正しい選択肢・間違った選択肢

ワシントン州 ハリソン教授の自宅 二〇一四年三月二三日 午後一〇時三〇分

 香澄とマーガレットは世間話を楽しみつつ自宅へ向かい、午後一〇時三〇分にハリソン教授の自宅へと帰宅する。少し帰りが遅くなってしまったと思う二人だったが、彼女たちを出迎えるかのように外の電気は点いていた。家の鍵もかかっていなかったので、

「ただいま」

と小声で挨拶する。

 二人はリビングへ向かう前に洗面所を向かい、それぞれ手洗いとうがいを済ませる。その後リビングへ向かうと、そこにはハリソン夫妻とジェニファーの姿があった。

「おかえりなさい。香澄、マギー、カルテ作成に卒業公演の練習だったよね? ……二人ともお疲れ様」

「ありがとう、ジェニー。あなたこそ何時くらいに帰って来たの?」

「私はあなたたちより数十分くらい前に、お家に帰って来たばかりです」


 ジェニファーが今から三〇分くらい前に帰宅したことを聞いた香澄とマーガレットは、続けてハリソン夫妻にも挨拶をする。

「ただいま、ケビンにフローラ。二人も三〇分くらい前に帰って来たの?」

「おかえり、二人とも。いや、僕とフローラはジェニーよりも三〇分くらい前に帰って来たんだよ」

「そうなの。主人とは偶然大学内で一緒に仕事することになったから、そのまま一緒に帰ることにしたの」

“相変わらず仲の良い夫婦ね”と思うマーガレットとは対照的に、香澄は周囲を確認する。すると彼女が言いたいことが何となく読めたフローラは、

「……あぁ、トムならもう寝ちゃったわよ。だから二階に行く時には、ゆっくりと階段歩いてね」

“今日はもう眠ってしまったわ”と話す。

「そうですか。……ちなみにフローラ。あなたたちが帰って来た時は、あの子まだ起きていました?」

「えぇ。ジェニーが帰ってくる頃までは起きていたけど、今日はもう眠いって言って、先に部屋へ戻ったわ」

「もう寝てしまったのね……わかりました、ありがとうございます」


 仕方がない事情があるとはいえ、“トムを一人ぼっちにしてしまったことを一言謝りたい”と思っていた香澄。だが当の本人はすでに寝てしまったということで、それは明日以降にしようと思う香澄。続けて香澄はケビンへ、借りていた教員室の鍵を返す。

「あっ、ケビン。これ大学でお借りした教員室の鍵です。……急なお願いにも関わらずお部屋を貸していただいて、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。今日は学会で部屋を使うことはなかったから、グッドタイミングだったよ。……その様子だと、作業に集中出来たかな?」

彼が頼んだ例の一件について、“出来上がりを楽しみにしてください”と笑顔で返す。それを聞いたケビンの顔には笑みがこぼれ、自分の教員室の鍵を香澄から受け取る。

 

 しかしトーマスに対する小さな罪悪感も残ってしまい、愚痴のような形で自分の気持ちをリビングで語り始める香澄。本来ならすぐに部屋へ戻ってしまうマーガレットだが、今回ばかりは彼女の話を改めて聞くことにした。

「みんなにちょっと聞いて欲しいのだけど……今日私があの子を置いて大学へ行ってしまったこと、どう思います? 私はの、それともの?」

 普段は香澄の方からこのような話をすることがなかっただけに、四人は内心少し驚いている。そんな中で最初に口を開いたのは、香澄の親友 ジェニファーだった……

「……難しい問題ですね。でも私だったら、おそらく香澄と同じ行動に出たと思います。でも内容が内容なだけに、万が一トムがこのことを知ったら……」

「私も……ジェンと同意見かな。確かにトムを悲しませたのは事実だけど、今回は偶然でしょ? 今までトムと一緒に自宅で過ごしたんだから、“たまには一人になりたい”っていう香澄の気持ちも、私は間違っていないと思うわ」

「……ありがとう、二人とも」

 自分の親友であるジェニファーとマーガレットは、基本的に香澄は間違っていないと指摘した。だが香澄の表情はどことなく暗い雰囲気を出しており、それに触発されたのかジェニファーとマーガレットも気落ちしてしまう。


 そんな重苦しい雰囲気の中で、フローラは空気を変えるために彼女たちをフォローする。

「……さ、三人とも元気出して。私も香澄の判断は決して間違っていないと思うわ。別にトムをいじめているわけでも、避けているわけでもないのだから」

「本来ならトムの保護者でもある、僕とフローラがきちんとトムの面倒を見なければいけないのに。だけど最近僕らは学会などで忙しく手が届かないから、君たちには迷惑をかけているようだね。……本当にごめんね」

 どうやら自分たちが思っている以上に、香澄たちへ負担をかけてしまったことを知り、ハリソン夫妻は心から謝罪する。だが心優しい香澄は相手を責めることはせず、“お二人は忙しい立場にあるのだから、気にしないでください”と、優しい言葉をかける。


 香澄に非はないという結論が出たものの、五人の間にはどこかしら重くよどんだ空気が漂っている。だがこのままでは良くないと思ったフローラは、打開策としてある提案を持ちかける。

「そうだわ……少し先の話になるけど、今度の六月にみんなで旅行へ行くのはどうかしら? この時期なら香澄とメグも卒業したばかりだから、少しは時間にも余裕が出来るでしょう? それにジェニーの息抜きもかねてね。……あなた、どう思う?」

「いいんじゃないかな? 一つの区切りということで、カスミとメグの卒業祝いも兼ねてね。詳細は後日決めるとして……あっ、勝手に話進めているけど、三人とも大丈夫かな?」

“突然の提案だけど、みんな大丈夫かい?”とハリソン夫妻は確認するが、三人ともその内容に反対することはなかった。むしろ久々に羽を伸ばせると思い、むしろ香澄たちは喜んでいた。

「そう……なら良かったわ。トムにとっても、ちょうど良い息抜きになると思うから。旅行先はアメリカ国内でも国外でもいいから、みんなで行き先について考えておいてね」

“行き先は自由に決めてね”というフローラの発言を聞いて、旅行好きなマーガレットは一人歓喜する。控えめな香澄とジェニファーたちも、彼女ほどではないものの、“みんなで旅行に行けるのね”と満面の笑みを浮かべる。

「決まりだね。トムには明日の朝食時に話すから、君たちからは伝えなくていいよ」

「分かりました、あの子には“明日の朝食時に伝える”ということで。……それでは私たちはお先に寝ます。お休みなさい」

「……あっ、寝る前に体を綺麗にして歯を磨くんだよ」

「分かっているわよ。……もう、いつまでたってもケビンたちは私たちを子供扱いするんだから」

 

 いつもの家族のやりとりを終えた香澄たちは寝る前の身だしなみを整え、各自部屋に戻りそのまま就寝してしまう。特にお芝居の練習で体が疲労しきっていたマーガレットは部屋へ戻ると同時にベッドに入り、白雪姫のように深い眠りにつく。

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