香澄に嘘は付けない!?

    ワシントン州 トーマスの部屋 二〇一二年六月九日 午後八時〇〇分

 気合いを入れて作品作成に取り掛かろうとした矢先、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。

『……ったくもう、せっかくこれから作品作りに入ろうかと思ったのに』

と少し不機嫌になりつつも、ノックをしてきた相手を招き入れるトーマス。するとドアの奥から“入るわよ”と声が聞こえてきたので、それを聞いたトーマスは相手が香澄だとすぐに見抜く。


 実は香澄たちがトーマスの部屋に入る際に、ちょっとしたくせがある。例えば香澄の場合には、必ずドアをコンコンと優しくノックした後に、“入るわよ”と一言言う。フローラもドアを優しくノックするところまでは同じだが、入室する時には“失礼するわね”と言う。マーガレットの場合にはドアを少し強く叩く癖があり、トーマスはその違いをすぐに判断出来る。

 ちなみに男性のケビンは“コン”とドアを一回だけノックするので、違いは明白。ドアの叩き方や入り方でもこのような違いがあり、自分の部屋をノックした時点でトーマスにはその相手が誰だか分かるのだ。

「入るわよ。トム、調子はどう?」


 てっきり香澄だけだと思っていたが、彼女の後ろにはマーガレットと彼女たちの友達のジェニファーもいた。だがトーマスは特に気にすることなく、“いつも通りだよ”と返す。

「それは良かったわ。それから何度も言うようで恐縮だけど、これからしばらくジェニーもお家に遊びに来ると思うわ。ジェニーと会う機会も多くなると思うから、トムも彼女と仲良くして欲しいの――お願いしてもいい?」

「うん、わかったよ」

 

 とっさに空返事をするものの、作品作りのことでトーマスの頭の中は一杯。だがトーマスが作品作りをしているとは夢にも思わない香澄たちは、どこか挙動不審きょどうふしんな様子を心配していた。

「トム、大丈夫? ずいぶんとソワソワしているみたいだけど。もしかして、お腹でも痛いの?」

「えっ!? ち、違うけど……」

“何でもない”とトーマスは言い返すものの、落ち着きがない仕草を見せるのは明らか。比較的勘の鋭い性格の香澄は、“トム、何か隠し事をしているの?”と直感しはじめる。ジェニファーも香澄と同じ気持ちだったのだが、第一印象があまり良くなかったためか“まだ私のこと避けているのかな?”と内心不安に思っている。


 だがマーガレットはそんなことは夢にも思わず、二人とも黙りこんでしまったことを不審に思っていない。ただ香澄とジェニファーが何か話しかけるのをただ待っている。

 そんな中で、最初に言葉を発したのが香澄。

「ねぇ、トム。あなた何か、私たちにをしていないかしら?」

「……えっ!?」

「ちょ、香澄。いきなり何を言い出すの? トムが隠し事って、一体何を……」

“隠し事をしているのなら、正直に話して欲しい”と言う。だが一番驚いていたのは、“自分が隠し事をしている”と、すぐに見抜かれたトーマス自身。

『どうしてこんなに早く分かったんだろう!? 香澄ってもしかして、相手の嘘を見抜くのが得意なのかな?』


 心の中で感心しつつも、トーマスはどうしようかと一人悩んでいた。そんな真剣に悩むトーマスの様子を見て、香澄は優しく少年を説得した。

「もしかして、ケビンやフローラには知られたく内容なの? 大丈夫よ、秘密は守るわ。だから……ねっ?」

香澄はとっさにマーガレットとジェニファーの顔を見て確認すると、同じように頷く。


 優しく説得されたトーマスは、香澄の無言のプレッシャーに屈しそうになっていた。

「うん。実はね、香澄――」

と口を開きかけたトーマスだったが、その発言を待つことなくマーガレットがあるものに注目した。それはトーマスの机の棚から少しはみ出ている一枚の資料で、マーガレットは彼の許可を得ることなく手に取った。

「――ところでさっきから気になっていたんだけど、机からはみ出ているって何?」

 それを見たトーマスははっとなり、“メグ、それはだめ!”といつになく強い口調で声を荒げる。だがその反応を見たマーガレットは、“さてはトム、学校のテストで悪い成績を取ったのね”と思っていた。

「駄目ですよマギー、そんなことを言っては。トムは真剣に悩んでいるんだから」

トーマスは必死にパンフレットを取り戻そうとするが、大人の彼女にかなうはずはない。

「……さて、トムはどの科目で〇点を取ったのかな? どれどれ……」


 やれやれと香澄とジェニファーは思いつつも、マーガレットの行為を邪魔することはない。だが実際にマーガレットが目にした資料は〇点のテストではなく、ワシントン州で主催されているイベント告知の内容を知らせるものだった。

「…………」

 突如無言になってしまったマーガレットを見て、不審に思った香澄が“どうしたの?”と声をかける。そしてマーガレットは自分が手にしている資料を無言で香澄に渡すと、横にいたジェニファーも顔を覗かせて内容をチェックする。


 その内容は香澄たちが思っていた内容とは、明らかに異なっていた。トーマスは秘密にしておきたかった気持ちが強かったのか、香澄たちから無理やり資料を取り上げてしまう。そして目に涙を浮かべてしまい、今にも泣き出しそうな半泣き状態。その姿を見た三人は慌てて悪気はなかったと謝る。

「ご、ごめんね、トム。私は悪気があったわけじゃ――」


 無言の間を何とかしようと思い、“このイベントに出場するつもりなの?”と香澄はトーマスに確認してみる。だがマーガレットの余計な一言に機嫌を悪くしてしまったためか、むすっとした顔で首を縦に振るトーマス。同時にトーマスの心の中では、“自分のような子供が申し込むなんて笑われる”という思惑が駆け巡っていた。

「――いいんじゃないかしら? 応募条件も満たしているみたいだし」


 トーマスの想像とは結果が異なり、“申し込む気持ちがあるなら応援するわ”と香澄は言ってくれた。何より“自発的にイベントに参加したい”という気持ちを彼が持ったことが、香澄にはとても嬉しかったようだ。

「ほ、本当にそう思う? でも入賞出来るか分からないよ」

「入賞することが重要ではないのよ、トム。あなたが自分から“イベントに参加したい”と思ったが大切なの」

「ぼ、僕のきっかけ?」


 今一つ彼女の言っていることが、理解出来ないトーマス。それに対し香澄は、“チャレンジすること自体に意味があるのよ”と伝える。

「おそらく今回のイベントは参加者も多いと思うから、入賞出来る保証はないわ。でもね、結果を考えずにチャレンジすることが大切なのよ。私の言っていること……分かる?」

 香澄なりに分かりやすく説明したつもりだったが、トーマスにはその内容がやっぱり理解出来なかった。“ごめんなさい”と彼女に謝ったが、香澄は“謝る必要はないわ”と優しくフォローする。一方、蚊帳かやの外に置かれているマーガレットとジェニファーも、“トムの意志を尊重する”と言って彼を応援すると約束してくれた。


 それぞれサポート出来る範囲は異なるが、“出来る限り応援しサポートする”とトーマスを激励する。それを聞いたトーマスは嬉しさのあまり、小さな瞳から数粒の涙がこぼれていた。

「あら、もしかしてトム……泣いているの?」

とトーマスをからかい始める。だがトーマスは泣いていると認めたくなかったので、

「ち、違うよ。こ、これはだよ!」

とその場をごまかす。だが香澄から花粉症は日本に多い病気だと聞かされていたので、マーガレットは“本当にそうなの?”と問い返す。

「僕が花粉症って言ったら花粉症なの。香澄たちが間違っているんだよ!」

「はいはい、分かりました。……ふふ」

 ジェニファーたちへ“僕は間違っていないよ”と真っ向から反論する。だが思わぬきっかけでコミュニケーションを取ることが出来、ジェニファーとも心の距離を縮めるトーマスだった。


 話し合いの結果、ハリソン夫妻にもイベントへ参加することを伝えることになる。ハリソン夫妻は彼の提案に驚きを隠せなかったが、“あの子の意志を尊重してください”と、香澄たちは彼らへ理解を求める。何よりトーマス自身が決めたことだと知ると、ハリソン夫妻の反応はとても嬉しそうだった。


 一方ワシントン州が主催するイベントへ、正式に参加することが決まったトーマス。途中トラブルはあったものの、比較的スムーズに作品作りへ励むことが決まった。“淡々とスケジュール調整が進んだ”と思いながらも、トーマスは新しい友達のジェニファーについて考えている。

『ジェニファー・ブラウン――香澄とメグの一年後輩で、心理学を勉強している。髪形は僕と同じ金髪で、性格は真面目みたいだね。それと言葉遣いがとても丁寧だったことも、印象に残っている。三人の中でなのかな?』


 トーマスは新たな同居人である三人のことを考えつつ、ハリソン夫妻についても彼なりに考える。

『ケビン・T・ハリソン――香澄たちが通っているワシントン大学の教授で、“英語と日本語を教えている”って聞いたことがある。ユーモアのある冗談を言うことが多いから、一緒にいるととても楽しい。……まるで僕のパパみたいだね』

 トーマスから見たケビンに対する印象として、人当たりが良く気さくな男性という感じ。だが同時にケビンはワシントン大学でも有名な教授で、親日家としても知られている。さらに威圧感もなく、生徒のみならず講師の間でも人気の教授。


 最後にトーマスは、自分と家で会話することが多いフローラについて考える。

『フローラ・S・ハリソン――ケビンと同じワシントン大学に勤務している先生。現役の臨床心理士でもあり、僕もフローラのお家で色々とお世話になっている。大学ではカウンセラーとして有名みたいで、ケビン同様に構内での評判は良いみたい』

 臨床心理士のフローラはその経験から、“トーマスを特別扱いすることなく接することが、一番の治療効果がある”と知っている。だがトーマスの心の傷は深いと判断したフローラは、夫のケビンや香澄たちにも自分のサポートを依頼したのだ。


 だが皮肉にも心のケアを受けているトーマス本人は、香澄たちがそのような目的で自分と接していることなど夢にも思っていない。仮にトーマスがそのことを知ったら、少年の心はさらに深く傷ついてしまうかもしれない。

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