新たな道のり
ワシントン州 レイクビュー墓地 二〇一二年八月一二日 午後五時〇〇分
トーマスはサンフィールド家のお墓の前で、香澄の聖母に似た優しさに包まれ、今までの苦しみや不安などをすべて吐き出す。香澄や側にいたマーガレットやジェニファーにも見せたことがない姿でもあり、それは彼が香澄たちと一緒に、新しい一歩を踏み出すことを決意した瞬間でもあった。
同時に自分の気持ちをすべて吐き出したトーマスは、少し照れながらも、香澄の首元をそっと離れる。
「……ありがとう、香澄。僕、もう大丈夫だよ。それと何だかママみたいで、とても気持ち良かったよ!」
笑みを浮かべながらも、精一杯のお礼の気持ちを伝えるトーマス。香澄も“つらいことや悩み事があったら、いつでも力になるわ”と約束して、いつもの優しい笑顔を見せながら、彼の頭をそっと撫でる。
「どういたしまして――でもね、トム。いくらなんでも“ママ”はないんじゃないかしら!? 私まだ、そんな歳じゃないわよ!」
まるでマーガレットのような軽い皮肉を言いながらも、香澄はいつもの優しい微笑みを浮かべながらトーマスのおでこを軽く押す。
すぐに“ごめんなさい”と謝るトーマスは、続いて自分の側にいたマーガレットとジェニファーにも、心配させてしまったことを謝罪する。
「メグ、ジェニー。色々と心配してくれて、ありがとう。そして……色々とご迷惑をかけてごめんなさい!」
九歳の子供でありながら生真面目な性格であるトーマスは、今まで自分が香澄たちを避けていたことを謝る。だがマーガレットとジェニファーは“トムは何も悪くないよ”と
「ううん、本当に謝らなければならないのは私たちの方だよ。トム、ごめんなさい。これからもずっと、お友達でいてくれる?」
「違うよ、ジェニー。僕たちはお友達であると同時に、家族にもなるんでしょ!?」
友達であると同時に家族にもなる――トーマスの口からその言葉を聞けるとは思っていなかったジェニファーは、気持ちが高ぶったことにより嬉し目頭が熱くなる。
「――そうだったね、トム。こ、これから私たちは友達だけじゃなく家族になって、一緒に困難を乗り越えていくんだよね?」
「ジェニー、また泣いているの? もぅ、本当にジェニーは泣き虫なんだから」
「ふふ、そうね……ごめんなさい」
だが悲し泣きではなく嬉し泣きであったことが、今のジェニファーにとって心地よい瞬間でもある。さらに調子に乗ったトーマスは、“メグの無礼な発言は、今に始まったことじゃないよ”と苦言を
「ちょっとトム、そこでどうしてメグって限定するわけ!? あなたのことを傷つけたのは、香澄やジェンも一緒でしょ!?」
自分だけ注意されたことがマーガレットの気に障ったのか、ふざけつつもトーマスを軽く注意する。だがトーマスは謝るどころか、マーガレットに憎まれ口を叩く。
「でも“三人の中で一番口が悪いのはメグ”って香澄がいつも言っているし……」
あくまでも香澄に責任転嫁をしつつ、“僕は悪くないよ”ときっぱりと言い切るトーマス。いつものことだと呆れつつも、香澄は“日頃の行いの結果よ”とマーガレットを冷やかに非難した。
「……これもすべて香澄と一緒にいたことが原因かしら? 前はもっと素直で良い子だったトムの性格も、悪い意味で香澄に似てきたわね」
「そ、そう? 僕は何も変わっていないと思うけどな」
時折首をかしげつつも、やはりトーマスは自分の意見を変えるつもりはないようだ。そんなトーマスに助け船を渡すかのように、香澄がフォローする。
「……この間変なオカルトビデオをトムへ見せようとした、誰かさんにはさすがの私も勝てないわね」
「何よ、その言い草は!? トムも年頃の男の子だから、たまには怖いホラー映画が良いかなと思っただけよ」
香澄の一言多い性格が火種となり、マーガレットはいつものように彼女と言い争いを始めた。それを見たトーマスはジェニファーの顔を見ると、まったく困った人たちだという呆れた顔をしていた。いつもなら彼女たちだけの戦いとなるが、今回は運悪くトーマスも巻き込まれてしまう。
「さぁ、トム。石頭で頑固者の香澄なんか放って置いて、私と一緒に帰りましょう――そうだ、帰る前に美味しいケーキ屋さんに寄りましょう。近くに美味しいケーキ屋さんがあるのよ。トムの好きなショートケーキも、好きなだけご馳走するわ」
『僕はショートケーキよりも、チョコレートパフェの方が好きなんだけどな……』
マーガレットの問いかけにツッコミを入れつつもトーマスは左手を握られ、無理矢理連れて行かれそうになる。
「何言っているのよ、メグ? もう午後の五時なんだから、間食なんてダメに決まっているじゃない。それからトム。ご両親への報告も終わったことだし、寄り道しないで真っすぐ帰るわよ――ケビンとフローラもあなたのこと心配しているわ」
そうトーマスを呼び止めながらも、さりげなく少年の小さな右手を握る香澄。ふとトーマスが香澄の顔を上から見上げると、そこには亡き母親のソフィーと同じ優しい笑みが浮かんでいる。そんな香澄の微笑みを見たトーマスの心には、数年ぶりに穏やかな花が咲いていた。
香澄とマーガレットがそれぞれ正反対の方向へ行こうと、トーマスを引っ張り始めた。しかし香澄たちがお互いに正反対の方向へ引っ張るため、“痛いよ、離して!”とお願いする。だが二人はお互いに一歩も引くことなく、“あなたが離しなさい”と、互いに
「ちょ、ちょっと二人とも……喧嘩しないでください。トムが痛がっていますよ!?」
しかしジェニファーの問いかけは彼女たちの耳には届いておらず、香澄とマーガレットはそれでも引っ張るのをやめることはなかった。
「い、痛いよ二人とも。ピノキオじゃないんだから、そんなに引っ張っても僕の腕は伸びないよ!」
“あらあら”と思いつつもジェニファーは笑みを受かべているが、トーマスを助ける素振りは見せない。
迷いを振り払い歩み始めた幼子の初々しい足跡に、香澄たちは自分たちの吐息を一欠片ずつ染み込ませていく。そしてトーマスは一度無くしてしまった愛を再び見つけ、そこには新しい優しさと涙が生まれていた。
さらにレイクビュー基地で眠る住人たちは、祝福の鐘を鳴らしながら、トーマスの髪をゆらゆらとなびかせる……
ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年八月一二日 午後六時〇〇分
レイクビュー墓地で少し危険な空気が漂っていたが、無事仲直りした香澄たちはトーマスを連れて、寄り道することなくハリソン夫妻の自宅へと向かう。若干マーガレットが少し不機嫌ではあったものの、何よりトーマスが本来の明るさを取り戻したことが、彼女たちには一番嬉しかった。自宅へ帰る途中もトーマスが香澄たちに積極的に話しかけ、彼女たちもそんな彼の問いかけに笑顔で答える。
そうしている間にあっという間に自宅へ到着し、トーマスは我先にと玄関前の扉を元気よく開く。
「ただいま!」
これまでに出したことがないような元気な声を家中に響かせると、いつものようにリビングからフローラの声が聞こえてきた。すぐに洗面所へ行き手洗いを済ませたトーマスは、一目散にリビングへと走る。
そしてトーマスがリビングのドアを開けると、そこにはケビンがソファーに座っていた。フローラもいつものように台所で夕食の準備をしている。当たり前の光景がいつになく嬉しくなったトーマスは、
「ケビン、フローラ、ただいま。今日の夜ご飯は何?」
まるで本当の家族のように明るく振舞う。その様子に少しばかり驚きを感じながらも、
「おや……何だか今日はとても元気そうだね、トム。何かいいことでもあったのかい?」
そうケビンがさりげなく尋ねるものの、トーマスは“何も変わったことはないよ!”といつもより大きな声で言うだけ。しかしトーマスがハリソン夫妻の自宅にやってきて、今までにないほどの元気な声を出している。そのことから、トーマスがいかに上機嫌であるかが伺える。
上機嫌なトーマスはそのまま台所へ向かい、夕食の準備をするフローラの手元をそっと覗きこんでいる。その時フローラは、トーマスの大好きな牛肉のステーキの下ごしらえをしているところだった。
「今日のご飯は……僕の大好きなステーキ!? やったー!」
きれいにカットされているお肉を、つまみ食いしようとする。それを見たフローラは
「こら、トム。お行儀の悪い! きちんと手洗いは済ませたの? それとご飯までもう少しだから、もうちょっと待ってね」
「は―い!」
嬉しくなりつつも、本当の母親のように注意するという微笑ましい光景があった。
トーマスの屈託で明るい笑顔は、見る者を幸せにする魔法のような効果がある。彼の急激な性格の変化に、ケビンも驚いた様子を見せながら、香澄たちにそっと問いかけていた。
「おかえり、みんな――しかし驚いたな。まさかトムの性格が、あんなに明るくなるなんて。まるでリースとソフィーがいたころみたいだよ」
香澄たちもただいまと返すと、“驚いたのは私たちも同じです”とおもむろに心境を語る。
「本当ですね、ケビン。あれがトム本来の姿、なのかしら?」
「そうかもしれないね。あっ、みんな……とりあえずこの話はまた後ほどしよう。もうすぐご飯が出来るみたいだよ」
「えぇ、私たちも手を洗って来たから大丈夫だよ」
自分たちも手洗いを済ませたことを伝えたマーガレットに続いて、香澄とジェニファーも同じように自分たちの席へ着く。そしてフローラがいつもの流れで調理した料理をテーブルの上に並べて、
「みんな、お待たせ。それでは、食事にしましょう」
彼女の合図で全員がナイフとフォークを手に取る。そして神様に祈りをささげ終えた香澄たちは、フローラが用意してくれた夕食を堪能する。
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