「作者は死んだ。」ブンガクの細道③

 <語り手>には、リアルなま物の読者は関係がないと言いましたが、ここでブンガクとエンタメが別れます。


 この<語り手>の背後にも、実はまだリアルなま物の方の作者が存在しているからですね。つまり、<語り手>もまた、操り人形の側面を持っている。ここで、リアル作者が<語り手><受け手>双方を手放してしまえば、操り人形の面はかなり削減されます、リアリティにより近付く。これがブンガクのスタンス。


 しかし、それは同時にリアルなま物読者への配慮をこの先やらない、<語り手>に全て託すということ。この<語り手>はただひたすら<受け手>にしか配慮しない存在です。<語り手>は主人公が自身をフィクションだと知らないのと同様、受け手の他に読者が居ることは感知しないので。クレイジーフォーユーな状態。


 エンタメは逆です。操り人形の点には目をつぶり、リアルなま物読者に慮るというスタンスを持ちます。移り気ナンパ男ですね、ハイ。


 これ、何が違うかと言いますと、文章が違ってきます。メタ感覚というものが極力抑えられるのがブンガク形式で、思い切りメタに走ってブレブレになりかねないのがエンタメです。文章レベルで解析すると、エンタメの作品でブレてないのなんて無いです。構造的にそうならざるを得ないので。


 ブンガク式だと、<受け手>というカタチにしたです。エンタメ式の場合はここがもう最初からブレブレになるので、ブンガク式ほど文章レベルでカッチリとした作品にはなりません。一文レベル、修飾語、副詞レベルでブレるんです。対象読者が複数ですんで。


「この表現で通じるかな、読者によっては通じないかもだから幅広い解釈が出来るようにしよう。」これがあるかないかの差。これはすなわち、ブレ以外の何者でもないです。


 まさしく、一途男とナンパ男の差。出来上がる文章もまったくこの両者の性質に似ています。片や説得力と重みある文、片や軽薄で調子のいい文、という。

 エンタメを軽薄で調子がいいと書くと誤解を招くかもですが、もちょっと言葉を選ぶなら、ライトでテンポがよい、あるいはライトで楽しいという事ですから。


 たった一人に向けて言葉を尽くしている立場と、複数の人々に向けて言葉を尽くしている立場、そこに現れる表現に差が出来るのはむしろ当然だと思ってください。


 描写の性質として、多くすればするほど、基準がどこにあるかは明確になるのでエンタメ式で基準がブレていれば、描写も量を多くするほどブレが生じるという事です。ブンガク式を採用していればこのブレは最小限に抑えられます。

 別にエンタメ式を使っちゃダメって話でなく、ブンガク式にした方が楽よ?て話ですので悪しからず。描写を多用したけりゃブンガク式が楽、て話。その代わりに、読者は絞りに絞られますし、もう一点、設定に要注意が出ます。(←これ後ほど)


 文学評論などを読めば、作品を非常に細かく緻密に、単語レベルに分解してもすべてが無駄なく何らかの意図をもって組まれているものと解釈し、分析しています。だから、設計図というような言葉を使うなら、文学のように文章レベルで拘って作られた作品に限定して使うべきなわけです。

「この文章の修飾語は客観視に徹しているという立場を持つ語り手の為にドウタラコウタラ」てな感じに評論が為されるのは、このせいですわ。なので、描写でも何でも非常に統率が取りやすいというわけです。


 書き手にとっては、実はエンタメ式よりもブンガク式の方が、特についつい理屈っぽくアレコレ拘って細かいトコが気になっちゃうような作者さんにとっては、迷いなく理屈が一貫している分、書きやすいってことです。

 エンタメ式はやっぱ、感覚的というか、ふわっとしたトコが大きいので、フィーリングだとか、計算ではない部分で成功なんていう点がありますんで。

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