加圧抽出式珈琲

紫喜 圭

エスペソの効用

 私はエスプレッソが好きだ。エスプレッソは加圧抽出されたコーヒーであり、カフィーエスペソとはエスプレッソが日本に入った当時の言葉である。

愛する往年の文人の一人がエスペソを飲みながら過ごした日々に想いを馳せ、私はカフェーエスプレッソを飲む。


 しかし当時のカフィーエスペソは今日こんにち主流のカフェーエスプレッソとは趣が異なる。

当時は火にかけて淹れる直火式であった。今日の電気式で抽出するものに比べて加圧力が弱く、味わいが淡白である。

しかし今でも本場イタリアでは手軽に楽しめる直火式エスペソは一般的であるらしい。

 どちらのエスペソもでやるには強烈であるため、ほうけた頭を無理やり覚ます神妙の秘薬として飲む以外にはおすすめしない。

エスペソにはこれでもかという砂糖と少量のミルクを添えてやるのが良い。特に濃い電気式はこれに限る。強烈な苦味と甘みがミルクで融解し、舶来の薫風と至極濃厚な味わいを伴った褐色の液体が錬成される。これをカクテルのようにちびりちびりとやりながら過ごせば浮世の酸い甘いはセピアに染まり、後に残るのはただただ余韻のみである。


 この魅惑の褐色はいつでもヴァイオリンコンチェルトの響きと他人の歓談と共にある。喫茶店に連れ合いと行くことが少ないため、大概カウンター席に一人寂しく座るのが常である。BGMとして流れるのは耳触りの良いコンチェルトと人々の歓談で、私はその空間にあって孤独を得る。孤独は山河にあらず、都会にあるという三木清の言葉は真であり、他者に囲まれてこそ人は孤独を得ることができる。承認欲求をインターネットが氾濫させるようになったこの時代で孤独は貴重だ。いつでもニュースは更新され、通知や更新はスマートフォンを働かせることに暇がない。


 時折メールやラインが鳴らないことを孤独という人がいるがそれは違う。人から来る連絡やその頻度が人との交友の深さを示すというのは信頼という物を知らないが故の誤りであり、人から連絡が事実としてこないというのは好意の返報を知らぬが故の相互不理解の産物である。

 インターネットで即時的に満たす承認欲求は、なくしたいはずの孤独感を再生産する結果しか生まない。それは単純な事実として、Twitterでも眺めてみればよくわかることだ。


 ならば孤独を解消するにはどうすればよいのだろうか。それは至極単純で、自らの好きを発信すればよいのである。好きなことに忠実な知人を思い浮かべてほしい。彼らが孤独にさいなまれる様子を想像できるはずもないのである。好きなものやことがないならば、それが最もの悲劇と言える。

 しかしこれが人間の逆説的欲求と言うべきか、信頼と交友を得てもつい孤独を欲するときがある。そんな時はカフィーエスペソでもやりながらお気に入りの本でも読んでみるといい。しばらくするころには心がすっかり調律され、活力がみなぎり頭が冴えるのを感じるはずである。

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加圧抽出式珈琲 紫喜 圭 @saito_bat

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