参照で書くことの弊害~文学文芸の文章は書けない②~

 頭の中に、キャラクターが怒っている顔を思い浮かべてください。次に、それを文章にする術を考えてください。キャラの怒っているシーンを思い浮かべ、それに近しい文章を自身のデータバンクから引っ張り出してきます。ここまでの参照は誰でもやります。誰しもがやるから、区別がつけにくいわけです。


 彼は怒っている。これで済ませてもいいけど、もっと詳しくも書けます。豊富な読書経験があれば、類型のデータは沢山持っています。応用も出来ます。この場合、作者は文章をすべて分解して一文ごとに整理した保管をしているという事です。類語辞典のセンテンスバージョンという具合のものが脳みその中に構築されています。


 ところが、一部の作者には作家ごとの整理しかなされていない、作家の特色的なものを真似ることでしか文章が綴れない人がいます。日ペンのみこちゃん状態に、点線をなぞるような作文しか出来ない。なりきりチャットの状態というか。


 このなりきり型の作者さんが混乱している状態というのが、最近はちょくちょく見つかるようになりました。

 なりきりの元作家とは違う文体を綴ろうとして、けれど参照すべきお手本がないから、文章がぐちゃぐちゃになっている。そういう軌跡がその文体の中に現れていた事で、はっきり確信したという次第です。


 今まではサンプルも少なくてよく解からなかった。今は、そうと見える作者さんがここカクヨムにも何人か見えたので、こういう結論を導けたわけです。


 彼らは文体そのものをインポートして、ちょうどゲーム素材をそこらでダウンロードしてきてインスタントにゲームをこしらえるような体で小説を書いています。

 なので、などが微妙にニュアンスの違いだとか微妙なテイストの違いとなって作中に違和感を生み出します。注意深く読まねば解からないような作品もあります。


 数年前まで、こういう作者さんは二次創作には少なく、テンプレ作者に圧倒的でした。レゴでしか創作が出来ない、と自身のどこかのエッセイでも書いた覚えがあります。なにせレゴを組み合わせるパターンを変えていくだけなので、文章そのものの個性というものはほとんど見られない。ストーリーは違うのだろうけれど、表現手法の文章はほぼ似たり寄ったり、という感じです。これがテンプレには非常に多かった。テンプレかどうかの見分け方の一つといって良いはずです。


 モノマネ状態で文章をマネて書くというのは、楽です。歌マネでもなんでも、似てるかどうかは別にして、マネという手法を使えば誰でもある程度のカタチが作れる。この、ある程度、というマネ手法の作品が溢れかえっているのが、現状のWebです。似ていないから一見ではオリジナルにも見える、だけど、根本が違うので、本気で違うものにしようとした時に、どうにもならない、という事です。


 テンプレだろうが、マネだろうが、レゴだろうが、小説を書く手法なんか好きにすればヨロシイ。書ければどんな書き方をしようが構いませんわ、ホント。だけど、なりきりチャット状態だとか、書き方までテンプレート使うだとかで書いてると、自分のセンスで文章を書くという経験値はゼロなのよ、ゼロ!


 だから、文体を変えたいと願っても巧くいかないのよ、そもそも文体を作った経験がないからやり方を知らないってことなのよ。


 こういう人をどうフォローしていくか、そこを考えると……投げてよかですか?





注:

このざっくり書きメモは、参照ではない自分のオリジナルな、自分のセンスで綴った文章が書けるようになる、そういう手引き書を目指しています。(営業スマイル)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る