の体に何か異変が起きていることを裏付ける証拠でもあった。
そんな疑問を抱きつつもさらに聞き耳を立てていると、ハリソン夫妻の会話が聞こえてくる。彼らの言葉から香澄たちの名前まで出てくるようになり、トーマスの心はさらに混乱してしまう。
「……こうなってしまったら仕方ない。この際すべての事情を説明して、カスミたちにも協力してもらおう。まだ夜の一二時前だから、多分起きているだろう」
「でもあなた、最初に二人で約束したじゃない!? このことだけは絶対にあの子たちには知らせないって。特に香澄とメグは、数週間後に卒業式を控えているのよ! ここでまた彼女たちを動揺させることになったら……どうするのよ!?」
「仕方ないだろ!? 本当は僕だって、彼女たちには知らせたくないんだ。そして万が一のことがあったりでもしたら、僕らはリースとソフィーに会わせる顔がないよ。……あぁ、どうしてこんなことになってしまったんだ!?」
どうやらハリソン夫妻はトーマスの身に何が起こったのか事情を知っている一方で、彼ら自身もかなり混乱している様子。普段は冷静なケビンでさえも、この時ばかりは感情に任せ声を荒げている。
そして一時的に口論をしつつも、“香澄・マーガレット・ジェニファーたちにもしっかりと事情を説明する”という結論に達した後、二人が部屋を出る足音が聞こえてくる。
『い、いけない……急いで部屋へ戻らないと』
とっさに足音を殺して速足で自分の部屋に戻った後で、ドアの影からハリソン夫妻が一階リビングへ向かっていく姿を確認する。
『ふ~、危なかった。でもあんなに怖い顔をするケビンたちを見るのは、今日が初めてだよ。……このラッコさんのキーホルダーには、一体どんな秘密があるのかな?』
そんなことを思っていると、外で突然嵐と雷が鳴り始めた。だが天気予報で“時々夜に雷雨がくるかもしれない”と言っていたので、一瞬身震いしつつもすぐに落ち着きを取り戻す。そしてドアをそっと閉めた後で、トーマスはそのままベッドにダイブする。
だが今のトーマスは不安や恐怖心で一杯になり、不思議なことに眠気はまったく感じなかった。
『今日はとても眠れそうにないよ。この後は……どうしよう?』
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