【寄り道】まだ救いのある絶望

 陰謀論とか、壮大な話とか、皆さん大好きですね。私も好きです。


 さて、この陰謀論、あるいは漫画や映画やの、エンタメではお馴染みの壮大なスケールの敵やら危機やらですが、これも好き嫌いがあります。荒唐無稽を嫌う人はやっぱり居るわけで、これらがそうだというわけで、鼻で笑っちゃう人は居ます。まぁ、それはそれ、人それぞれだから、大らかにいきましょう。(笑


 これ、荒唐無稽と切って捨ててしまってますが、しかし、現実には「ありえへんやろ~」てなスケールのモノになっていった方が面白い分には面白いんですよね。荒唐無稽なほど面白いシュールギャグなんて分野もありますし。


 Siriに「イルミナティってなに?」と聞いたら面白い答えがくる、とかもこれの類ですし、とっくに過ぎましたが1999年なんてのもそうでした。


 皆、なんで「人類滅亡するかも」とか「日本やっべーよ、日本」とかを娯楽として眺めていられるのか? それこそが、荒唐無稽であるからという事です。


 かつて、アメリカのラジオ放送で火星人襲来とか流したらえらいこっちゃになったのは、有名なエピソードです。(当時の基準で)リアリティありすぎて、それが荒唐無稽と思われなかったせいで、本気にした人々の間で要らんパニックが起きてしまったという事件ですが。


 人々が笑って「荒唐無稽だ」と思っているその基準は、なんの根拠もないものだったりするので、アメリカのような事件が起きてしまうわけです。これをまた、科学知識だの情報網だの駆使して、ありったけのリアリティをくっ付けることも出来るわけで、あながち荒唐無稽と笑って片付けていられる話でもなかったりします。

 笑っていられるのは、君が無智だからだよ、というテーマだった映画が『エネミー・オブ・アメリカ』でした。これ、リアルに今こんだけの技術があるんだよ、ちょっと古い情報だけどね、という告発映画でもあるんで、マジで笑えません。


 さて、荒唐無稽な物語というのは、そこにどれほどの絶望を孕ませておこうが、人々をリアルに絶望はさせません。火星人襲来のパニックは普通は起きないのです。なぜなら、それを娯楽と受け止めている人々には、それは荒唐無稽だからです。だから、彼らはまず絶望もパニックも起こさない。


 片方に、それらの物語を荒唐無稽だといって鼻で笑う人々が居る。けれど、肯定する人々とて、やはりそれを荒唐無稽と思っているという皮肉な話です。


 人々はほぼオールで、それは荒唐無稽と思っているわけです、しかし鼻で笑うという行為を上下と決め付けた人々は、鼻息を荒げるのですな。

「おちついていきやー、」(byゆりやんレトリィバー)



 いかに読者に荒唐無稽と思わせないか、というのはつまり、絶望を絶望と、悲劇を悲劇と取ってもらえない、この巨大なセーフティネットをどうするかの問題であります。その絶望はアリアリで救いだらけなのです、実は。


 荒唐無稽と思わせないのはもうムリだからと劇中と観客を分ける方向へ行ったのもありますし、正攻法で荒唐無稽にリアリティを付け足して決して荒唐無稽ではない、という方向へ行くのもアリですわね。


 壮大なストーリーでは絶望とかシリアスとかが厳しいのは、一つにそんな落とし穴があるから、というお話でした。(某アニメとか記憶に新し…むにゃむにゃ)

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