シアトル市警察所属のブルース・ホワイト警部

    ワシントン州 パトカーの中 二〇一二年八月二〇日 午後七時一〇分

 香澄が『九一一』へ連絡してから数十分後に、赤と青のライトを照らし夜のシアトルを彩る数台のパトカーが到着する。電話口での香澄の報告を聞いた警察は、幼児誘拐もしくは殺人事件に発展すると考えていた。

 またワシントン大学へ勤務するハリソン夫妻の評判はワシントン州やシアトルでも評判で、金銭目的による誘拐事件の可能性もあると判断した。拳銃や爆弾などを持っている可能性も考慮され、武装した一〇名前後の警察官と爆弾処理班が数名ほど現場に駆け付ける。

 そうしている間に貫禄のある警察官が一人、香澄とジェニファーのもとへ駆け寄る。

「お待たせしました。私がシアトル市警察所属の現場責任者、ブルース・ホワイト警部です」

 今年で五二歳となるブルースは、この道一筋のベテラン刑事。身分証明として、バッチと顔写真付きの警察手帳を二人に提示するブルース。それを確認した二人は黙ってうなずくと、ブルースは今後の流れについて簡単に説明する。

「今後の流れについてですが、もう一度お嬢さん達が家に連絡をしてください。そこで状況確認が取れればよいのですが、もし駄目だった時には……」

「分かりました。もう一回だけ連絡してみます……」


 香澄はマーガレットとトーマスの携帯および自宅へ電話するが、いずれも不通で会話や状況確認が出来ない状態。そのことをブルースへ伝える。

「……こうなってしまった場合に取るべき対策は二つあります。一つめの方法ですが、当警察署で交渉人ネゴシエーターを犯人説得に向けて派遣し、相手の要求を飲むふりをしつつ逮捕、および人質救出に向けて行動します。ただこの場合には、長期戦となる可能性があります。ご近所にも、お嬢さんたちの自宅で事件が起きていることを知られる可能性があります」


 そして二つめの方法として、強行突入して犯人逮捕を優先しつつ人質を救出する作戦を二人に提案する。

「続いて二つめの方法ですが、します。全員防弾ジャケットを着用していますので、装備は万全です。早急に解決したい場合に有効な策ですが、その一方で銃撃戦となる可能性が高いです。万が一犯人が興奮して逆上した場合、人質を射殺してしまう可能性もあります」

「人質を射殺……」

脳裏に一瞬二人の姿をイメージしてしまい、血の気が引いてしまう香澄とジェニファーの心境は何とも心苦しい。

 緊張と不安の色を隠しきれない二人を見たブルースは、“二人の命を優先するなら、長期戦に持ち込んだ方が良い”と助言する。

「これは私の経験を踏まえての話ですが……強行突入するよりも犯人説得の方が、無事人質を救出出来る可能性は高いと思います。こういった事件の裏には、たいてい身代金目的というケースが多いので」

 

 だが即決出来る内容ではなかったので、“少しだけ考える時間をください”とブルースへお願いする香澄とジェニファー。五分だけという条件つきで、彼はその提案を承諾する。ありがとうございますとお礼を言った香澄は、すぐにジェニファーへ相談を持ちかける。

「ホワイト警部の話を聞いて、大体状況は把握出来たと思うけど……あなたはどう思う?」

「わ、私はにすべきだと思います。……警部さんも言っていましたが、ここはプロの判断に任せるのがいいと思います」

 ジェニファーが考えが同じだったことを確認した香澄は、ほっと肩を下ろす。だが緊張の糸に絡まれた状況であることに変わりはなく、香澄たちは“犯人を説得する方向でお願いします”と伝えた。

「分かりました、当警察署でも腕利きの交渉人を連れてきています。……ちょっと失礼します」

 ブルースは通信機のスイッチを入れて、全警察官に作戦を伝え始める。その内容を横で聞いていた香澄たちだが、彼女たちの心には不安の色が消えることはなかった。


 不安の色を隠しきれないジェニファーの手を、そっと握る香澄。そして気をしっかり持つように激励する。香澄に勇気づけられたジェニファーだが、ここであることを思い出した。

「大変よ、香澄。すっかり気が動転していて、ハリソン夫妻へ連絡するのを忘れていたわ」

「そうね。こんな状況だからこそ、彼らへ連絡しないと」


 すぐに香澄はスマホを使い、ハリソン夫妻へ連絡を試みる。ちょうどその時、部下への連絡を終えたブルースが戻ってきた。

「……お待たせしました、全警察官および交渉人には連絡しておきました。……おや、一体どちらへ電話するんですか?」

“緊急時なので、不必要な電話はしないで欲しい”と軽く注意するが、香澄は“自分たちの保護者でもある、ハリソン夫妻へ連絡です”と言う。

「ごめんなさい。実は気が動転していて、私たちの保護者でもあるハリソン夫妻への連絡がまだだったんです――お二人へ電話してもよろしいですか?」

「――もしよろしければ、私から連絡しましょうか? 見たところお二人とも混乱しているようなので。何も悪いことを考えないようにするためにも……」

付け加えてブルースは、“ハリソン夫妻とは個人的に面識があるので、自分から連絡します”と言う。

「実はですね、私はハリソン夫妻と個人的な知り合いでもあるんですよ。数年前にシアトルで二人が講演した時に知り合ったのが、きっかけなんです。……ほら、ちゃんと彼らの番号も私の携帯にあるでしょう?」


 そう言いながらブルースは自分が所有している携帯電話を開き、ハリソン夫妻の連絡先が入っていることを見せる。画面を確認すると、確かに香澄とジェニファーが知っている番号と同じ。それを確認した二人は、ホワイト警部に任せることにした。

「お任せください。……お二人のご友人のマーガレットとトムのためにも、我々が全力で犯人逮捕に向けて取り組みます」

丁寧な口調で犯人逮捕を約束するブルース。しかしその言葉には強い自信が満ち溢れており、“この人に任せておけば大丈夫”と初対面の香澄たちに思わせるほど。


 だが香澄にはある疑問が頭の中で浮上しており、ブルースへこんな質問をする。

「あの、ホワイト警部。あなたはもしかしてトム……いえ、トーマス・サンフィールドと面識があるんですか? 先ほどあの子のことを“トム”と呼んでいたので……」

「えぇ。トムの父親はアメリカ国内でも有名な弁護士で、私もハリソン夫妻と同じタイミングで彼らと知り合いました。……ですが突然の不幸な事故によって、トムは一人ぼっちになってしまったとか。それでハリソン夫妻がトムを養子にした……と聞いています」

 時折うつむきながらも、“ついこの間話したばかりのサンフィールド夫妻が亡くなったことが、今でも信じられない”と黒いペンキに塗られた空を見上げながら、ブルースはつぶやく。

 

 ブルースが連絡してから数分後に、通信機から“交渉人の配置が完了した”と知らせが入った。その手際の良さから、“やっぱりプロは違うわね”と二人は感心してしまう。

「交渉人の配置が完了しました。お手数ですが二人とも、専用の車を用意していますのでこちらへ」

「えぇ、わかりました」

ブルースが事前に用意した車に乗った香澄とジェニファーは、彼らの活動が成功するようにとただ祈ることしか出来なかった。

「もしお友達や犯人から連絡があった時には、ダッシュボードに置いてある通信機で私に連絡してください。使い方は……」

 通信機の使い方について簡単に説明すると、香澄とジェニファーはわかりましたと言い、それを聴いたブルースはそっと車から降りてドアをパタンと閉めた。極度の緊張のためか、おもわず深いため息を吐いてしまう香澄とジェニファー。

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