【トーマス編】

トーマスの想いと願い

                一〇章


              【トーマス編】

 ワシントン州 ハリソン教授の自宅 二〇一四年三月二三日 午後一時〇〇分

 マーガレットのクリスマス公演が終了して、彼女たちはそれぞれ将来の道へ進むために一歩ずつ進み続けている。彼女たちの将来について、トーマスは彼女たちの口から聞いたことがあり、その内容は以下の通り。


一 香澄は大学卒業後、犯罪心理学を専攻した知識を活かして臨床心理士を目指す。だが現時点で具体的な就職先について聞いていないことから、卒業後はフローラの助手として働く可能性が高い。なお自分の両親へきちんと報告したいとのむねがあり、大学卒業後一時的に日本へ帰国する予定。

二 マーガレットは大学卒業後、アメリカで有名な劇団員として正式に採用される予定。また当初はベナロヤホールの支配人による特別推薦であったもの、彼女がクリスマス公演で主役を演じたことも高く評価されている。

三 ジェニファーは今年でワシントン大学四年生となる。彼女本人の口からは将来について聞いていないが、香澄と同じ心理学科を専攻している。そのことから香澄と同様に、何らかの心理職に就くことが予想される。


『……こんな感じだったよね、香澄たちの将来の進路については』

 なお二人の卒業後の住居についてだが、香澄はフローラの助手として臨床心理士を目指す可能が高い。今まで通りハリソン夫妻の自宅でお世話になると予測され、トーマスやジェニファーと一緒に暮らす可能性が高い。

 一方でマーガレットも引っ越しの予定はないが、劇団員としての仕事が忙しくなる可能性が高い。そのため今まで以上に外出する機会が多くなるため、一緒に過ごす余裕がなくなる。だが“長年目指していた劇団員になれる”という言葉を本人から聞いたトーマスは、マーガレットのことを心から応援するつもり。

 

 しかしそれが皮肉にも、トーマスと接する時間が必然的に減ってしまうことになる。それに加えてマーガレットは今演劇サークルの臨時部長となり、卒業公演に向けて日々練習に励んでいる。ジェニファーは卒業まで後一年ほどあるが、“時間に余裕がある今のうちに、少しでもたくさんお金を稼ぎたい”と思い、より一層アルバイトに励んでいる。そしてハリソン夫妻も学会で忙しいことが多く、ゆっくりと出来ないことが多い。

 しかし香澄は卒業を控えているもの、基本的に家で勉強をしていることが多い。そのため、“香澄だけは自分の相談役、および遊び相手になってくれる”と思っている。実際に今日も旅行ではないものの、“息抜きもかねて二人で遊びに行きましょう”と約束をしているトーマス。

『さ~てと、どこがいいかな? 公園、それとも水族館とか動物園もいいなぁ』

などと外出先について色々考えており、リビングで一人あれこれ行き先を決めていた。


 そんな時リビングの横から香澄の足音が聞こえてきたので、“出かける準備が出来たのかな?”と思い、トーマスは一目散に彼女の元へ駆け寄る。

「あっ、香澄……もう準備出来たの? 僕ね、色々と行き先を……」

 しかしトーマスが嬉しそうな顔をして見上げると、香澄の肩にはショルダーバッグがかけられていた。だがそれは香澄が愛用している外出用のバッグではなく、大学へ行く時に使用するもの。

「ごめんなさい、トム。この後大学で調べたいことがあるから、今日は一緒に外出することが出来ないの」

 そう語る香澄の視線は普段とは様子が異なり、どこか落ち着きがない。いつもならトーマスの目を見ながら話す香澄だが、この時ばかりは何故か視線を合わせようとしない……

「……そっか。それなら仕方ないよね……」

 ひどく落胆しているトーマスを見た香澄の視線には、外出用に向けたパンフレットを強く握りしめる少年の小さな右手があった。同時に香澄と一緒に外出出来ることを心から楽しみにしていただけに、トーマスのショックは計り知れない……

「ねぇ、それってどうしても今日じゃなきゃ駄目なの? ……変更は無理?」

「ほ、本当にごめんなさい。どうしても今日中に片づけたい内容なのよ」

「う、うぅん、気にしないで。僕、香澄を困らせることはしたくないし。べ、別に気にしていないよ」


 そうはっきりと言いきったものの、今にも泣き出しそうな顔をするトーマス。香澄自身も“トムの病気に関する内容よ”だとは、口が裂けても言えない。そんな彼らの気持ちが交差するなかで、香澄は一人ワシントン大学へと向かう……

『トム、本当にごめんなさい。あなたにはこんなつらい想いはさせたくないのだけど……』

 トーマスが人の温もりを求めていることを知りながらも、香澄はあえて彼を一人にしてしまう。その状況はまさに苦渋の決断でもあり、後ろ髪を引かれる気持ちだった……

 

 香澄がワシントン大学へ出かけてしまったと同時に、自宅にはトーマスだけが、ただ一人残される状況となった。静かにカチカチと時計が時を刻む世界の中で、トーマスはリビングのソファーへ身を投げる。そして深いため息を投げると、目をつぶりながら今後の将来について考え始める……

『何だか最近……みんなにような気がするよ。僕、何かみんなを怒らせる事したのかな? 香澄たちは卒業を控えているし、ケビンとフローラが忙しいのはいつものこと。分かっているけど、だけど……』

 香澄たち学生をはじめ、ハリソン夫妻もトーマスのことを気にかけている。教職員のハリソン夫妻が忙しいのは、何も今に始まったことではない。そして香澄たちも自分の将来に向け、しっかりと進もうとしている。そんな彼女たちの現状を知りつつも、“もっと僕と接する機会を増やしてほしい”という気持ちが、トーマスの心の中で入り組んでしまう……


 香澄たちはトーマスを避けようという気持ちはもちろんのこと、彼をいじめたり仲間はずれにしようという気持ちは一切ない。そう頭では理解しているものの心の中では理解出来ない、という気持ちがもどかしさを感じさせてしまう。

『パパ……ママ……』

 そんなトーマスの脳裏には、数年前に突然他界してしまった両親の姿が強く浮かんでいた。

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