参照で書くことの弊害~文学文芸の文章は書けない①~

 これは、ピクシブで共に評論をしていた人たちの間でも少しばかり話題になり、割と喧々諤々意見を戦わせたことのある議題でした。二~三年前ですかね。


 その当時、私は彼らの言わんとしていることが少しばかり理解に及んでおらず、そんなに深刻な話ではないと思っていました。つまり、テンプレ的に、あるいは参照でしか文章を書いてきていない人々は、文学や文芸の文章を書くことが出来ないのではないかという問題です。そんなことはないだろうと甘く考えていました。


 今現在、改稿を四苦八苦でやっている幾人かの作者さんの作品を少しばかり読ませてもらっていても感じます。文学や文芸っぽい、一般で読まれる作品に似た文章で書こうとしている方々の作品の文章は、まったく基礎が出来ていないんです。最初は、そんなのはほんの、ごく一握りの方だけの問題と思っていたのに、非常に多い。正直、ここまで深刻なのかと驚かされました。


 参照で書くという癖なんでしょう、このタイプの作者さんに共通なのは。どこかの誰かが書いた文章というものがまずあり、それを参照して自作に引っ張ってきているだけなので、文章の構造まで考えて綴っているわけではない……一人称ならなんとか誤魔化せても、三人称の、特に修飾語などを多用する長文タイプの文体などでは簡単にボロが出るということです。


 たった一文すら、自分の頭で考えて作った文章はない、ということです。


 文章がギクシャクして、前後の一文同士ですらがスムーズに繋がってはいない。自身の頭の中で文章を作っていない、あちこちから引っ張ってきた文のパッチワークをしているだけ、参照で引っ張ってくることでしか文章を綴れない、マネでしか小説が書けない、ということです。


 二年前だったかに、これを看破した方が居ました。私はそんなバカなと否定しました。自分の頭の中で文章を、こう、主語と述語を組み、修飾語を加え、副詞や助詞を調整して……というのは、当たり前の作業だと思っていたからです。


 そうではない人々が出現していたとは思ってもみなかった。どこまでもマニュアル頼み、最初から参照先のものを引っ張ってくることしか考えていない、という頭が出来上がっているタイプの書き手、ということです。そんなバカな、と当時はまったく信じられず、反発していました。お手本が無ければ何も出来ないってことですから。そんな人がよもやクリエイターの中に存在するはずはない、と思っていました。


 今なら、その方の説が当たっていたのだと、私も確信します。自分の頭で考えて、一から文章を作り出すのではなく、すべてを丸々どこかから引っ張ってくる……あのキャラをインポートしよう、あの作品のあの文体をインポートしよう、というのではそれはチグハグにしかならないのは当たり前なので。


 一文を書く、その一番最初のところから躓いている人にはアドバイスも出来ない、というその方の言葉が、今、重くのしかかっている気分です。


 彼らは、ここがヘンだといえば、また別の参照元を漁ってくるだけなのです。

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