初めて見せる少年の心と涙
ワシントン州 レイクビュー墓地 二〇一二年八月一二日 午後三時三〇分
そんな不安を顔に出すことなく、香澄は両親のお墓に寄り添っているトーマスへ、優しく話しかける。
「……こんにちは、トム。今日もいい天気ね。あなたの隣に座っても……いいかしら?」
事前に三人は軽く彼の両親へ報告を済ませていたので、香澄はそっと語りかける。
香澄に話しかけられ、夢の世界から現実の世界へ戻ったトーマス。だがその顔は少し不機嫌そうだ。しかし無下に返すわけにもいかないと思ったトーマスは、うんと言わんばかりに首で合図を送る。
微笑みで合図を送り返した後に、香澄はトーマスの横で足を揃えてからそっと座る。最初に何から話そうと思っていたが、彼の横に座った香澄は、自分でも不思議に思うほど緊張せず、話を進める。
「お話をする前に、あなたへ一言謝っておきたいことがあるの」
「一体何を?」
香澄の問いかけに視線や目線を合わせることなく、トーマスは両親のお墓の方を向いたままそっとつぶやいく。
「事情を知らなかったとはいえ、私たちがあなたをひどく傷つける発言をしてしまったことは事実よ。……本当にごめんなさい、トム」
香澄がそっとトーマスの小さな肩に手を添えると、これまで無関心を装っていた少年の体が反応する。香澄は何も言わずにただトーマスの肩に手を添えたままで、直接本人の口から言葉を発するのを待つ。
トーマスも香澄たちが本当に後悔していることを知り、少しずつだが目に涙を浮かべ始める。だが体の向きが香澄とは別の方向を向いているため、それを悟られたくないと小声で語りかけるトーマス。
「……僕も香澄たちに悪気がなかったことは、最初から知っていたよ。だから別に謝る必要なんてないよ。そう、分かっているはずなのに……僕の心の中で、モヤモヤが無くならないんだ。……何だろう、この気持ちは?」
初めての心の告白とも呼べる言葉や気持ちを言葉にしながら、香澄たちへ初めて自分の本音を話すトーマス。
「でも結局僕は香澄たちに八つ当たりして、一人で勝手に暴走して困られてしまう。僕はこれ以上……みんなのお荷物や重荷になりたくないよ。でもパパとママは僕を置いて、先に天国に行っちゃった。だからもう僕には家族や心を許せる人がいないんだ。ぼ、僕の心のよりどころと安らぎは、天使と一緒に飛んでいっちゃったよ」
初めてトーマスの心境と本音を耳にするが、なぜかこれ以上言葉をかけることが出来なかった香澄。そして香澄とトーマスの横で話を聞いていたマーガレットとジェニファーも、“九歳の少年が背負う運命としては、あまりにも残酷すぎるわ”と、忍び泣くばかり。
心苦しい気持ちになりつつも香澄は何とか涙をこらえ、必死にトーマスの話に耳を傾ける。だがあくまでも両親のお墓を向いているトーマスには、香澄たちが密かに抱えているつらい心情を知ることはなかった。自分のために涙を流してくれるとは夢にも思わず、トーマスは自分の左肩に添えている香澄の手をそっと払いながら振り返る。
そして今にも瞳から無垢な滴を落とすのを必死にこらえて、香澄を真剣な眼差しで見つめた。子供のものとは思えない強く悲しい眼差しに香澄の心は怯え、トーマスが唇を動かすのをただじっと待つばかり。
「お、教えて……香澄。僕は……生きていてもいいの? いつまで一人ぼっちに耐えればいいの? 僕の安らぎと温もりは……どこに行けば見つけられるの? そして僕は……香澄たちの側にいても……いいの??」
だが自分を見つめるトーマスの瞳を見つめた香澄は、“この子は自分の感情を押し殺しているようにも見える”と、瞬時に悲しい少年の心情を読み取る。そんな真剣な想いに対して、香澄はどうすればトーマスの気持ちに対する答え――そして少年の心を癒すことが出来るか分からない。
しかしトーマスがひそかに不安や孤独に怯えていることは切々と伝わり、言葉を発するのに心から力を振り絞る香澄。
「……ごめんなさい、トム。今の私には、あなたの悩みを解決する力もないし……あなたの大好きだったご両親の代わりにも、なれないわ」
「…………」
今の自分にはフローラのような知識やスキルはないと判断したのか、香澄は一個人としてトーマスを説得している。だがそれはトーマスにとって、過酷な現実を語る必要があるという残酷な選択でもある。
「でもね、トム。そんなに急いで安らぎと温もりを得ようとしなくても、少しずつ……一歩ずつ進むのも良いと私は思うの。……みんなと一緒にね」
「みんなと……一緒?」
“みんなと一緒”という言葉を聞いたが、心乱れている今のトーマスには香澄たちの本音がまったく見えてこない。香澄はそんなトーマスを責めることはせず、自分らしさを表現出来る言葉で、少年の不安と孤独を少しずつ溶かしていく。
「ねぇ、トム。あなたは家族やお友達についてどう思う? 何も難しく考えなくていいから、自分の言葉で思ったことをそのまま私に教えて」
「僕にとっての家族……お友達……」
トーマスはこれまで家族や友達について、なんとなくしか考えたことがなかった。香澄の問いかけに、両目をつぶって両手を組みながら必死に考え込む。その間香澄はトーマスのそばから離れることなく、ただ少年の心に寄り添っている。
「……僕にとっての家族は、パパとママのように僕と血がつながっていて安らぎや温もりを与えてくれる。そしてお友達は、楽しいことや悲しいことを共有出来る存在……かな?」
実にシンプルで分かりやすい子供らしい答え。“そうね”と優しく微笑みながらも、香澄はこう付け加える。
「確かにあなたの言う通りね。……でもね、トム。家族だから絶対血がつながっていないといけないとか……お友達だから安らぎや温もりを求めてはいけない、という決まりやルールはないと私は思うの」
香澄は自分なりの気持ちと言葉で、トーマスに出来るだけ分かりやすく諭していく。その気持ちに答えるため、トーマスもじっと香澄の目を見つめている。
「人はね……お互いに助け合いながら生きていくことが大切なのよ。あなたには人を思いやる心や優しさがあるから私は、いえ……私たちはあなたとお友達に家族になれたのよ。それともトムのパパとママは、人が嫌がることをしていた?」
目に涙を浮かべながら言葉を出すことが出来なかったトーマスは、香澄の問いかけにただ首を大きく振った。レイクビュー墓地のそよ風が吹かれる中、香澄はトーマスの亡き両親の代わりに言葉を投げかける。
「自分が抱えている悩みを誰かに打ち明けることは、確かに不安で怖いことかもしれないわ。……でもね、トム。自分の弱さや恐怖を素直に認めて、それを誰かに打ち明けることは……決して恥ずかしいことでも情けないことでもないわ。むしろ私たちは、あなたの心の声を聞きたいの。トムの新しい友達や家族として……。トム、これだけは覚えておいて。あなたは決して一人ではないわ。いつも側に私たちがいるわ。だからお願い……自分の気持ちに嘘はつかないで!」
するとこれまで必死に感情を殺していた香澄自身も、ひっそりと涙を流してしまう。これまで冷静だった香澄が、人前でそっと涙で頬を濡らす姿を見たトーマス。ここでトーマスは初めて、“香澄は僕のことを心の底から心配してくれている”という人が持つ本来の優しさを知る。
それは静かに二人を見守っているマーガレットとジェニファーも、同じ気持ちだろう。“泣きたい時には泣いてもいいのよ”と言われた途端、トーマスは香澄へ自分が大好きだった母ソフィーと同じ面影を見る。
「……ま、ママ!?」
そんなはずはないと思い、トーマスは何度も必死に目をこする。すると彼の目の前には、やはり香澄がいる。だがその優しい眼差しや表情にはどこか見覚えがあり、この時トーマスは自分の母ソフィーと同じ懐かしさを感じる。何度手で拭っても、トーマスの瞳から“ポロポロ”と涙がこぼれ落ちるばかり。
「……あ、あれっ、おかしいな? な、何で拭いても拭いても涙が……涙が止まらないの?? ぼ、僕は寂しくなんかはず、ないのに……」
家族以外の人に弱みを見せることを嫌うトーマスだが、自分の涙が頬を濡らす理由について、子供ながらなんとなく理解していた。
そして自分がこれまで抱えていた気持ちや感情を抑えることが出来なくなり、トーマスはそっと香澄の肩にその身を預ける。そして香澄の耳元で
「……お、お願い、香澄。い、今だけ、ちょっとだけ……甘えさせて」
細く小さな声を振り絞りながら、彼女の首元にそっと抱きつく……
これまでに出したことがないような強い力で、トーマスは香澄の首元へ抱きつく。トーマスはただ自分の孤独や不安を吐きだすように、必死に何度も……号泣する。感情を思いっきり吐き出したためか、少し強い力で香澄に抱きついているトーマス。だが香澄はトーマスを引き離すことはせず、少年と同じようにその小さい体を強く抱きしめる。
ちょうどその時、香澄たちの周りに突如穏やかな夏風が舞い踊る。それはまるでトーマスと香澄たちの新しい関係を、亡き両親が祝福しているようだった……
『……もうあなたは一人ぼっちじゃないわ、トム。これからは私と……私たちと一緒に明るい未来に向けて歩いて行きましょう。どんな困難が待っていてもそれに協力して立ち向かう瞬間に……家族や友達の素晴らしさを知ることが出来るのだから!』
香澄はトーマスの心の重りをはたき落とし、少年の肩に降り積もる埃をそっとサンフィールド家のお墓に沈める。
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