【トーマス編】

愛する家族との再会

                六章


              【トーマス編】

   ワシントン州 レイクビュー墓地 二〇一二年八月九日 午後二時〇〇分

 香澄たちとワシントン大学で別れて別行動を取ったトーマスは、一人である場所へ向かっていた。香澄たちに嘘をついてまで彼が一人で行きたかったという場所は、ワシントン大学から少し離れた場所にあるレイクビュー墓地。これまでアメリカで活躍した偉人が眠る場所としても知られ、観光名所としても人気がある。

 また事前に何度も来たことがある場所のようで、地図を使うことなく一人レイクビュー墓地へ向かう。レイクビュー墓地に眠る、ある人物のお墓に花を添えるために、花屋でお花を二セット購入する。

「……すみません、お供え用のお花を二つください」


 いつものおどおどした様子とは見せず、この時ばかりははっきりとした口調で店員へ伝えるトーマス。店員も少年が一人で買い物へ来ていたので、少しばかり驚いた表情をしている。だが外に両親が待っているのだと思い、店員は何も注意することなく花を渡す。

 代金を渡してお会計を済ませたトーマスは、そのままレイクビュー墓地へ歩く。だがその足取りはどこか重く、どこかやり切れないという顔をしている。

 

 そして午後二時〇〇分、トーマスは無事レイクビュー墓地へ到着する。八月ということもあり、周りには両手に花束を持つ多くの人が立ち並んでいる。そんな中で彼は足取りを止めることなく、一歩ずつある人物が眠るお墓へと向かっていく。

 歩くこと数分、両手に花を持つトーマスの足取りはあるお墓の前でピタリと止まる。彼が足取りを止めた二つの墓石には、ある人物の名前が刻まれていた……


        『レイクビュー墓地にて安らかに眠る』

     一 リース・サンフィールド  一九六〇年~二〇一一年

     二 ソフィー・サンフィールド 一九六三年~二〇一一年


『パパ、ママ、遅くなってごめんなさい。……ただいま』

 トーマスがどうしても行きたかった場所……それは今から約半年前に、突然の事故によって亡くしてしまった、。本来なら亡き両親と交流があったハリソン夫妻へ相談して、“パパとママのお墓へ一緒に行きたい”と言っても何ら問題ない。だがハリソン夫妻にどこか負い目を感じている今のトーマスにとって、“自分の存在は重荷ではないか?”と密かに思っている。

 また直前まで楽しいムードだったこともあり、“個人的な理由で、その雰囲気を壊したくない”という彼の優しさも秘められていた。先ほど花屋で購入した花を両親のお墓の前に添え、トーマスは両親へ特別審査賞を取ったことを報告する。

「ねえ、パパ、ママ。見て見て! 僕シアトルで主催しているイベントで、したんだよ。……あっ、嘘だと思っているでしょ!? これがその証拠だよ!」


 そう言いながらトーマスは丸い筒のふたを外し、丸く収められている賞状を、彼らのお墓の前に両手を使って広げる。そこにはシアトル市長の実印がしっかりと押されており、自分の力で入賞したことを、両親の前で意気揚々と告げる。

 他にもトロフィーと賞金を獲得したことも知らせ、彼はそのお金で“新しいランドセルでも買おうかな? 美味しい食べ物もいいなぁ……”などと使い道について一人考える。


 そしてトーマスは両親への近況報告として、今現在、ハリソン夫妻のもとでお世話になっていることを伝える。

「僕ね……今ケビンとフローラのお家にいるんだよ。二人のことはパパとママも知っているよね? 僕が生まれたころから知っている人たちだから、僕のことを本当に大切にしてくれるって感じがするよ」

 元気よく両親たちの前で語りかけるトーマスは、ポケットから一枚の写真を出す。これはジェニファーが数ヶ月前に、ハリソン夫妻自宅へ引っ越してきた時に撮影したもの。家族としてしばらく暮らすということで、“記念に写真を撮ろう”とケビンが言ったのだ。自宅の前で集合写真を撮影した後に、ケビンは全員に一枚ずつ写真を現像して渡す。


 そこでハリソン夫妻だけでなく、“新たに同居人として暮らしている、お姉ちゃんたちを紹介したい”と思うトーマス。

「それとね、パパ、ママ。今ケビンとフローラにも、三人の女性と一緒に暮らしているんだよ。……今紹介するね!」


 最初にトーマスは、自分の左隣に礼儀正しく両手を前に揃えているジェニファーを紹介する。

「……僕の左隣にいる女性が、ジェニファー・ブラウン。ケビンとフローラが勤務しているワシントン大学の学生さんで、心理学っていう学問を学んでいるみたい。三人の中で一番大人しい性格かな? 本が好きみたいで、授業が終わったら本屋さんでお仕事をしているみたいだよ。……今度ジェニーにおすすめの本でも紹介してもらおうかな?」


 ジェニファーの紹介を終えたトーマスは、次に自分の両肩に手を添えて、ニッコリと白い歯を出して微笑んでいるマーガレットを紹介する。

「次に僕の両肩に手を添えて、元気よく笑っているこの女性がマーガレット・ローズ。彼女もまたワシントン大学の学生さんで、音楽や芸術分野の学問を学んでいるって。僕は彼女のこと親しみを込めて、“メグ”って呼んでいるんだ。一番明るい性格で、僕をからかうのが好きなんだ。演劇やお芝居が好きで、将来は劇団員になるのが夢って言っていたよ。……年末の舞台でメグが“主役を演じる”って言っていたから、それを見るのが楽しみだよ!」


 最後に自分の右隣に写る、ジェニファーと同じく両手を前に揃えて、優しく微笑んでいる香澄を紹介する。

「最後は僕の右隣にいる女性が、高村 香澄。日本からの留学生だけど、英語とピアノ演奏がとても上手なんだよ。ジェニーと同じ心理学を学んでいるけど、性格はメグと正反対かな? そして夜は家にいることが多いから、僕も時々学校の勉強を見てもらっているんだ。だから僕が三人の中で一番多く会話しているのも、香澄かな? ……ここだけの話なんだけど、香澄って人の嘘を見抜くのが得意なんだよ?」

 今までのトーマスとは別人だと思えるほど、この時のトーマスは明るく元気に両親と会話している。この無邪気かつ天真爛漫な姿こそ、ハリソン夫妻が知っているトーマスなのだ。


 両親への近況報告をする時のトーマスは無邪気で、年相応の少年の姿をしている。むしろ完全にリラックスしており、香澄たちの前では見せることのない顔を覗かせる。この時ばかりは無邪気な子供に戻ったトーマスは、本当に近くに両親がいるかのように楽しく話を続けている。


 だがトーマスがいくら話しかけても、亡き両親から一向に返事が返ってこないことは分かっている。その真実が逆に、小さな少年の心をすさんでしまう。はかなく悲しくやり切れない想いは募るばかり。だがその気持ちや現実を認めなくないという無垢な心が、自分の気持ちに反し、口数は増えるばかり……

「……そ、それでね! 僕これからは、色んなことに挑戦してみようと思うんだよ!? ケビンや香澄たちも、“応援してくれる”って言ってくれたよ。……じ、実はね僕、メグために『オペラ座の怪人』っていうお芝居の詩を作ろうって思っているんだよ。メグ、喜んでくれるかな?」


 ほんの数時間前にも、香澄たちへ小さな嘘をついてしまったこともあり、彼の心はこれまで以上に強い孤独と不安、そして強い良心の呵責にさいなまれる。トーマスくらいの年齢であれば、一緒に同居する大人に甘えても何の問題はない。いや、むしろ素直に甘えることがトム本来の姿でもある。


 だが人一倍生真面目で、弱みを見せることを嫌う性格が災いとなってしまい、彼は誰にも相談することが出来ない。トーマスの心の重荷や負担は、レンガのようにどんどん積み重なっていく。同時に誰にも本心を語ることが出来ないことが、まだ心が成熟していない九歳のトーマスにとって、真綿で首を絞められるような耐えがたい恐怖だ。

「パパ、ママ……ぼ、僕は一体どうすればいいの? 僕はこれから何を生きがいに生きていけばいいの? こ、怖いよ……不安だよ……寂しいよ……パ、パパとママに、逢いたい……よ」


 出来ることなら両親の元へ一緒に行きたい……そんな想いを胸に秘めつつも、トーマスは無垢な瞳に涙を浮かべながらも、母親の膝枕に頭を預けるような気持ちで、両輪の墓石にそっと寄り添う。その姿は父親と母親に甘える子供のようにも見え、とても安らか。

「……どうして僕を置いて、こんなに早くいなくなったの? ねぇ、お、教えてよ。パパ……ママ……」

 これまで気持ちを押し殺していた彼の瞳から、滝のようにゆっくりと涙がこみ上げ、そして一粒ずつ、ゆっくりと流れる。その涙は両親の墓石や、添えたばかりの花を静かに濡らしていた。そしてサラサラと風の声を歌う夏風が泣き疲れた彼へ、つかの間の安らぎを与える。


 トーマスはハリソン夫妻をはじめ、香澄たちをまったく信用していないわけではない。むしろ家族愛に近い感情を抱いており、心の奥底には“彼らに甘えたい……泣き叫びたい……”という悲痛な想いが眠っている。

 ハリソン夫妻や香澄たちも、トーマスを自分たちの息子や弟のように思い、深い愛情を与えている。だが彼が心から欲しいと願っているのは、彼らの愛情ではない。自分の両親という、たった一つの純粋な願いだけ。

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