【トーマス編(一)】

トーマスが目指す目標とは

                四章 


             【トーマス編(一)】

  ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年六月九日 午後五時〇〇分

 校舎や校庭にはたくさんの無邪気な声が響き渡り、誰もが学校生活を満喫している。そんな中で屋上に一人たたずんでいる、トーマス少年の姿があった。トーマスはとある理由から、今現在はワシントン大学に勤務するハリソン夫妻の家に居候している。


 元々アメリカで敏腕弁護士の父親、一流企業で働く母親がいるという、ごく普通の家庭に生まれた子供。だが半年ほど前に家族三人で国内旅行をしている時、交通事故に遭い、彼の両親は他界してしまう。

 突然両親を失ったことによりトーマスの精神が壊れてしまい、一種の錯乱状態となってしまった。だがサンフィールド家と交流があったハリソン夫妻は、そんなトーマスを心配し、養子にすると決めた。不幸中の幸いか、トーマスの両親とも比較的裕福な家庭だったので、養育費は遺産でまかなうことが出来るほどの金額。

『パパ……ママ……』


 今ではハリソン夫妻が新しい家族として面倒を見ているが、トーマスの心の中には、いつも両親の面影が残っていた。また心のショックが大きすぎるためか、彼は人前で笑うことが出来なくなってしまう。だがまったく会話が出来ないというわけではなく、彼は自宅療養という形の心のケアも行っている。

『もうこんな時間か、そろそろ帰ろうかな。……でもどこへ?』


 などと疑問に思いながらも、トーマスは一人学校を出てハリソン夫妻の自宅へと歩く。学校終了後屋上にいることが多いトーマスだが、同じクラス内に友達がいないというわけでもない。授業中は普通の少年として接するため、友達やクラスを持つ先生もそれほど気にかけていない。

『僕はこれから、一体どんな未来を歩くのだろうか?』


 本来なら夕方まで友達と一緒に遊んでいても珍しくない年頃だが、心の傷が癒えていないためか、学校終了後はすぐに自宅へ帰ることが多いトーマス。今日はたまたま学校の屋上にいたが、授業終了後すぐに自宅へ帰ることも少なくないのだ。

 そんなことを考えながらも帰路についたトーマスは、三〇分ほどで自宅へ到着した。ドアノブに手を回すと鍵がかかっていたので、トーマスはハリソン夫妻から受け取っていた鍵を使用しドアを開ける。

「ただいま! ……って誰もいないよね」


 トーマスの予測通り、家には人の気配がしなかった。だがこれもいつものことで、ハリソン夫妻をはじめ、同居している香澄とマーガレットも、夕方以降にならないと帰ってこない。“みんな仕事や大学の講義があるから、仕方ないよね”と思いつつも、誰も自分を出迎えてくれないことに、どこか寂しさを感じてしまう。


 いつものように手洗いを済ませると、階段を上り自分の部屋へと戻るトーマス。バッグを置くと同時にベッドに身を投げ、学校で貯まった体の疲労を少しばかり解消していく。

『ふぅ~、何だか眠くなってきたな。また誰も帰っていないし、どうしようかな?』


 少し眠気はあったものの、トーマスは帰宅途中に受け取ったあるパンフレットが気になっていた。パンフレットには『第一回 ワシントン州誕生記念祭 詩集コンテスト』と印刷されていた。“これなら一人でも出来る気分転換および作業なのでは”と思っていた。注意事項を確認すると、ワシントン州に住んでいる人であれば、年齢不問(小学生以上であれば可)と記載されている。

「対象年齢は――だったら僕でも応募出来るかな?」


 上位三名の入賞に加えて、特別審査賞が今回のイベントで用意されている。計四つの入賞者が決定するイベントで、作品投稿は郵便ポストに投函するだけと書かれていた。

「これならフローラや香澄たちにも、ばれることもないだろうし……作ってみようかな!?」

募集要項の詳細を確認すると、内容は以下の通り。


 『第一回 ワシントン州誕生記念祭 詩集コンテストの募集要項について』


一 ワシントン州に住民票を移していることが応募条件。年齢・性別共に不問で、小学生以上であれば、子供および学生でも応募可能。

二 詩集のテーマ・ジャンルは不問。ただし一人につき、提出出来る作品は一つ。

三 応募締め切りは二〇一二年六月三〇日まで。結果発表は二〇一二年七月四日に行う。

四 入賞者および特別審査賞の商品は、賞金と賞状およびトロフィーを授与する予定。


一位 賞金三〇〇〇ドル+賞状+トロフィー

二位 賞金一五〇〇ドル+賞状+トロフィー

三位 賞金一〇〇〇ドル+賞状+トロフィー

特別審査賞 賞金二〇一二ドル+賞状+トロフィー


『でもってどれくらいの金額だろう? ……僕がパパとママに買ってもらった、通学用のバッグよりも高いのかな?』

 そんなことを思いつつも、トーマスは町で受け取ったパンフレットを、自分の机の一番上の棚に入れる。

『これでよし。そうと決まったら、早速一階のリビングでテーマを考えよう』

両親を亡くしてからも心の傷が癒えないトーマスにとって、初めて自分がやってみたいと、チャレンジする瞬間でもあった。


 リビングに向かったトーマスは早速テーマについて考え始めるが、すぐに決まるわけはなかった。映画監督や脚本家ならまだしも、トーマスにはお芝居や演劇経験などは一切ない。“考える時間はある”と思い、リビングのソファーに横たわる。

「……考えてもみれば、すぐにテーマが決まれば誰も苦労しないよね。僕ってバカみたい」

 ため息交じりに一人愚痴をこぼすと、外からドアをガチャリと開ける音が聞こえてきた。どこか落ち着いた女性の声が聞こえてきたので、“フローラかな?”と思った。ちょうど一階にいたので彼女を出迎えようと、トーマスはリビングから玄関口へと向かう。そしてフローラに“おかえりなさい”と言い、同居している香澄とマーガレットにも同じように返す。


 そんなトーマスの目には見慣れない女性が一人いた。“この女の人は誰だろう? 顔立ちからして、多分香澄とメグのお友達だと思うけど”と目を細めながら、その女性を見ているトーマス。後にフローラが“私の教え子のジェニファー・ブラウンよ”と説明してくれた。それを知ったトーマスは、ジェニファーにも香澄たちと同じように自己紹介する。

 その後“夕食の支度をする”とフローラが言うので、彼は自分の部屋へ戻り詩のテーマを考えようと思った。

『フローラはキッチンを使うのか。だったら僕は部屋に戻って、詩のテーマでも考えようっと』


 一目散に自分の部屋に戻ろうとした矢先、突然誰かがトーマスの手を握り始めた。冷たく柔らかい感触で、トーマスは三人の誰かだと思いふと手を握っている相手を確認する。すると自分の手を握っていたのはマーガレットのようで、“離して”とお願いする。

 しかしマーガレットは“嫌よ”と言わんばかりに、トーマスを無理矢理リビングへ連れて行く。香澄とジェニファーがソファーに座ると自分も同じように席に着く。そこで初めて手を離してくれたので、トーマスはすぐに“自分の部屋へ戻ろう”と思った。


 だが三〇分くらいで食事が出来るとフローラから聞き、仕方なくトーマスはリビングに残ることにした。その間香澄たちは楽しそうに世間話や愚痴をこぼし合うが、トーマスはそんな彼女たちのことを考えている。

『随分と楽しそうだな。……僕も前はこんな風に過ごしていたのかな?』

途中香澄たちがトーマスに話しかけたことも度々あったが、彼は別のことを考えていたので空返事をするだけ。


『マーガレット・ローズ――で、おしゃれな女性という感じ。大学では音楽の勉強をしているみたいで、夜は劇場でお仕事をしている。……じっとしているのが苦手みたいで、いつも僕は振り回されっぱなしだよ』


 白い歯を見せながら、楽しそうにおしゃべりをするマーガレット。そんな彼女を意識しつつも、トーマスは次に香澄のことを考えていた。

『高村 香澄――小学校卒業と同時にアメリカへ留学している日本人で、歳はメグと同じだと思う。心理学っていう学問を勉強しているみたいで、調の女性。そして香澄は日本人だけど、本当に英語が上手なんだな』


 そんなことを思いつつ、トーマスは香澄の唇の動きや目の動きなどを密かに追っていた。するとちょうど彼女と視線が合ってしまい、“どうしたの?”と声をかけられる。

「な、何でもないよ。ごめんなさい、香澄」

「……そう? 何か言いたいことがあるなら、遠慮しないでね」

学校の先生や母親に似た優しさを持つ香澄に対し、子供ながら照れ隠しを浮かべるトーマスだった。


 リビングで香澄たちが談笑をしていると、キッチンから“夕食の準備が出来たわよ”という声を聞こえてきた。少しお腹が空いていたためか、トーマスは食卓に並べられたビーフシチューを少し早く頬張る。その後食べ終えた食器をキッチンで洗い、先に部屋へと戻る。その後先にお風呂に入り体を綺麗にしたあとで、彼は湯船の中で作品のテーマについて考える。

『さてと、肝心のテーマはどうしようかな? そうだ、香澄たちへ相談してみようかな?』

 自分の周りには頭が良く優等生の香澄、そして子供の時から演劇経験豊富なマーガレットがいる。そして二人の友達でもあるジェニファーもおり、“自分より人生経験が豊富な彼女たちなら力になってくれるのでは”と思った。


『よし、すこし自分で考えてみよう。それでもだめだったら、今回のイベント参加は諦めようかな?』

 そう決心して湯船から出たトーマスは、用意していた新しい下着とパジャマに着替えて台所へと向かう。だがリビングには香澄たちが楽しそうに話をしていたので、邪魔をしないようにと気を使い自分の部屋へ戻る。

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