絶ち切れぬ家族への想い

   ワシントン州 レイクビュー基地 二〇一二年八月九日 午後六時〇〇分

 ささやかな夏風と透明で暖かいがどこか冷たい両親の温もりを感じつつも、トーマスは墓石の前で静かに、かつ穏やかに寝息を立てている。そして彼がゆっくりと瞼を開けると、いつもと同じ日常や景色がトーマスの瞳に映り込む。

『……そ、そっか。あれから僕は、パパとママの横で……寝ちゃったんだね』

 トーマスがさりげなく左手の腕時計を見ると、時計の針は午後六時〇〇分を指していた。“少し遅くなってしまったから、みんなに怒られるかもしれない”と焦る一方で、家路へ向かうその足取りはどこか重い……

「……もうこんな時間だね。パパ、ママ……近いうちにまた会いにくるよ。……バイバイ」


 トーマスが亡き両親へ別れの挨拶をした瞬間、それまで穏やかだった夏風が彼の問いかけに答えるかのように強く吹き始めた。レイクビュー墓地の草木や木々などもゆらゆらと揺れ、思わず目を閉じ、埃や枯れ葉などが入らないようにする。

 それから一分ほどすると、何事もなかったかのように夏風がピタリと吹き止む。自分の問いかけに“大好きなパパとママが答えてくれた”と思うことにして、トーマスはレイクビュー基地を後にする。

 だがその足取りはやはり重く、“このまま時が止まってしまえばいいのに”と一人思う。そして、亡き両親への想いとハリソン夫妻たちの愛情の二つを、お互いに比較している。それはまるで、一つの天秤の重りのように。


   ワシントン州 レイクビュー基地 二〇一二年八月九日 午後七時〇〇分

 今までに帰りが遅くなることはあったものの、今回のように大幅に過ぎるということはなかった。また何の連絡もないことから、ハリソン夫妻たちは“彼の身に何かあったのでは”と心穏やかではない。

「遅いわね、トム。……今までこんなことはなかったのに、どうしたのかしら? あなた、トムのお友達に聞いてみましょうか?」

「……いや、もう少し様子を見てみよう。そうだな……後数時間経っても何の進展もなかったら、電話して聞いてみよう」

「分かったわ。……香澄たちもごめんなさいね。あっ、ご飯冷めてしまうから、先に食べてていいわよ」

「いえ、大丈夫です。……メグ、ジェニー。あなたたちのスマホにも、何の連絡はない?」

「え、えぇ。さっきから、何度もトムの携帯へ連絡しているんですが……一向につながらなくて」


 彼らは何度もトーマスの携帯への電話を試みるが、相変わらず留守番電話サービスが流れるだけ。メールでの連絡を試みたが、やはり彼からは何の連絡もない。だが彼女たちの話を聞いた香澄は、トーマスが何らかの事情で携帯の電源を切っているのではと推理する。

『メグやジェニーの話から推測すると……ひょっとしてトムは自分の意志で携帯の電源を切っているの? でも、どうして?』


 だが一向にトーマスから連絡がこないどころか、何の音沙汰もない。誰もが緊迫した心境の中で、最初に取り乱し始めたのはフローラだった。

「も、もしかして……トムは何らかの事故や事件に巻き込まれたのではないかしら? あぁ、どうしましょう!?」

「落ち着け、フローラ。落ち着きなさい」


 香澄たちがいつも学校や自宅で見るフローラは、比較的落ち着いた性格をしている。だが息子への愛情に近い感情を抱いていたこともあり、香澄たちの目の前にいるフローラの顔色は真っ青だった。

「香澄、ジェン。私ちょっと出かけてくるわ。あの子が行きそうな場所見てくる」

「……そうね。このままじっとしているだけなんて、私には出来ないわ。三人で一緒に彼を探しに行きましょう」


 だがこの時のマーガレットは珍しく冷静で、“全員で行くと効率が悪いから、誰か一人残って欲しい”と告げる。それを聞いた香澄は、“私が二人をサポートするから、ジェニーはメグの力になってあげて”と言う。彼女の言葉を聞いたジェニファーは決意を固め、香澄に留守を任せる。


 コクリと合図を送ったマーガレットは、“さぁ、ジェン。行くわよ!”と号令を出す。二人は玄関まで一目散に走り、そのドアを開けようとした。だが彼女たちがドアに手をかけようとした矢先、外に誰からいる気配が感じる。一瞬不審に思ったマーガレットは、

「だ、誰なの!?」

と大声で相手に問いかけた。するとしばらくして、

「……僕だよ、メグ」

トーマスの声と思われる少年の声が聞こえる。それを聞いたマーガレットは我を忘れ、

「ほ、本当にトムなの!? ま、待って……今すぐ開けるから」

一心不乱という気持ちで、ドアを開ける。


 急いでドアを開けると、確かに彼女の目の前にはトーマスが一人静かに立っていた。とっさに彼の姿を確認すると、頭や腕など特別大きな外傷などもないようだ。一応怪我がないことを確認するが、“大丈夫だよ”とどこかよそよそしくつぶやくトーマスの姿が印象的。

「みんな、トムが帰ってきたよ!」


 とっさに彼の右手を握りしめ、大声で彼の帰宅を一斉に伝える。

それを聞いた香澄たちは一目散に玄関へ走り、彼の無事な姿を見てとても喜んでいた。彼女たちの目には、うっすらと涙が浮かんでいる……

「……ただいま。遅くなってごめんなさい」

だがフローラは“あなたが無事なら、それでいいのよ!”と、何度も力強く抱きしめる。

「良かったわ、トムが無事で。どこも怪我はしていない? 大丈夫!?」

「大丈夫だよ、フローラ。……本当にごめんなさい」

「……さぁ、今日は色々あったからお腹空いたでしょう? ご飯の用意は出来ているから、早く手を洗ってきなさい」

トーマスの無事を知るや否や、彼女はすぐにいつものフローラに戻る。

「う、うん……」

 フローラがトーマスを離すと、冷めてしまった料理を温めなおすと言って一人台所へ向かう。ケビンも手伝うと言って彼女の後を追うと、トーマスは香澄たちに心配させてしまったことを謝り洗面所へ向かおうとする。


 だがここで香澄はある疑問を感じ、とっさに彼の腕をグッと握って引きとめる。突然のことでびっくりしたトーマスは、“香澄、何?”と尋ねる。その時トーマスの瞳はいつもとは異なり、どこか冷たい印象だった。

「……ちょっとじっとしてね」

香澄はトーマスの首元にそっと手をかけ、切り傷や擦り傷などがないか確認する。だが彼女の心配は取り越し苦労で、彼に外傷はなかった。

「……もういいわ。早く手洗いとうがいを済ませて、トム。私たちは先にリビングで待っているから」

「うん、分かった……」

と言い残し、香澄はトーマスの腕をそっと離す。


 そして彼女たちはそのままリビングへ向かい、三人は自分たちの席に座る。その中でジェニファーが、どうしてトーマスの体を調べたのか質問する。

「香澄、やっぱりトムが本当に怪我していないか気になったんですね? だから念には念を入れて、腕や首元などをチェックしたんだよね?」

「えぇ、まぁ……」

「どうしたの、香澄。何だかはっきりしないわね? ……あっ、もしかして早くご飯食べたいからご機嫌ななめとか!?」

「……あなたと一緒にしないでくれる?」

とっさにその場をごまかすが香澄の本心は別にあり、今までトーマスはどこにいたのか考えている。

『トム、本当に友達と遊びに行ったのかしら? さっき体を調べた時に、まったくがしなかったことが気になるわね。……もしかして、嘘をついて別の場所に行っていたのかしら? でも、何のために?』


 数分後に洗面所から手洗いを終えたトーマスが戻ってくると、ちょうどフローラが調理した料理を温め終えたところ。いつもの優しい口調で、自慢の料理が出来たことを嬉しそうに伝える。その喜ぶ姿は、まさに本当の母親に似た笑顔や愛情そのもの。

「今日はトムの入賞祝いということで、私が腕をふるって作ったのよ。おかわりも用意しているから、たくさん食べてね」

「う、うん。ありがとう、フローラ……」

 いつになく上機嫌なフローラの姿を見て、トーマスはやれやれと思いつつも料理を口にする。それを合図に香澄たちも一斉に料理を口にし、各自フローラが作った料理を堪能する。だがせっかくのお祝いなのに、トーマスの顔や視線はどこか上の空を向いている。


 そんなトーマスの様子が気になったマーガレットは、“どこか具合でも悪いの、トム?”と尋ねる。

「えっ、そんなことないけど……」

 先ほどまで両親のお墓参りをしていたトーマス。そのため彼は、みんなで食事を楽しむ気分にはなれなかった。だが自分の気持ちを悟られたくないと恐怖するトーマスは、とっさにその場をごまかす。

「僕は本当に大丈夫だよ、メグ。……あっ、ジェニー、お皿がもう空っぽだよ。僕が盛りつけてあげるから、お皿貸して」

「あっ、そうですね。……それじゃトム、お願いね」

トーマスは手慣れた様子でお皿を取り、ミートソースグラタンを盛り付ける。“ありがとう”と笑みを見せながら、両手でしっかりと受け取る。


 この時ばかりは珍しく、トーマスが率先して会話や盛り付けなどの準備を行う。全員のテンションを下げないように、トーマスなりに努力しているようだ。そんな彼の様子を見て、ハリソン夫妻そしてマーガレットたちは“彼が少しずつ前向きな気持ちになった”と喜んでいた。

 

 しかし香澄だけはそんな彼の突然の変化に疑問を抱き、トーマスに何かあったのではないかと思う。

『変ね……今まであの子が自分から率先して、その場を盛り上げたり会話を楽しむなんてなかったのに。私の考え過ぎかしら?』

 だが今日はトーマスにとって特別な日なので、“この時ばかりは気分も高揚しているのね”と香澄は思うことにした。そしてトーマスのお皿が空っぽであることに気がついた香澄は、

「人の心配ばかりしているけど、肝心のあなたのお皿が空っぽじゃない? 貸して、私が取ってあげるわ」

トーマスのお皿を取り、お肉と野菜をバランスよく盛り付けた。途中照れ笑いを浮かべる姿を見ながら、香澄たちは楽しい団欒だんらんを囲っていた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る